26話 少女はまだ、それを恋とは知らず 終
旅館に戻って、部屋のドアを開けるだろ?
和室の二人部屋は、さほど広くなくて、布団二枚しけば机なんかは脇に逸らされる。白く清潔感のあるそれは、ぴったり並んでいて、枕の位置も当然近い。
覚悟していた俺は眉間を揉んで、部屋の奥へ。
固まって動かなくなっている氷雨へ、ため息交じりに声を掛ける。
「なにを今更。別になにもしねーよ」
「なにもしないの?」
「は?」
氷雨は自分の腕をきゅっと抱いて、やや恥ずかしそうにしている。
「…………」
落ち着け。
経験上、こういうときに氷雨小雪が考えていることはわかる。
一つ息を吐いて、よし。
「トランプやるか?」
「やるわ」
もういっそこれで徹夜するのがいいんじゃないだろうか。そうすればなにも起こらないし。どうせ帰りは電車だ。疲れたら寝てしまえばいい。
そうと決まれば早いもので、買ってあったトランプを取り出す。
「準備していたの?」
「売店にあったから、買った」
「阿月くんもトランプが好きなのね」
「……まあな」
氷雨のために準備した、とは言えんよなぁ。
場所を確保したいが、合理的に一番広い場所が布団の上にしかない。致し方なし。畳むのも不自然だ。
「二人だからできるのは少ないけど……神経衰弱とかでいいか?」
「なんでも」
「じゃあ、半分並べてくれ」
「その前に、少し外に出てもいい?」
「いいけど、飲み物?」
「洗濯物よ。コインランドリーがあるらしいわ」
「俺も行く」
完全に忘れてた。
危ない危ない。なにがトランプだ。もっと大事なことがあるじゃないか。
さっと今日の服を投げ入れて洗濯機を動かし、時間を確認して部屋に戻る。
仕切り直し。
半分に割ったカードの山を並べていく。
今時の高校生がやることじゃない。けど、ワクワクした氷雨を見ると、楽しめそうだなと思える。
つーか、本気出さないと惨敗しそうだ。
「始めましょう」
「じゃんけんするぞ。勝った方が先攻」
俺が先攻。
そこで氷雨のほうから、提案が持ちかけられる。
「ねえ、せっかくだし、難易度を上げてみない?」
「ん。いいけど。どうやって」
「簡単よ。ゲームの間、ずっと会話を続けているの」
「すっごい難しくなりそうだな。いいよ。やってみよう」
いろいろ考えてから話す俺みたいなタイプは、苦手そうなやり方だ。氷雨は……考えて話しているのかな。どうなんだろ。ほとんど本能で会話してそうだけど。
勝ち負けでなにがどうなるわけでもない。面白ければそれでいい。
修学旅行の夜みたいだな。そんなことを思ったのは、俺だけではないらしい。
「阿月くんは修学旅行、どこに行ったの?」
「東京。国会議事堂とか、ネズミの国とか。氷雨さんは?」
「京都よ。定番の」
「いいな京都。俺もいつか行ってみたい」
「いいところよ。落ち着いていて、阿月くんが好きそう」
「俺のイメージってそんな大人びてるのか」
「抹茶が似合いそうね」
「スイーツは好きだよ」
会話の中身はほとんどない。淡々と進んでいく。
「修学旅行な……あの時も夜更かししたっけ」
「何時まで?」
「朝の四時とか。友達と集まってバカみたいな話したりさ」
「どんなことを話すの?」
「あんまり言いたくないんだけど――ま、月並みに恋バナってやつかな」
「阿月くんが参加した……ダウト」
「お前、俺のことなんだと思ってるんだよ。俺だって恋バナくらいするわ」
「好きな人がいた……ということ?」
「なんだその顔は。そんなにあり得ないことか」
「あり得ないわ」
「断言すんな。――まあ、昔のことだけどさ」
深く考えない。ただ事実を述べていく。
いつもは思い出すだけで苦しいのに、今日はやけに楽だ。聞いてくれる人がいるからか。それとも、相手が氷雨だからか。
いや、それ以前に氷雨が、当時の俺を知らないからだろう。
肝心なことはなにひとつ触れなくていい。安全だから、冷静でいられる。
「今はもう、好きじゃないの?」
「また難しいことを……」
カードを選ぶ手が止まる。その問いにはつい、気を引かれてしまった。
人が人をいつ好きになって、いつ好きではなくなるのか。恋の始まりはどこで、終わりはいつなのか。
その境界線を見極められるのなら。
恋心の所在を探り当てられるのなら。
俺はもう少し、上手くやれているのかもしれない。なにも引きずらず、笑えていたのかもしれない。
「……わからない。少なくとも、嫌いではない」
行方不明の恋心。あいつは今、どこにいるのだろう。
考えなくていい。わざわざ探してやろうとも思わない。
「そういう氷雨さんは? 恋バナ、どうなの」
「ないわ」
「ないか」
「理由はわからないけれど、昔から誰もいれてくれないのよ」
「……そうか」
おおかた男子の人気が氷雨に持っていかれて、その場にいられると気まずいからだろう。
えー、アヤの好きな人ってユキオだったのぉー。でもユキオは氷雨が好きらしいよぉ。
みたいなことが起こりまくるのだろうな。どんな地獄だよ。
アヤとユキオは誰か知らん。勝手に脳内でイメージしただけだ。
くだらない思考にふける俺の前で、氷雨が最後のペアを取る。
「それに――恋がなにかも、わからないしね」
ゲームセット。結果は数えるまでもなく、俺の負けだ。
「勝てる気がしない」
貧相な手札を置いて、素直に降参。
「次はなにをしましょう」
「ババ抜き?」
二人でやるゲームじゃないだろ。と思いながら提案してみる。よくよく考えればトランプ、もっと人数が必要だ。
「いいわね」
「いいんだ」
「だめなの?」
「全然」
何度も繰り返したような問答をして、次のゲームが始まる。
途中で洗濯物を取りに行って、またゲームを再開して、だんだんと夜が深くなっていく……
◇
深夜2時を回った頃から、だんだんと俺の勝ちが増えていった。ゲームはスピード。反射神経が問われるもので、男だから元々有利ではあるのだが。明らかに、氷雨の集中力に限界が来ている。
「さあ、次はなにをしましょう……つぎ、」
モチベーションは十分だが、うとうとしてしまっている。カードをシャッフルしている間は、目を閉じて動かなくなるくらい、限界だ。
俺のほうはというと、普段からわりと夜更かしをするおかげで余裕がある。時折あくびが出るくらいで、頭は回っている。
回っているだけに、うとうとされると困るのだが……。夜更かし慣れしていないのだろう。そっちのほうが健康だし。というか今日、さんざん動き回った後だ。元気でいろというほうが酷な話。
「終わりにするか」
散らばっていたカードを集め、箱に戻す。氷雨は軽く抵抗したが、眠気には勝てないらしい。くらりと横に倒れてしまう。
「布団入れ。風邪引くから」
「いや」
「はぁ?」
じゃあどうしろと言うのだ。横になったままの氷雨を見下ろす。
彼女は今にも寝そうな目で、それでも必死に訴えかけてくる。
「だって、もう、こんな楽しい日は……ないかもしれないから…………」
「んなわけあるかよ」
どうせもう動かないだろうから、掛け布団を上から被せる。氷雨はムッとした顔になるが、それ以上は抵抗しない。
「今日なんかよりずっと楽しい日が来る。そんな日はいくらでも来る。高校生舐めんなよ」
「ほんとうに?」
「ああ。だから今日はもう寝ろ」
まだ夏は始まったばかりだ。祭りも、海も山も、まだなにも終わっちゃいない。その気になればなんだってできる。
「阿月くんが言うなら……信じるわ」
「信じろ。寝ろ」
こくりと少女は頷いて、大人しく目蓋を降ろした。枕のところまで体を動かす。
もぞもぞと。お前はイモムシか。
寝顔を見られるのは気にならないらしい。俺は気にするので、そっと目を逸らす。
「おやすみなさい。阿月くん」
「おやすみ」
永遠にも思える夜は、こうしてあっけなく終わり。
電気を消して部屋を出た俺は、コーヒーを求めて外に出る。
◆ ◇ ◆
翌朝目を覚ました小雪は、隣の布団が使われていないことに気がつく。
体を起こして目を擦れば、閉じた襖の奥に人影がある。
おそるおそる開けてみると、椅子に座ったまま眠っている少年がいた。腕組みをして、考え事をしていたのだろうか。
小雪はそっと、自分の胸に手を当てる。
阿月哲という平凡な少年の、ただの寝顔を見ているだけだ。
なのにどうして、こんなにも心が安らぐのだろう。安らぎの中に、一抹の不安が埋もれているのだろう。
今はまだ疑問にすらならない、あまりに小さな感情。
それを恋と呼ぶことを、少女はまだ知らない。
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完結してから派は己の信じた道を生きてください。作者は大いに支持します。
次回以降、小日向ひまりいくぞ!(ウォオオオオ!!)
彼と彼女が友人になった経緯と、友人であり続ける理由について。
引き続き楽しんでいこう。