11話 ヒーローになりたいわけじゃない。
テツって、脇役みたいな名前だよなぁと思う。二文字だし、やけに呼びやすいし。なんか真面目そうだし。
だから気に入っている。
脇役っていいよな。理想はラブコメの脇役だ。あたふたする主人公がいて、そいつに的確なアドバイスをする。どっしりしていて、女心もわかって、ヒロインのこともこっそり支える。
かっけーんだよな。そうなりたいんだよな。
でも、脇役って大変だ。気がつくのに時間がかかった。俺たちが動くのは舞台裏だ。誰も見たくないものを、誰かに見せられるようにしなきゃならない。
理想を目指せば現実が立ち塞がる。わめいてるだけじゃ、なにも変わってくれない。
だから俺は、悪人になることを選んだ。
誰も傷つけない、ひとりよがりの悪人に、俺はなりたい。
◇
「今日もご苦労さん、アヅキチ」
授業に使う教材を運び終え、職員室で優雅にコーヒーを飲むルリ先生に報告。この人、ありとあらゆる雑用を俺に押しつけてきやがる。
週明けの月曜から扱いがひどいぜ。
他のクラスのぶんまで運ばされた。一人で。筋トレかと思った。ムキムキになったらどうしよう。海にでも行こうか。きっとモテる。
「その呼び方、妙にしっくりくるので嫌なんですけど」
「小豆ぃ」
「その間違いはまじでされる」
阿月の「づ」を「ず」と聞き間違えると小豆になる。
けっこうな頻度で書き間違えとかがあって、卒業式の寄せ書きでも間違われたことがある。
「阿月っち、うん。やっぱりこれがしっくりくるな」
「育成されそうだなぁ」
「ん? 元ネタ知ってるのか。私の世代だと思うんだが」
「知ってますよ。親がハマってて、昔の家にありましたから」
「なるほどだ。ちなみに私は、総プレイ時間千時間の猛者だからな。舐めるなよ」
「どういうマウント?」
空になったマグカップを置いて、ルリ先生は立ち上がる。白衣のポケットにタバコをねじ込んだのは、コンビニまで行く合図だ。
「阿月っちは暇だから来るよな」
「俺の予定を決めつけないでもらえませんかね?」
「私との時間より大事なものがあるのか」
「生徒相手になに言ってるのこの人!?」
「いいから行くぞ」
「了解です」
昼休みだから、本当はいつも通り一輝たちと談笑する予定だったんだけど。
まあ、仕方がない。ルリ先生からのお誘いを断ると、取り返しのつかないことになりかねないから。
小日向は今日ミーティングだからいいとして、氷雨には送っておくか。もう教室まで来てるかもしれないけど。俺がいなかったら帰るかな?
一輝と二人で話してたら……ホラーだ。怖すぎる。マジでやめてほしい。
風船が爆発するまで膨らませるみたいな、ああいうドキドキがある。ホラーではないか。どっちも似たようなもんだ。
「コーヒーでいいでしょ」
「俺、水がいいです。ルリ先生も控えたほうがいいんじゃないですか」
「……このガキ、正論を」
「今の発言は聞かなかったことにしますね。教育上よろしくないので」
俺もルリ先生も、考え事をしているとコーヒーを飲みたくなる傾向がある。ひらたく言えばカフェイン中毒ってやつで、身体によくないのは確かだ。
渋々買ってきてくれた水を受け取り、蓋を開く。
「ごちそうさまです」
「出世したら、いつか必ず返させる……ふふっ、回らない寿司の準備をしておきなさい」
「回らない寿司……っ!?」
「残念だったわね阿月っち。あんたが社会に出て最初に孝行するのは親でも恋人でもなく、アタシなのよ」
「嫌すぎる!」
お世話になってはいるけど、思いっきり要求されると抵抗したくなる。
くっくっくと不気味に笑いながら、ルリ先生はタバコを取り出す。今日もライターは持っていない。
指の先でタバコが回る。それが切り出しの合図だった。
「で、なんか進展はあったの?」
「どうなんですかね。難しいところです」
「はぐらかしたら評定を二段階下げる」
「怖い怖い怖い!」
権力者の横暴じゃん。
ああくそ、冗談がきつすぎる……いや。違うのか?
表情こそいつものダラッとした感じだが、目が笑っていない。怒ってもいないけれど、真剣だ。
「えっと、あの、けっこうヤバい感じになってますか?」
「生徒のバイトを見逃して、ヤバくないわけがないでしょ。首飛ぶわよ首」
「ですよねぇ」
わりとリアルな問題で、引きつった笑みになってしまう。笑っている場合でもない。
俺や氷雨は子供扱いだから、きっと許してもらえる。だけど、ルリ先生は違う。大人だから間違えてはいけない。
そのリスクを背負って、加担してくれているのだ。
「さっさとなんとかしなさい。なんとかならないなら、早めに言いなさい。最終手段を使うから」
「最終手段?」
「三者面談。この世の終わりに使う、教員のユニークスキルよ」
「それは……使わせるわけにはいかないですね」
「でしょ?」
「はい」
じわりと汗が滲むのは、暑さのせいだけではなかった。
強硬手段を使えば、表面上の問題は解決するだろう。けれど、氷雨は二度と心を開いてくれなくなる。根っこに深く残った問題は、いつか彼女自身を消してしまう。
悠長にしている時間は無い。一方で、強引に事を運ぶこともできない。
「あとどのくらい、猶予はありますか?」
「2週間あげる」
「わかりました」
その期間が意味するところは、一つだった。
「夏休みまでに決着をつけます。なので先生、力を貸してください」
真っ当な手段だけで足りないのなら、裏技だって使うしかない。
理想の裏側はきっとつぎはぎで、それを縫うのが悪人の仕事だ。
◇
俺の放課後、いっつも誰かと会ってるな。
帰宅部なのに贅沢なことだと思う。面倒事はあれど、総じて見れば悪くない。
非常階段の踊り場で待つ。
俺は裏切り者だ。最初からずっと、裏切り続けている。嘘を吐いていなくても、氷雨を騙していることになるのだろう。
だから、本当に。
氷雨小雪は俺のことをよく理解してる。
俺は嘘を吐く。必要とあらば、誰に対してでも。
ただ、傷つけようとは思っていない。そこには確固たる基準があって、自分の中では納得している。
どれだけ理屈を並べても、嘘は嘘だけど。
上履きの音がして、目的の人物の声がする。
「やっほ阿月。ごめんね遅くなって」
「いいよ。気にしないで」
振り返ると、ショートカットの女子生徒が立っている。
名取みのり。
カフェで会ったときはポニーテールだったが、あれ以降にばっさり切ったらしい。短いほうが似合っていると思う。
ちゃんと話すのは初めてだ。
「で、話ってなに? ウチ相手に告白はないでしょ」
「もちろん。氷雨の件だ」
空気がひりつく。まだこの話題を取り出すには、彼女の傷は新しすぎる。
けれど。
話をしなければと思った。口封じの意味も確かにある。だけどそれだけじゃない。
それだけなら、こんな回りくどいやり方はしない。
「みのりんさん。俺は君のことを裏切った。だけどそのことを、許してほしいんだ」