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コピーライターの菜須よつ葉

作者: 日下部良介

菜須よつ葉さんへの誕生日ギフト小説です。

 通勤電車は相変わらず混み合っていた。

 この春に就職して2か月半。満員電車に揺られるのにも少し離れてきた。出勤する多くのサラリーマンたちと一緒に電車から吐き出されたよつ葉もその波に乗って歩き出す。会社に着いて一息ついたよつ葉に上司の日下部が声を掛けた。

「そろそろ仕事にも慣れて来たか?」

「はい」

「そうか、じゃあ、今度雑誌に載せる広告のコピーを考えてみろ」

「はい! ぜひお願いします」


 よつ葉が入った会社は小さな広告代理店だった。小さい頃に見たテレビのコマーシャルフィルムに流れたキャッチコピーに感銘を受けて、コピーライターを目指すようになった。そして、この会社に入った。

 これまでは先輩の仕事の手伝いで紙面のレイアウトに合わせてデータを入力したり営業のお供をしたりして仕事の基礎を勉強してきた。そして、ついにコピーライターとしてデビューしようとしている。


 担当することになったのは提携している得意先でもある洋菓子メーカー平安堂の新商品発売に向けての広告だった。その広告が載るのは地域限定のタウン誌なのだけれど、よつ葉にとっては記念すべきプロとしての最初の仕事になる。否応なしに張り切ってしまう。

 まずは得意先へ打合せに赴く。先輩の日下部に同行し、担当者に面会。初めて自分の名刺を渡すときには少し手が震えた。

「こ、この度、新商品のコピーを任されました菜須よつ葉です。ど、どうぞ宜しくお願いいたします!」

「そんなに固くなりなさんな。もっと気楽にやってくださいな」

 緊張しているよつ葉に対して先方の担当者はにこやかに答えてくれた。交換した名刺には広報部長中山雅史とあった。

「では、早速ですが、これを食べてみてもらえますか?」

 そう言って中山は新商品を二人の前に差し出した。差し出されたのはロールケーキだった。よつ葉はチラッと日下部の方を見た。

「遠慮せずにいただきなさい」

 日下部がそう言ったのでよつ葉は遠慮せずにロールケーキを頬張った。

「いかがですか?」

 中山が恐る恐る尋ねる。

「普通に美味しいです」

「普通ですか……」

 苦笑する中山を見てよつ葉はしまったと思い、言い直した。

「あ、いえ、とても美味しいです」

「いいのですよ。実際、何かが足りないのです。けれど、コストのことを考えると、もうひと手間かけるわけにはいかないのです。安くて旨いものをというのがわが社のコンセプトでもありますし」

「はあ」

 よつ葉は返事に困った。すると、日下部が言った。

「解かりました。お任せください。ご期待に添えるよう頑張ります」

「さすが、日下部さん。では、宜しくお願いします」

 日下部の返事を聞いて中山は満足そうな笑顔を浮かべて席を立った。


「先輩、どういうことです?」

 先ほどのやり取りについてよつ葉は日下部に訊ねた。打合せの帰りに立ち寄ったカフェのテラス席に二人は居た。

「コストを掛ければいくらでも旨いものが作れる。けれど、それでは販売価格も上がってしまう。安いのが売りの平安堂さんだから、あれが限界なんだ。それをわざわざ新商品として売り出すからには気の利いたキャッチコピーで注目を集めたいというのが平安堂さんの思惑なんだよ。おそらく、飽きられる頃には次の新商品が出てくるはずだ。いわば、あのロールケーキはそれまでのつなぎなんだろう」

「えーっ! それってなんか消費者を騙すようで良心が咎めますよ」

「それが俺たちの仕事だ。嫌ならやめればいい。さあ、どうする? やるか、やめるか」

 そんなふうに聞かれたら答えは一つ。

「やります」


 それからよつ葉は頭を悩ませた。なんとか中山を満足させて、かつ、消費者を裏切らなくてすむような文句はないかと。さしあたり、平安堂がこれまで販売してきた商品を片っ端から調べた。定番のシュークリーム以外はどの商品も1~2年程度で販売をやめている。それは流行に乗って販売されたものだろうと思えた。どの商品もそこそこの売り上げは計上されて。消費者の舌が心変わりするのは世の常だとは言え、あまりにも寂しい。そして、それがこの業界の厳しさでもあるのだということも知った。

 いくつか候補が出来上がったところで日下部に見てもらった。

「どうでしょう?」

「悪くはない。けれど、これじゃあ、あまりにもありふれている」

「そうですよね……」

 よつ葉は頭を抱えた。

「なあ、菜須。あれを食べてどう思った?」

「美味しかったですよ」

「じゃあ、素直にそう言えばいいんじゃないか?」

「えーっ! それじゃあ、キャッチコピーでもなんでもなくてただの感想じゃないですか」

「まだ食べたことがない消費者にとってはそういうのが大事なんじゃないか?」

 その日下部のアドバイスでよつ葉は閃いた。


 タウン誌が発行された。それに合わせるように平安堂のロールケーキが売り出された。

「思った以上に売れてます」

 中山から連絡があったのは販売開始からひと月ほど経ってからのことだった。

「生産が間に合わない。またそのことがSNSで話題になって予約が絶えないんですよ」

 よつ葉にはほくそ笑む中山の顔が目に浮かんだ。


 5年後、よつ葉はテレビのコマーシャルフィルムの仕事で優秀新人賞を獲得した。

「菜須、おめでとう」

 日下部の祝福の言葉によつ葉は答える。

「普通に仕事しただけですから」

 そう言って笑うよつ葉を日下部は抱き上げた。

「お前らしいな」

「はい!」


 すべての始まりはあのタウン誌に掲載したコピーから始まった。そのタウン誌をよつ葉は今でも大切に持ち歩いている。そして、そのページを開いては気持ちを奮い立たせている。そこにはよつ葉が初めてプロとして紡ぎ出した言葉が掲載されている。

『普通に勝るものはない! 普通に美味しい平安堂のロールケーキ』

 今ではシュークリームとともに平安堂の定番商品になっている。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ほのぼのとしていて和みますね [一言]  かいとの誕生日は10月9です
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