20話 少女はまだ、それを恋とは知らず その2
電車はしばらく海沿いを走る。
朝の水平線は、乱反射した陽光でスパンコールのようだ。
ぼんやりしていると、ちょんと肩をつつかれる。
「ねえ、あれからずっと気になっていたのだけど。阿月くんはどこから来たの?」
「札幌から」
「遠いのね」
「そうでもないさ。飛行機を使えば、半日もせずに行ける」
「本当?」
「飛行機って、物凄く速いんだ。下手したら空港までの時間のが長いくらい」
感覚としての距離感と、実際の距離感は違う。交通手段が発達するほど、地球は小さくなっていく。
「まあ、高いけど」
「そうよね」
氷雨は少し安心したようだった。
それから、北海道という地について興味が湧いてきたらしい。
「雪は降るの?」
「そりゃあ毎年。街中が真っ白になるよ」
「真っ白……そんな雪は、見たことがないわ」
「過酷だけど、綺麗でもある。過酷だけど」
膝下まで積もった雪の中を、学校まで行軍する。傘は意味を為さず、雪かきは大自然の前には無力だ。作業した数時間後にはまた元通り。賽の河原かよ。
「行ってみたいわね。夏に」
「それがいい。向こうは快適だから。こっちの夏も、嫌いじゃないけど」
「そうなの?」
「札幌は蝉が鳴かないからな。風情が足りない」
「あれが好きな人なんていないと思っていたけれど……無い物ねだりなのね。結局、私たちって」
「違いない」
トンネルをいくつか抜けて、海が見えなくなる。線路は関東平野に入って、田園地帯を通り抜ける。
青々とした自然。息苦しいくらいの生命の色彩。暑さで揺らぐ空気。
隣で氷雨がくすりと笑う。
「いいわね。阿月くんは」
「なにが?」
「景色を見ているだけで楽しそうなんだもの。ずっと移動ばかりで、退屈じゃないか不安だったから」
「そういう氷雨さんは? ちょっと退屈してる?」
「…………してないけれどね」
「じゃあ、しりとりでもするか?」
口にしてから、もしかすると俺はバカなのかもしれないと思う。
高校二年生にもなってしりとりとか、絶対乗ってこないだろ。しかも相手は今をときめく女子高生なわけで。当然、もっと洒落た遊びのほうが好きなわけで。
「するわ」
「だよな。やっぱりもっと別の――」
「するに決まっているのよ」
「するの!?」
「さあ、最初のお題をちょうだい。時間が惜しいわ」
「モチベが高い!」
なぜか氷雨は目を輝かせていた。早く早くと急かすように、こっちに体を近づけてくる。
やめろ。ほんと、軽く腕が当たってたりするのが心臓に悪いし。気にしないようにしてもいい匂いだし。これだから女子ってのは。
「じゃ、じゃあ、しりとりの『り』からな」
「リービッヒ冷却器」
「リービッヒ冷却器!?」
化学の実験でごくたまに使われるあれのこと!?
氷雨は自信ありげにこくりと頷く。
「次は『き』よ」
「お、おう……。じゃあ、キツツキ」
「紀貫之」
「紀貫之!?」
土佐日記のあの人!?
言葉選びの癖が強いよ氷雨さん。
「これが同文字返しなのね……。ふふっ」
やけに楽しそうだし。
「き、……じゃあ、木」
「さすが阿月くん。手強いわね」
しりとりってこんな遊びだったっけ?
◇
結局『る』が最後の言葉を相手に回すのが強いよな。という結論を得てしりとりが終わる。決着がつかなかったのは、降りる駅が来たからだ。
「今日は引き分けにしましょう」
「さすがに高校生の語彙力だと続くな」
なにか縛りを設けないと、終わりが見えない。『る』から始まる言葉には悩まされたけど。
ホームに降り立つ。田舎の小さな駅だ。無人ではないが、コンビニも併設されていない。改札から外に出て、体を伸ばす。
視界に入るのは、木と田んぼと、瓦葺きの屋根。絵に描いたような日本の原風景。
野焼きの匂いもしてくる。
「田舎ぁ!」
「嬉しそうね」
「ちょっとアガると思うんだけど……そうでもない?」
「そうでもないわ。でも、嬉しそうな阿月くんを見るのは楽しい」
「恥ずかしいなおい!」
はしゃいでる子供を見守る親の目をしていた。そんな母性を向けないでほしい。
悲しくなって肩を落とす。
「それで、ここでなにをするんだ」
「待機ね。次の電車まで」
「乗り換えか。どのくらいだ」
「四十分後。だから、少し早いけどお昼にしない?」
駅前広場の時計を確認する。11時20分。まあ、ちょうどいい頃合いか。
「おし。じゃあ、そうするか」
「あっちの方に川があるらしいから、そこにしましょう」
頷いて歩き出す。
知らない町。北も南も分からない場所を、氷雨と二人で。それはあまりに特別なことで、意識すると妙にくすぐったい。ポケットに手を入れて、気にしないよう振る舞う。
小さな川だった。浅く、透き通っていて、子供が遊んでいる。
「…………」
その光景を見て、なにを思ったのだろうか。しばらく氷雨は黙っていた。
先に座って、使い捨てのおしぼりで手を拭く。今更ながら、レジャーシートは必要だったかななんて思う。氷雨のロングスカートは、地面とは相性が悪い。
立ち上がって、ベンチを探す。幸い近くにあった。
氷雨はまだ、子供たちを見つめている。心ここにあらず。
「どうした?」
問いかけると、氷雨は首を横に振る。
「いえ、なんでもないわ。どうでもいいことよ」
「ふうん。あそこのベンチに座ろうぜ。服が汚れる」
氷雨はやはり、なにかを考えているようだった。けれど、本人がなにもないと言うのなら気にしないでおこう。
嫌なことを思い出した、という雰囲気ではないし。
ベンチに座って、菓子パンをかじる。のどかな空気だ。会話はない。時折吹く風が心地よく、このままここにいるのも悪くない。と思ってしまう。
まあ、そういうわけにもいかず。次の電車の時間は近づいてくる。
立ち上がった氷雨は、どこか吹っ切れた表情をしていた。
「さあ、行きましょう。絶品スイーツが待ってるわ」
「マジでか」
「マジでよ」
不敵に笑う少女に連れられ、旅はまだ続く。
いちゃつきやがってよ。