表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/99

21話 少女はまだ、それを恋とは知らず その3

 電車は知らないうちに栃木県へと入っていたらしい。

 見知らぬ駅名だなと思っていたら、どうりで。


 北海道歴のほうが圧倒的に長いので、関東地方のことはあまり詳しくない。


 今住んでいるのは茨城県だが、昔は納豆のイメージしかなかった。今も納豆のイメージしかない。


 じゃあ栃木にどんなイメージがあるかというと、日光東照宮しか出てこない。あとはそう、餃子の消費量が最近、静岡の浜松市に負けているんだとか。

 素晴らしき無駄知識。俺の人生、こんなのばっかだ。


「今日の最終目的は、そのスイーツか?」

「そうよ。遠いところに行って、美味しいスイーツを食べて帰る。ずっと夢だったのよ。――っていうのは、さっき思いついたのだけどね」


「思いつき?」

「目的がほしくなったのよ」


「なるほどな」


 頷くと、氷雨は満足そうにして、立ち上がる。


「美味しいといいわね」


 電車は速度を落として、ホームに入っていく。ここで降りるらしい。


「そうだな」


 降りたのは、田舎とも都会とも言えない、中規模の町だった。駅前には進学塾とコンビニがあって、タクシー乗り場も整備されているような。普通の町。


 なにを食べるのだろうか。栃木、スイーツ。ちっとも思い浮かばない。


 改札を出たところで、ちらっとレモン牛乳なる文字が見えたけど、……あれじゃないよな?

 しかしレモン牛乳ってなんだ。一体なにがレモンなんだ? レモンを食べさせた牛から絞った牛乳で、ちょっと爽やかになっているのか?


 ヤバい。心が完全に奪われている。気になってどうしようもない。

 だが、今は氷雨が楽しみにしているスイーツのほうが大切。自分に言い聞かせて、冷静さを取り戻す。


「すぐに見えるわ」

「駅から近いんだな」


 レモン牛乳への執着をどうにか抑えつつ、氷雨の横を歩く。なんか意識していると思われそうで嫌だけど、道路側をキープ。


「あまり混んでいないといいけど」


 ぼそりと氷雨が言うのと、人の集まりが見えたのは同時だった。

 お祭りかと疑うほどに大量の人が、巨大な列を成している。その列の先は、だいぶ先にある一軒のお店らしい。


「…………」

「…………」


 二人揃って閉口してしまった。

 さっきの口ぶりからして、氷雨はある程度の混雑を予想していたのだろう。だが、予想を遙かに超えてきたらしい。


 俺はというと、シンプルに長蛇の列に驚いていた。すげえ、ニュースで見るやつじゃん! みたいな。我ながら脳天気だと思う。


 氷雨は、気まずそうに口を開く。


「ええっと、ここまでとは思わなくて。阿月くんを待たせるのは申し訳ないから、――」

「並ぼう」


「え?」

「並んでみよう。食べたいものがあるんだろ?」


「……いいの?」


 上目遣いで聞いてくる。無意識でやっているんだろうけど、それは卑怯だ。

 肩をすくめて、軽く笑う。


 さて、なんと返したもんか。

 ちらっと頭をよぎったのは、最近聞いた大人の言葉だった。


「いいよ。待つのは好きだから」


 あんな風に自然には言えないけど。少し大きめの靴を履くような気持ちで。


「店長みたいね」

「…………言うなよ。恥ずかしい」


 顔を逸らすと、明らかに氷雨が面白そうにしている。見なくてもわかる。っていうか顔をのぞき込んでくる。

 話題を逸らそう。


「で、なにを食べるんだ」

「かき氷よ」


「かき氷? かき氷って、あのかき氷?」

「そうよ。氷を削った伝統的なスイーツよ」


「おおっ。ということは、もしやあれか」


 わざわざ遠方まで来て食べるからには、祭りのやつとは違うのだろう。

 でっかい氷をゴリッゴリに削って、これでもかとシロップをかけたやつ。あれはあれでザ・不健康って味がして好きだけど。


「そう――この先にあるのは、ふわふわかき氷よ」


 キラーンと氷雨の目が光る。

 物理的には光っていないが、やっぱりこいつ、目がやたら雄弁なんだよな。


「ふわふわかき氷って、あれだよな。真っ白で雪みたいな」

「ここのお店はね、シロップも自家製なのよ」


「なんと」


 そりゃあ行列も出来るわけだ。


 氷雨はネットで見つけた画像を見せてくれる。

 確かに、いちごシロップなんかはジャムのようだし、カフェオレ味なるものもあるらしい。他では見られないものがずらりと並ぶ。

 その中に。


「れ、レモン牛乳味!?」


 出会ってしまった。これを運命と呼ばずに、なにを運命と呼ぶのだろう。俺たちはどうしようもなく惹かれ合っていたのだ。お互いに。


「決めた。俺、これにする」

「それは……なに?」


「俺もわからん」

「そう。私はこの、とちおとめシロップにするわ」


「美味しそうじゃん。いちご、好きなの?」

「ええ。とても好き」


 なにげなく氷雨が言った、好きという言葉。耳元で囁かれたそれが、妙になまめかしくて、動揺する。

 スマホの画面を一緒に見ていたから、自然と顔も近くて。


「そ、そうか……」


 距離を取る。できるだけ自然に見えるよう、スマホを取り出す。自分のほうでも調べてますよと。明らかに不自然だ。

 なにやってんだ、俺。


 ため息をつく。

 なにか氷雨に言われそうな気がしたけど、そっぽを向いてスマホに食いついていた。なにか面白いものでも見つけたのだろう。


 列は思ったよりも早く進む。前を見れば、店内だけではなく持ち帰りもやっているらしい。かき氷を受け取った人が、場所を見つけて座っていたりする。


 列は進む。俺たちはなにも話さなかった。

 列は進む。たまに、「疲れないか?」「平気よ」くらいの会話をする。

 そしてようやく順番が回ってくる。どれくらい待ったのだろうか。時計を確認したいとは思わなかった。


「こちら、とちおとめです。こちらが、レモン牛乳です」


 だが、その疲労も渡されたかき氷によって吹き飛ぶ。

 見慣れたものとは明らかに違う、真っ白な氷の結晶。同じ削るでも、鰹節を削るような状態に近いのだろう。一つ一つが薄い塊として積み重なっている。


 結局、店内には入れず、外で食べることにした。適当な木陰を見つけて入る。周りにも同じようにしている人がいて、本当にお祭りのようだ。


「じゃあ、食べるか」

「ええ」


 氷雨は真剣そのものだった。手に持ったスプーンでそっと、丁寧にすくって一口。

 そのまま固まった。


「…………」


 その目が、なにかを俺に訴えてくる。口をむずむずさせて、言いたいことを堪えているようだ。

 よくわからないまま、俺も一口。


「…………」


 氷雨の表情の意味がわかった。俺も固まって、じっと彼女の目を見つめ返す。

 絞り出すように、一言。


「美味いな」

「美味しいわね」


 ふわふわな氷は、舌に触れた瞬間に溶ける。使っている水がいいのだろう。氷自体が美味しいと思うし、さらにこのシロップ。レモン牛乳とか、完全にネタだろと思っていたがそんなことはなかった。レモン風味の練乳のような、まったりした爽やかさがある。


「レモン牛乳も美味しいの?」

「ああ。一口いるか?」


「いいの?」


 頷く。氷雨は躊躇いがちにスプーンですくって、一口。


「美味しい……っ。これを注文したとき、阿月くんの味覚を疑いかけたけれど、そんなことはなかったのね」

「地味に毒を混ぜるな」


 ネタ枠扱いだったけどさ。


「とちおとめも美味しいわよ」

「…………じゃあ、一口もらおうかな」


 一瞬だけ間接キスの文字がよぎったが、別にあーんしてるわけじゃないし。いまさら気にするのも恥ずかしいし。どうせ氷雨は気にしてないし。アホらしい。


 味は、なんつうか。甘酸っぱい。美味しいんだけど、よくわからなかった。


「どう?」

「美味しいな。栃木のいちごは格別だ」


 うまいこと誤魔化す。


 あとはそれぞれが、自分のぶんを楽しめばいい。また一口、口に運ぶ。

 ちらっと氷雨のほうを見れば、やはり彼女は、どこか遠くを見るような目をしていた。今日一日、ずっとそんな感じだ。


 俺との時間を通して、俺ではないなにかと向き合っている。

 おそらくは、父親と。


 涼やかな風が吹いた。暑い夏には似合わない、クーラーのような一吹き。

 氷雨がぶるっと体を震わせる。嫌な寒さだ。


「……降るな」


 呟いたのと、最初の一滴が落ちてくるのは同時だった。

 晴れた空から、滝のように雨が降ってくる。

 頭上にあった木が運良く雨宿りの場所になってくれる。空は一気に暗くなって、さっきまでの晴れが嘘のようだ。


「ゲリラ豪雨ってやつだろうな。運が悪い」


 止むまでここにいたいが、高いところでもない。すぐに足下が濡れてしまう。

 氷雨はサンダル……服も濡れさせるわけにはいかないし、風邪を引かせるなんてもってのほかだし。


 しゃーない。


 残りのかき氷を食べ終える。


「傘とか買ってくるから、ここで待っててくれ」

「え、この雨なのに……」


 ついでにカップとスプーンをお店で捨ててもらって、雨の中を走る。大粒の雨が、あっという間に全身をびしょ濡れにする。

 最悪だ。でも、雨の中を走るのは嫌いじゃない。後悔するけど。着替えもないし。


 駅前のコンビニに入って、傘とタオルを買う。

 外に出て、傘を差して気がつく。既にずぶ濡れの俺。傘、意味ねーじゃん!


 それでも傘は差して戻った。この雨の中、差さずに走っていたら完全に不審者だ。


 戻る頃には、周りに誰もいなくなっていた。車に避難したり、どこかへ移動したようだ。

 氷雨に傘を渡す。

 彼女は困惑した顔をしていた。不思議そうではなく、ただ戸惑っていた。


「ほい、傘。そんでタオル。とりあえず移動するぞ」

「ずぶ濡れじゃない」


「いいんだよ、俺は。そのうちここも水没しそうだし、早く」

「よくないわ。風邪を引いたらどうするのよ」


「そんときは治せばいい」

「阿月くんって、時々なにを考えているのかわからないわ。ここで待っていればよかったじゃない。なのにどうして――」


 どうしてこいつは、こんなことに突っかかってくるのだろう。

 どうしてこんなに、必死になっているのだろう。


 俺が濡れているから? 俺が風邪を引くから? わからない。だとしたら、ありがとうなんだろうけど。そうじゃなくて。なにもかもが違っていて。


 イライラする。


 どうしてこんなに無自覚なんだろう。

 あれだけ告白されておいて。自分がどう見られているのか、ちっともわかってない。


 もちろん、俺は氷雨小雪に恋をしていない。恋愛感情なんてものはない。だけどそれ以前に、俺は男で、男としてのプライドもあって――


「せっかくオシャレして来てくれた女の子を、泥だらけにできるかよ。その服、気に入ってるんだろ? 化粧だってしてる。氷雨さんがどう思うかは知らないけど、それは俺にとって、俺が濡れることより大事なことなんだよ」


 一気にまくし立てる。

 また柄にもなく熱くなってしまった。こういうのは得意じゃない。冷静になると恥ずかしくて、逃げたくなる。


 いっそ晴れろ。晴れてしまえ。


 それで全部、笑い話になってくれ。


 だけど雨は止まない。

 周りの音もふさがれて、世界に二人だけ取り残されたようだった。


「行くぞ」

「……うん」


 氷雨はそれ以上なにも言わなかった。それだけが救いだった。







『――駅付近で土砂崩れが発生し、現在線路の復旧作業を行っております――お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけしますが、今しばらくお待ちください』


 …………は?


「いやいやいや」

「……た、大変なことになったわね」


 運転見合わせが一時間ほど続いて、運休の文字に変わった。


 俺たちは、帰れなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が大人の言葉を真似する様を "少し大きめの靴を履く様な気持ちで" って表すのオシャレすぎて全然眠れないんだがッッッ!!
[一言] めっちゃラブコメしてて嬉しい…
[一言] これはお泊まりするかなぁ(ワクワク) 果たしてこれからどうなるか次回待ち遠しい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ