24話 少女はまだ、それを恋とは知らず その6
友達とは便利な言葉だな、とつくづく思う。
その言葉の内側にねじ込んでしまえば、明らかに異質なものすら同格として扱うことができる。
一輝と小日向の二人が、最たる例だろう。
二人とは紛れもなく友達で、仲が良くて、一緒にいる時間も長い。だが、二人に対して抱いている感情は明確に違う。かける言葉も違えば、一緒にいるタイミングも異なる。
だけど友達という呼び方があるから、普段はその差異に気がつきすらしない。
気がつかなくていいのに、と思う。
それが自然な形なのだ。友達一人一人に優劣をつけるのも、違いを見出すのも面倒だ。そんなことをしていたら、世界はずっと複雑になってしまう。
なのに。
俺は出会ってしまった。
自分を友達と呼ぶことを許さない少女と。
だから、考えている。
この感情の正体を。
目を離そうとしても離せず、呼ばれれば応えてしまい、必要以上に気にかけてしまう。恋ではないのに、限りなく大切だと思ってしまう。
なんなんだろうな、ほんと。
旅館の料理を前に目を輝かせる氷雨。そういう表情を見るたびに、胸の奥が妙にくすぐったい。
目を逸らすように、口を開く。
「急に来たのに出てくるなんて、ありがたいな」
「そうね。ありがたいことだわ」
場所は食堂で、周りには他の宿泊客もいる。もっと注目されるかと思ったが、だいたいが飲酒をしているようで、こっちに気がつきすらしない。
「冷めてももったいないし、食べるか」
こくりと氷雨が頷いて、俺たちは手を合わせる。
食事中は、ほとんど会話がなかった。興味深そうに料理を口に運ぶ氷雨を見て、ときどき「これはなに?」「わからんけど、美味かった」という会話があって、それだけ。
海なし県の栃木だからか、山菜が中心だった。米は炊き込みご飯で、ワラビにキノコ、タラの芽なんかが使われていた(気がする。正確にはわからない)。
俺のほうが早く食べ終わって、静かにお茶を飲んで待つ。始終楽しそうにしていた氷雨は、デザートに入ったところでふと顔を上げる。
目が合った。
「あ……」
「あ……」
「いや、……あの、……なんでも、ないぞ?」
「そ、そう? なら、いいのだけど」
テンションが上がっているのがバレて、恥ずかしくなったのだろう。氷雨は顔を赤くして俯いてしまう。俺も罪悪感で口ごもる。なんかすまん。
「そんなに微笑ましかったかしら」
「微笑ましい?」
「阿月くん、すごく優しい顔をしていたわ」
胸にそっと手を当て、氷雨は小さく首を傾げる。
「あ、そうだったんだ。無意識だった」
「今日、何度もそんな顔をしていたけど」
「マジで?」
いつなんだろう。全然心当たりがない。
自分の表情とか、意識しないとわからないからな。
「……いいわ。待たせてごめんなさい」
「ん、おう」
ごちそうさまでした。何事もなかったように手を合わせ、氷雨は立ち上がる。
俺も椅子から立ち、並んで食堂を後にする。
前を歩いて行く少女は、ちっとも表情が見えない。しかも、向かう先は部屋ではないらしい。
「どこ行くんだ?」
「どこに行くのかしら」
「迷ったのかよ」
そういうことは早く言え。
とはいえ、俺も適当に歩いていたから自信がない。辺りを見回すと、ちょうどいいところに館内地図があった。
近づいて全体を確認。部屋まではこの先の非常階段を使えばいいか。
そのほかもざっと確認して、地下一階に面白そうなものを見つける。
「ゲーセンあるじゃん」
「卓球スペースがあるらしいわね」
ほとんど同時に、別々の場所に興味を示す。そして、
「卓球いいな」
「ゲームセンター、興味があるわ」
思いっきりすれ違った反応をする。
「…………っ、ははっ」
「…………ふふっ」
こればっかりは笑わずにいられない。堪えようとしても堪えきれず、廊下の隅で二人笑う。
「両方いくか」
「そうしましょう」
「食後すぐだから、先にゲーセンでどうだ?」
「賛成よ」
まだ夜は長い。だらだら過ごしたっていいはずだ。
なんなら、部屋に帰ってからトランプをする時間もある。売店にあったから、下着と一緒に買っておいたのだ。
しりとりであれだけ喜ぶのだから、トランプも楽しんでくれるかと思って。
我ながら、なにをしているんだと思う。氷雨小雪を笑顔にするのに、必死すぎやしないか? まあでも、いいだろ。このくらい必死になって。
彼女が笑ったくらいで、誰も不幸になりやしないのだから。
◇
ゲームセンターに入った氷雨は、おそらく初体験だったのだろう。耳を両手でおさえて、小動物みたいに小さくなってしまった。
一時撤退。
少し離れて、静かなところへ避難。
「無理そうか?」
「どうしてみんな平気そうなのか、理解できないわ。私の鼓膜、弱いのかしら」
「鼓膜に強弱はないと思うけどな」
「阿月くんも平気そうね」
「慣れ」
「慣れ?」
「そう。慣れ」
氷雨は心底不可解そうに見上げてくる。生まれて初めて根性論に出会った子供みたいだ。わかる。元野球部だから、俺も通った道だ。
「とりあえず、適当に一個プレイしてみようぜ。それで無理なら退却だ」
「そうしてみる」
弱々しく頷く。この調子だと、一回が限界か。ま、人には合う合わないがあるからな。ゲーセンなんかは特に。
「どれがいい?」
「あれ、太鼓を叩いてみたい」
「たいてつか。いいじゃん」
太鼓の鉄人。この国に生まれた人間なら、一度は耳にしたことのあるゲーム。ゲーセンと言えばまずこれ。上位プレーヤーの民度が低いことでも有名。そんなこと言い始めたら、ゲーセン自体の民度も相当低いと思うのだが。
やめよう。これ以上は多くの人が傷つく。もちろん、俺も。
幸いなことに空いていたので、すぐに入れる。
「お手本を見せてくれる?」
「おっけ。じゃあ、お先に」
難易度を普通に設定して、古き良きゲームソングを選択。難しいをサクッと選べないのがダサいけど、あれは難しすぎる。
ゲームスタート。
ファミコン時代の軽快な電子音に合わせ、たたき方を指示する記号が流れてくる。
「赤いのは太鼓の真ん中、青いのはフチ、でかいのは両手で、あとはだいたい連打」
軽く口で説明しながら、久しぶりに二本のバチを動かす。
結果はまあまあ。ノルマクリアでもう一曲遊べるから、十分だろう。
「ほれ、次やってみ」
こくりと頷き、真剣な表情で少女出陣。ぎこちなくバチを持って、難易度はやさしいを選択。ピンとくる曲がなかったのだろうか。一周ぶん悩んで、一昔前のドラマ主題歌に落ち着いた。
曲が流れる。
流れてくる記号に合わせ、氷雨がバチを振る。それに合わせ、ぴょん、と体ごと跳ねる。
「――フッ」
噴き出すかと思った。
俺が見守る先で、氷雨はぴょんぴょん跳ねながら集中している。
「――っっっ」
ダメだ。笑うな。笑っちゃダメだ。堪えろ阿月哲!!
演奏が終了する。ノルマクリア。
氷雨はこっちを見て、画面を指さす。
「私、このゲームは得意かもしれないわ」
「……そう、だな、うん」
「どうしたの? そんなに複雑な顔をして」
「ちょっと感情の選別をしてるんだ」
言うべきか? ぴょんぴょんしてウサギみたいだったって。言うべきなのか? いやでも、そんなことをすれば、氷雨小雪の人生初ゲームセンターが恥ずかしい思い出になってしまう。
やめておこう。実際、ノルマクリアはすごいことだ。
「楽しそうでなによりだよ」
「ええ。でも、やっぱり音がだめみたい」
「それは仕方ないさ。実際、かなりうるさいし」
名残惜しそうにする氷雨は、エアホッケーのほうを見つめていた。そこではちょうど、四人家族が楽しそうに遊んでいる。
「気になるか?」
家族か、エアホッケーか。どちらかはわからない。きっと氷雨もわからないのだろう。彼女の頷きはとても小さかった。
「また来ようぜ。ゲーセンなら、どこにでもあるから」
きっとそういうことではないのだろうな。
わかっていながら、俺にはそれしか言えない。
言葉も感情も、なにもかもが不十分だ。