新自由主義者というのは、マジで極左なんじゃないか?
日本は世界で唯一無二のデフレ長期記録保持国家である。物価指数が下落し続けるという狭義のデフレが長けりゃ、政府が定める広義のデフレ、つまり再デフレの可能性が無いと判断する基準を満たさない期間も非常に長く、驚愕する事に現在進行形で継続中である。
そもそも、デフレが駄目であるというのは全経済学の共通認識である。デフレは需要を縮小し、生産能力を崩壊させることでしか復帰しない。しかし、消費者は生産活動に従事する事で所得を得ているので、入れ子構造となっている。結果として同じ計算を繰り返し何処までも落ちていく。もはや語りつくされたデフレスパイラルの構図である。この状態で経済成長を目指すなどと言うのは夢物語に過ぎない。故に”まずはデフレを脱却をどうするか?”という問題があるわけだ。
そして、その為の政策は2種類しかない。金融政策と財政政策だ。
金融政策に関しては、量はともかく質としてはかなり無茶やっている。ETF(上場投資信託)の購入までやってるのだ。ちなみに、ETFの議決権は証券会社が保有し、彼らが行使する。日銀がどれだけETFを保有しようが国有企業になんてならない。とっても安心だね()まぁ、もはや日銀が購入できる国債が市場に無いのだ。しかし世の中は不可思議な事に、これでも国債発行&財政政策を行う事に極端に反対する人間がいる。重鎮クラスですら、国債発行して使わずに金融緩和しようとか意味不明な事言ってるのだ。
某所でそういう人間の主張を見てきたのだが、彼らの論法というのは、9条教徒だとか自己否定論者界隈のモノと大差の無い代物となっている。即ち、藁人形論法、オールオアナッシング、論点のすり替え、循環論法などの詭弁論法だ。彼らは自分たちを合理主義者だと思っているらしいが、彼らのやってる”合理化”とは心理学用語の方の合理化だろう。つまり自己正当化をしているに過ぎない。
彼らが大好きな藁人形を叩く際の文句は『○○は万能薬じゃない~』である。ま、パヨク界隈が脊髄反射の様に口にする文句であるが、それを言った後の行動も全く一緒でゲンナリしてくる。風邪薬を出したら「腰痛には効かない!」とか「副作用がある!」とか言い出すが如き屁理屈である。
曰く、マクロ経済政策は効果が出るのに時間がかかる。
曰く、社会の中の立ち位置は変わらない。
曰く、インフレになっても富裕層は資産をスワップするだけ。
我が国が30年以上かけてこうなった事が、明日明後日で問題解決とならないなんて、普通に考えてわかるものだ。自分が利益を得られない~なんてのもアホクサイ。そもそもデフレ脱却を目指すのは、経済成長を促す為であり、経済成長無くして社会全体の所得が増える事が無いなど当たり前である。自分の利を超えたモノの見方が全く出来ないのだろうか?
そして、『立ち位置』とは? 高度経済成長期・バブル期において、公務員は社会の底辺が行く扱いで、自衛隊に至っては人間? と言うレベルの人間が行っていたそうだが、いまや競争率が大変お高い職場である。なにか社会での立ち位置とやらが変わったのだろうか? そう、ここで言われている”立ち位置”とやらは富裕層と貧困層以外に何もない粗雑極まる基準で、言葉を言い換えただけなのだ。
だいたい、手持ちのカードを環境に合わせて換えれる者が環境変化に強いのは当たり前の話だろう。そんなのはデフレ・インフレに無関係に進行する話である。全ての格差がデフレで発生する訳でないというのも当たり前の話で、資本主義が構造的に抱える問題など様々な要素がある。気が付くと、彼らは格差とその解消について話をしているのである。それが出来ないから財政拡大は無効なんだァ~という訳だな。要するに、論点のすり替えである。
次に彼らは何と言うか? 『貧乏人は、”何もせずに口を開けているだけの集団”』と主張し、環境を整えても無駄だ~とか言い出す。実に分かり易い01論法だ。勿論、そういうのが存在しないとは言わないが、全ての貧困グループがそうであるなどという発想は意味不明の域に達している。そもそもがどのような政策を取ろうとも、手を掴んだ者から救済されるのは当たり前の話で、自助努力そのモノの否定などしようがない話である。意味を見出すとすれば、パヨクがよく主張するような、全員が救われないなら誰も救われるべきではない的な戯言でしかない。
結局のところ、なんでこんな意味不明な言動を並べ立てる事になるかと言うと、彼らはゼロサムを前提にゼロサムであると主張する作業を延々と続けているからである。彼らが神聖視しているのは『極めて単純化された貨幣中立論』である。貨幣中立論とは何かというと、スペインが南米から持ち帰った黄金、すなわち貨幣の流入がインフレを起こした事を説明する為の論理である。
つまり、”ブツの生産が変動しない前提下において”貨幣の流入量が増えるとインフレが起きるというだけの話。コレだって、当時のスペインが有する問題を全て無視する為の仮定だ。そんな、限られた範囲の話を彼らはなんにでも適用しようとする。
つまり、彼らはブツの生産が変動しない世界に住んでいるのだ。彼らの頭の中では、明治時代と今の生活は物価が高騰しているだけで何も変わっていないという訳だ。このような世界において、インフレもデフレも”物価のスライド”が発生するだけなので、生活の質は社会の立ち位置とやらで全て決定される。要するに、成長不可能論者の戯言に過ぎないのである。
ホント、インフレをどう計測するかとか、GDPの恒等式ぐらい理解してくれから経済について語ってくれとしか言いようが無い。
そもそも、彼らは現実の価格変動をどう考えているのだ? ある日いきなり価格が全て変動する? そうなるのは”完全競争市場”という架空の世界の話である。現実は、市場へのアクセス、需要供給の変動、商品価値への知識の偏り、諸々の要因でそんな事は起こらない。情報や物資の流通には明白に上流下流が存在している。そんなのは考えるまでも無い至極当たり前の”現実”である。この明々白々な事実を彼らは認められないのである。
この30年、連中は何をしてきただろうか? 「既得権益を破壊する」とか息巻いているが、NHKもD利権も朝鮮利権も、何も変わっていない。NHKは相も変わらずホテル一部屋一部屋からみかじめ料を徴収し、特定の政治集団に属する経済箱物はノー批判で設置される。”いわゆる拉致”から変わっても、ごにょごにょ戦後賠償とかやろうとしている売国奴がのさばっている。無駄を無くそうと思ってやってるならマイナス100点、日本の足を引っ張りたいなら100点満点といったところだ。
官僚主義的に緊縮しやがった結果が今だ。もはや財政支出をしなければどうにもならない事など、ありとあらゆる指標が提示している。バカみたいにサボった結果、供給能力にすら問題がある。それでもまだ続けようという訳だ。彼らの言う現実とは「今更路線を変更すると自分たちの責任問題になる」というだけの話だ。彼らの現実認識は楽観主義に溢れ、現実なるものはどこにも存在しない。