17話 少女の笑顔と夏の始まり
木曜日。体調を治した俺は、前日やるはずだった期末テストを受けていた。
「はい、やめ。答案回収」
「ういっす」
たまたま手の空いていたルリ先生が監督役で、空き教室に俺一人。つまり、休んだのも一人ということか。
「昨日の出席率はずいぶん高かったんですね」
「昨日休んだら今日も休んでるだけよ。で、何点くらい取れそうなの?」
国語の解答用紙をひらひらさせながら聞いてくる。
手応えか……ううむ。記述問題もそこそこあったから、減点も加味して考えると、
「よくて八十五点とかですかね」
「なら評定は2ね」
「納得がいかねえ!」
「ちなみに平均点は九十七点よ」
「唐突の学力インフレ!?」
国語でその点数を叩き出す奴らなんなの? コミュ強なの?
「実際は6割くらいね」
「じゃあ、評定4はくださいよ」
「えぇー」
「嫌そう! 俺の成績上げるのすごい嫌そう!」
白衣をパタパタさせながら、ルリ先生は顔をしかめる。
どういう感情表現なんだそれは。
「阿月っち。子供はちょっとバカなくらいが可愛いのよ」
「その年齢はとっくに過ぎてるんですよ! 高二のバカとか手がつけられないだろうが!」
「盗んだバイクで走り出しなさい」
「推奨しちゃダメなやつ!」
「あんたは小賢しく生きすぎってことよ。今回のことは褒めてあげるけど」
「うっ……」
効く言葉だ。思わず苦い顔をしてしまう。
「次はもっと上手くやりなさい」
「……あんまり考えたくないですね」
「あんたが変わらない限り、一生つきまとうことでしょうが」
否定できない。
これからも俺はきっと、誰かの問題に首を突っ込む。見逃せず、解決を求めてしまう。
だったら、考え続けるしかないのだろう。
「そういえば、氷雨っち。自分から校則違反を言いに来たわよ」
「はい?」
「だから、自首しにきたのよ。けじめだったんじゃない?」
「……どうなったんですか」
「反省文で終わり。どうせ明日で学校は終わりだし、本人からの謝罪もあるし。あとはぶっちゃけ、母子家庭っていうのが大きかったみたいね」
「すごいぶっちゃけだ」
「そのくらいの配慮がなきゃ、お互いにやってらんないのよ」
アホらしいわ、とぼやき、白衣のポケットに手を入れ、そのまま教室から出て行く。
あの後、詳しい話はまだ聞いていない。会って話したいと言われているのだ。今日の放課後。
だけど、上手くいったのだろう。嫌な予感は、もうしない。
廊下を歩いていると、角のところで小日向に会った。
「おー。お疲れテツくん。調子はどう?」
「いい感じ。体調も、テストも。小日向は?」
「まあまあ!」
「手応えとテンションが合ってないんだよなぁ」
絶妙にコメントしづらい。
「今回は国語がけっこうできたからね――あ、えっと……あの、あそこ、UFO!」
「氷雨のことなら、もう大丈夫だぞ」
平成初期みたいな話のそらし方をする小日向に、終わったと報告する。
「そうなんだ。――ええっとね! UFOっていうのはカップ焼きそばのほうでね! そう、それが浮いてたの!」
「大事件じゃん」
顔を真っ赤にして弁明する小日向。
軽く笑うと、不機嫌そうに唇を尖らせる。怒っているわけではないので、見ないフリ。
「夏休み、どっかで遊ぼうぜ」
「うん! 夏祭り行きたい」
「採用。じゃあカズキチにも言ってみるか」
「小雪ちゃんにもね」
「もちろん」
楽しい夏になればいいと思う。
そうするために、俺になにができるだろうか。考えてみる。
このくらいの小賢しさは、まだ持っていてもいいだろう。
◇
期末テストが終わってから僅か二日でテスト返しまで行う。という明らかなスケジュールバグを抱えた職員室は、どこも戦場のようにひりついている。
生徒は入室を許されておらず、いつもの荷物運びは扉の前で終わり。
ルリ先生も大変だなぁ。なんて、今日ばっかりは謎の優越感に浸りつつ、昇降口へ向かう。雑用をこなしていたので、他の生徒よりは明らかに遅い。
氷雨には待っててもらうよう言ってあるのだが、急ぎ足で階段を降りる。
降りきって、昇降口に達したところで声が聞こえた。
「好きだ! 付き合ってくれ!」
咄嗟に物陰に身を隠す。今の速度、完全に忍びの者だった。
それにしてもこの状況、どこかで覚えがあるような……。
「ごめんなさい」
「え、あ、そう。だめかー。やっぱりあの噂って本当なのかな」
「噂?」
「阿月と付き合ってるっていう……」
「いいえ。そんなことないわ。私は阿月くんに恋愛感情を抱いていないし、彼もそうなのだから」
「そうなんだ。……阿月でもダメなのか。じゃあ、無理だよな。わかった。ありがとう」
足音がすぐ横を通り抜けていく。壁にぴったりと擬態した俺には気がつかなかったらしい。危ない。安堵の息を吐く。
「隠れても無駄よ」
「どわっ! 驚かせるなよ」
「面白い驚き方ね」
「恥ずかしいからやめてくれ。っつうか、気づいてたのかよ」
「私でなければ見逃していたわね」
「死亡フラグを立てるんじゃない」
ツッコミを入れると、氷雨はくすりと微笑む。イタズラが見つかった子供のように純粋に、嬉しそうに。
そのことに、本人は気がついていない。
「どうしたの? 私の顔になにかついてる?」
「なんでもない」
なんでもなくていい。こんなふうに自然にこぼれる笑みを、特別扱いする必要はないのだから。
「で、あの後どうなった?」
「順調――ではないと思うわ。でも、ちゃんと考えてくれるみたい」
「そうか。なら、よかったでいいのかな」
「ええ。少なくとも、後悔はしていないわ」
なら、それ以上のことはないのだろう。
昇降口を出て、駅までの道を歩く。
まだ高いところにある太陽が、夏の始まりを謳っていた。
夏休み編だぁああああああああ!!!
二人で同じ部屋で夜を明かしたりします(します)。