2話 カフェでばったり会っただけ
氷雨小雪との出会いは、二週間ほど前。
休日の午後を、読書でもしてすごそうとカフェを訪れたときだった。
入ってすぐ、「一名様ですか?」と聞いてきたのが彼女だった。
落ち着いた配色の制服。学校のよりもいくぶんか大人びていて、美人の彼女によく似合っていた。
「あ……」
俺の姿を見ると、氷雨はほんの一瞬固まった。
我が校はバイト禁止なのだ。このことがバレたら、停学は避けられない。
できるだけ自然な動作で、お気に入りの席を指さす。氷雨に気がついたという素振りは見せない。
「窓際の席、空いてますか?」
「ご案内します」
俺はまったり優雅に読書をしに来たのであって、校則違反を咎めにきたわけじゃない。どうして氷雨が俺の顔を知っているかはわからないけど、無視だ無視。
コーヒーとプリンを注文して、本を開く。
ここは住宅街の中にぽつんと建った隠れ家のような場所。平日は主婦の方々で賑わうが、休日になると落ち着いた空気が流れる。
心を落ち着けるには最高だ。
今日のお供は、五年前に発売したミステリー。ところどころにユーモアある一文がちりばめられ、終盤にかけて膨大な量の情報が開示されていく。
死体が三つ目になったあたりで、一旦顔を上げる。
店が妙に騒がしかった。うるさいまではいかないが、ひそひそ声が届いてくる。
二つ向こうのテーブル席。四人組の女子。同年代くらいだろう。
こんな閑静な住宅街にも、来るもんなんだな。今時若い女子ってのは、駅前にしか生息していないと思ってた。
「――ねえ、あれ、氷雨さんだよね」
「うん。ちょっとしか見えなかったけど、絶対そうだよ」
「あれ? うちの学校ってそういうのダメだよね?」
耳を澄まさずとも聞こえてくる。否。聞こえるように話している。そういう音量だ。
他の客もいるってのに……。
「やっぱり本当なんじゃない。大学生の彼氏がいるって話」
「あー。貢いでるの?」
「どう考えても貢がれる側でしょ」
「あのー」
静かに近づいていって、割り込んだ。
これ以上うるさくされると面倒だ。ここは居心地のいい場所だし、これからも通いたいからな。なるべく温厚に。
女子は四人。
同じ学校だろう。残念ながら顔と名前は一致しなかったけど。なんとなく見覚えはある。
「君たち、氷雨さんのこと嫌いなの?」
「あ、阿月じゃん」
窓側に座っていたポニーテールが反応してくる。なんとなく他の三人も、「ああ、阿月ってあの阿月ね」みたいな雰囲気になってくれる。
ごめん。俺には君たちが誰だかわからない。
「うん。ウチら氷雨小雪が嫌いだよ。今日だって、みのりんの失恋なぐさめ会に来たのに。その原因さんが働いてるんだもん」
「へえ、そりゃ大変だな。で、みのりんさんの失恋って具体的に?」
「盗られたのよね。『他に好きな人がいるから』って。ウチらそんなのばっかり」
まあ確かに、氷雨の人気はすごいわな。
うちの学年の男子、ほとんどが氷雨派か小日向派に属している。単純計算で二人に一人が彼女のファンなわけで。そうじゃなくても、小日向ひまりという裏ボスまでいるわけで。
女子は大変だよなぁとも思う。
「なんで氷雨さんのほうがよかったんだろうな」
投げ掛けると、みのりんさんは俯いて呟く。
「そんなの、顔でしょ」
「本当にそうか?」
「どういう意味よ」
店内は緊張感に包まれている。これが終わったら、俺もさっさと帰るか。
「聞こえよがしに悪口言うようなやつ、俺は付き合いたいと思わないぞ」
「うっ……」
「腹立つのもわかるけど、あんまり怒ってもいいことないし。ま、バイトの件は俺から先生に言っとくからさ。このへんで収めてくれないかな」
「…………」
しばらく沈黙が続いて、みのりんさんは頷いてくれた。
「わかった。今日は帰る」
「おう」
俺もさっさと退散しよう。
女子四人が帰っていくのを確認しつつ、帰り支度をする。マスターには申し訳ないことをした。しばらくは来ないほうがいいかもな……。残念。
立ち上がり、会計の準備をする。
「待ちなさい……じゃなくて、お待ちください」
カチャンと陶器の音がして、コーヒーが目の前に置かれる。ケーキと一緒に。
持ってきたのは氷雨だった。
「あの、注文してないんだけど」
「賄賂よ」
「いや、言わないって。さっきのはブラフだからな」
「違う。店長からの」
「店長?」
「これからも贔屓にしてくれって」
それだけ。とすげなく告げて、背を向け戻っていく。店の奥にいる老紳士の店長と目が合う。ふわっとした笑顔を向けてくれた。
どうやら、出禁にはならなかったらしい。
ケーキを楽しんで、今度こそ帰ろうと思ったとき、再び氷雨が近づいてきた。今度は私服姿だった。バイトは終わりらしい。
白のブラウスとベージュのカーディガンにロングスカート。やけに上品な雰囲気をまとっている。
「阿月くん」
「ん?」
初めてちゃんと言葉を交わす。『氷雪の女王』と呼ばれる彼女は、噂で聞くよりもずっと普通の女の子に見えた。
「ありがとうございました」
「気にしなくていい。俺はなにも見てない」
「…………」
「どうした」
「いえ、弱みを握った人の反応とは思えなかったから」
「弱みって。脅したりしないって」
軽く笑うと、不思議そうな顔をされた。
弱みを見せたら脅される。それがどんな形なのかは知らないけれど、彼女にとっての常識なのか。
「どうすれば安心できる? 俺もなにか弱みを見せるとか」
「いらない」
氷雨は首を横に振る。
「あなたのことを信じるわ」
「わかった。じゃあ俺は裏切らない」
会計を済ませて店を出る。
帰り道が途中まで一緒だったので、そこまでは並んで歩いた。
俺と氷雨の関係なんて、ただそれだけのものだ。
次話 二人の距離がちょっと縮まります。
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