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幸福の庭  作者: はつしお衣善
10/13

7 残された星

   7 残された星


 世界の終わりは、すでに目の前に迫っていた。カナが死んだことで、相対的に幸福は逓増し、不幸は逓減した。またひとつ、幸福に満たされる世界に近づいたのだ。

 万物は循環する。気は相克する。

 しかし、不幸の気は風前の灯だ。小さく衰え、相克する力もわずか。禍福の天秤は幸福の重みに耐えられない。人類は幸福の波に飲まれ、滅亡する。


   ◆


 黒龍の天使が消滅してから数日が経った。カナとアイちゃんの遺体は、けっきょく弔うことはできなかった。何もかもが燃え尽きてしまったからだ。

 あの日、私たちは夜更けまで黙ったまま寝そべり、月の浮かぶ空を眺めていた。

 たくさんの人が死に、大切な仲間を失った。

 残る天使を倒し、その先に安住の地はあるのだろうか。私はあの夜、ずっとそのことを月に問うた。答えることのない月は、悲しい光を降り注ぐばかりだ。私たちは誰からともなく立ち上がり、リッカ村へ戻った。

 私たちに残されたのは、あの生まれ故郷だけだ。あの村で暮らし、育った記憶はいつまでも色あせない。例え、村人の私たちを見る目が変わっても、それだけは変わらない。あそこだけが、私たちの最後の希望なのだ。私たちは一日中、村を見張るためにバテン・カイトスの背中にいた。眠る時は交代で、片時も目を離さなかった。

 エルフリーデはよく村へ出入りし、私たちに料理を作って持ってきた。私とリディの口数は極端に減っている。彼女の表情も随分と弱り果てていた。きっと、カナを失って天使とどう戦うか、今後どうなるのか、いろんなことを考えているのだろう。おそらく、答えはとっくに出ている。私と同じだ。

 それでも、疲弊したリディの瞳の奥には、以前と変わらぬ光が宿っていることに、私は気がつかないでいた。

「今日はサトイモの煮っ転がしがうまくできたんだ」

 エルフリーデがござを広げて、作ってきた料理を配膳した。見張りを始めて以降、彼女はいつも笑顔で明るかった。怖がりで泣き虫だったはずなのに、どうしてだろう。私が疑問に思って彼女に聞くと、

「うん。もういっぱい悲しんだからね。いまは笑おうって決めたの。それに、これからも時々思い出して泣いちゃうと思う。でもそれで充分だよ」

 と、エルフリーデは髪をいじりながら恥ずかしそうに続けた。

「ねぇねぇ。切ないって言葉はさ、どうして切る、なんて物騒な文字を使うと思う? それはね、〝切〟って字には刃物が肌に当たっちゃって応えるって意味があるからなんだ。いままで知らなかったけど、悲しいことや辛いことって、本当に刃物みたいに痛いよね。心に、グサってくるよ。心に刃物が当たってると痛いから、いつまでも辛いままだから、離さないとね。だから、時々でいいの。ずっと離れ離れだと、いつかその痛みを忘れちゃうから、時々思い出して、悲しめばいいの」

 エルフリーデは笑って話していたが、その目じりには涙がたまっていた。

 弱々しい彼女を守ってやらねばならない。昔からそう思っていたが、なんてことはない。その心は優しく、私なんかよりずっと強い。私の心に刺さった刃物は、なかなか抜けそうにないのだ。大切な人たちを失った悲しみだけではない。恐ろしいのだ。死ぬことが、天使が現れることが――。

「……あ。ふたりとも、見て」

 だから、エルフリーデが空を見上げて声をかけた時、心の底から恐怖して、天を仰いだ。手足が震えるのを必死に押さえて立ち上がり、戦闘態勢に入る。必死の形相で見回したが、空には何もいなかった。太陽と、月が浮かんでいる以外は何も。

「――そうか。日食」

 月と太陽が重なる日。今日は日食祭の日だった。

 今日という日のために編んだ衣装。成功させようとみんなで練習した舞踊。指折り数えて、私たちはこの日を待ち望んでいた。思い返すと、私たちはいつも笑顔で幸せだった。その輝かしい日々を思い出して、私は自然と涙を流していた。

 もし、選定されたのが私たちじゃなかったら、いまごろ無邪気に村ではしゃいでいたのだろうか。何も知らず、代わりに誰かが悲しんでいるとも知らず笑っていたのだろうか。正しいことではないとわかりながらも、私は願わずに入られなかった。私たちではなく、ほかの誰かが涙を流せばよかった、と。

 決して、いま私が流している涙は美しいものではない。悲しみに他人を呪う、醜い気持ちだ。こんな涙、流すべきじゃない。私は頬を伝う涙を拭った。まだ、終わっていない。あの日々に戻ることはできないが、いまからでも取り戻すのだ。失ってしまった幸せを、安らぎを。いまからでも遅くはないのだから。

 ――しかし、世界の終わりは目前にあった。私たちの力はあまりに弱く、私たちの希望はあまりに儚い。

「あ、れ? お月様と太陽が……」

 エルフリーデが不安の声を漏らす。私は瞑目していた目を開き、再び空を見上げた。

 月は赤く、太陽は青く。ふたつの星は暗く猛る。大空にたったふたつ、その存在を許された星。淡い月光は怪しげに、紅蓮の炎は静謐に。隣り合ったふたつの星は落書きのような笑みを蓄えた。

「嘘、でしょう? まさか、あれが天使なの?」

 月と太陽の天使は、あやふやに笑って地球を見下ろしている。笑い声さえ聞こえてきそうだ。変貌を遂げたふたつの星が、終焉を迎える世界を嘲る。

 人間のみならず、あのふたつの星はすべての生命にとって神のような存在だ。ひとつたりとも倒すことなんて不可能である。それをふたつも同時に相手にするなんて。

「攻撃してくる様子はありません。いったい、何が目的なのでしょう?」

 あいつらが天使なのなら、その目的は決まっている。人類の幸福、すなわち死だ。それも、いままでの天使とは格が違う。

 ふたつの星は徐々に近づき、痛いほど触れ合う。

 太陽は月より遥かに大きく、遥か遠くに位置している。現実的に考えれば、月と太陽の衝突などあり得ない。大きさの違うふたつの星が、さほど変わりない大きさと距離に見えるのは、無限遠の距離にあるからだ。その巡り合うことのない月と太陽が、実際の距離を無視して抱き合うように衝突している。

 天使と天使の抱擁。その抱擁は優しくも、残酷だ。接触した星はみるみる溶け出し、紫色の雫を北と南の空に流した。二筋の涙のような雫が遠くの地平線に降り注ぐ。月と太陽は南北に連なる雫の軌跡を境に、空を暗い赤色と青色に二分した。

 抱擁し合う月と太陽。不明瞭な輪郭の笑み。空を分断する星の雫。赤と青の空。まるでここは御伽噺の一枚絵だ。

 ――月と太陽の消滅。あれは、空を暗黒の無に帰す天使だ。あのふたつの星が完全に重なり合えば、地上は永遠の闇に包まれてしまう。

「どうしよう……。あんなの、どうすればいいの?」

 私には呆然とその様子を見続けることしかできなかった。光がなくなってしまえば、人類に生き残る術はない。作物は死に、大気は冷える。人類だけではなく、すべての生命は闇夜にさまようしかないのだ。どうしたって、あの天使に皆殺しにされる。

「ねぇ、リディ。何か、いい考えはない?」

「もう、抵抗しようもありません。ここが、私たち人類の限界です」

「そんな……」

 あのリディが、とうとう諦めてしまった。このまま無残に死ぬのを待つしかないのか。そんなの……そんなの、いやだ。カナが命をなげうって、私たちに生きろと言ったのだ。そう易々と、死んでなるものか。例え、倒すことは不可能だとわかっても、立ち向かわなければならない。でないと、なんのために戦いを決意したんだ。

「このバテン・カイトスを使ったらどうかな。これは空間を遊泳するクジラだから、宇宙空間でも移動できるはず」

 大丈夫だ。私たちの手は届く。倒せないだろうが、戦えるのだ。だが、私の問いかけにリディは視線を合わせず、遠くを見つめたまま返答した。

「ええ、可能でしょうね。それで、月と太陽の天使を倒して、私たちの手で直接人類に引導を渡しますか?」

 それは考えるまでもない残酷な結論だった。あの天使を倒したら、月と太陽も消滅するだろう。それは間違いない。月と太陽が元に戻るなんて、都合のいい結末は絶対あり得ないと言い切っていい。けっきょく、戦おうが傍観しようが、結果は変わらないのだ。

「そ、それは……」

「それとも、初めから倒せるわけがないと承知の上で戦い、死ぬつもりですか。戦うことに、意味がある、と? たしかに、そういう場合もあります。ですが、私たちは違うはずです。天使と戦って倒し、自然に生き、自然に死ぬ。そう決めたではありませんか」

 すると、リディは大粒の涙を流しながら訴え始めた。絶望と諦めで捻じ曲がってしまった、私の目標を正すために。

「戦うことが目標ではありません。不条理に抗うことがすべてではありません。私たちの望むことは笑って、愛し合って、幸せに最期の時を迎えることだったのではありませんか? 違いますか!」

 リディの悲痛な叫びに気圧される。望みを変えて立ち向かうことは、戦いではなく、逃避だと、彼女は訴えた。彼女の言う通りであるが、それならなおのこと、私たちはどうすればいいのだろう。どこへ逃げようと、天使の魔の手は世界を包む。暗黒から逃れられる術はない。どこで暮らそうと、最期は冷え切って死ぬだけだ。それはすなわち天使に殺されるということ。安息の死ではない。

「さぁ、エルフリーデ。来てください」

 不安げにエルフリーデはリディのもとへ駆け寄った。私は途方に暮れて地面を見つめている。ふたりのやりとりは、あまり耳に入らなかった。

「ごめんなさい、エルフリーデ。本当に、ごめんなさい……。どうか私を、私を許してくれますか?」

 リディは魔法衣に変身した。エルフリーデは何かを悟り、微笑む。

「ううん。いいの。あたしより、リディとマリアちゃんのほうが辛いよ。……最後まで甘やかしてもらっちゃって、ごめんね」

 その言葉に、リディは驚いた。

「わかっていたのですね」

「なんとなく、だけどね。リディとはいっつも一緒にいたんだもん。どんなこと考えてるかなんて、顔を見ればわかるよ」

「そうでしたね。……寝る時も、起きる時も」

「寒い日も、暑い日も」

「うれしい時も」

「悲しい時も」

 ふたりは顔を見合わせ、にっこりと微笑んだ。何気ない日々に冗談を言って笑い合う、本当の姉妹のようだった。

「あなたは自分が弱い人間だと思っているようですが、そんなことありません。私だって、いつも一緒だったのだからわかります。エルフリーデは強い人です。だから……また、どこかで会いましょう」

 そう言って、リディは氷の剣を精製し、エルフリーデの胸を刺した。赤い鮮血があたりに飛び散る。その光景が信じられなくて、私は呆然とふたりを見ていた。エルフリーデは苦しみを垣間見せることなく、私に振り返った。

「マリアちゃん。あたしたちは、不幸なんかじゃなかった。みんな、幸せだったんだよ。――ありがとう」

 さよならの代わりに、エルフリーデは感謝を私に向けた。涙を流すことなく、崩れ落ちる。リディが倒れる小さな亡骸を支え、ゆっくりと地面に横たえた。エルフリーデの死に顔は、最期まで表情を崩さず、笑顔のままであった。

 リディが彼女に手をかけるわけない。こんなの、何かの間違いだ。

「どうして、こんなことを。リディ……答えて!」

「〝First Star〟を発動させるためです。あれは最後まで生き残った選定者にしか与えられませんから」

 伏目がちに、リディはそう言った。柔和で優しい表情はそこにはなかった。

「そんな理由で、エルフリーデを殺したの? 嘘でしょう? 納得できるわけないじゃない。ねぇ、別の理由があるんでしょう? もっと、いい方法があるんだよね? だからエルフリーデを……」

「別の理由があれば、彼女を殺したことに納得できますか?」

「それは……」

 どんな理由にせよ、納得なんかできるはずもない。それほどに、リディは世界の再生を必要だと思ったのだ。最愛の友人を殺してでも、世界を廻すべきだと。その覚悟は、エルフリーデを殺したことで充分汲み取れる。

 でも……だからと言って、こんなのはあんまりだ。

「相対神になるつもりはありますか、マリアさん?」

 リディが冷たく問いかける。

「そんなの、なりたくないよ」

「私もです。では、受け取ってください」

 リディは精製した氷の剣を私に投げた。剣は私の目の前に刺さり、美しく輝いている。鏡のように反射している剣の表面には、私の顔が映っている。その表情には戸惑いと、怒りがにじみ出ていた。

「それでは決めましょう。私はあなたに殺されるために、あなたは私に殺されるために、戦うのです」

 私は魔法衣に変身し、弱々しく立ち上がった。リディは美しく髪をなびかせ、瞳は凛としている。その瞳は私から目をそらさず、真っ直ぐ見つめていた。それは彼女の決意を表しているようだ。

 だけど、こんなの、私たちらしくない。こんなの、違う。――間違ってる。

 間違っているから、どうにか正さなきゃ。

「わかった、戦うよ。でも、リディに殺されるためじゃない。殺すためでもない。こんな馬鹿なことやめさせるために、戦う」

 私はリディの気持ちに応えるように、剣を握り、その切っ先を彼女に向けた。

「それでもいいでしょう」

 私たちは、いつも仲良しだった。いさかいなんてものは、これまで一回もなかった。でも、それは旧人類によって制限・操作された感情ゆえかもしれない。解放された感情の最中、初めて私とリディの意志はすれ違った。しかしこんなこと、旧人類には当たり前にあったはずだ。殺され合うなんて、そんな大層なことじゃない。そうだ。これは、ただの喧嘩だ。喧嘩のあとは、きっと手を取り合って仲直りできる。

(そうだよね、リディ)

 月と太陽が相克するように衝突する。空は星がこぼした雫で二分される。

 赤と青の二色に彩られた空の下、私とリディはクジラの背中の上で対峙した。私は月光に赤く照らされ、リディは太陽に青く照らされる。ここは御伽噺の終わりの頁。私たちの、最後の戦いだ。

 リディが駆け出す。ほかの武器の精製はない。彼女の保有する古今東西の武器を持ってすれば、勝敗は明白だ。だが、あくまで彼女は私と対等に戦いを挑んだ。ならば私も、精神干渉は使わない。この手でリディの頬を叩いて、目を覚まさせるんだ。

 横なぎに一閃。私は飛び退いた。強化魔術に力がみなぎる。私とリディの魔力炉は、平凡なものだ。魔術の技量に明確な差はない。武器と能力は対等。勝敗を分かつとしたら、それは覚悟の違いだろう。

「リディ、剣を納めて」

「そうしたら、私を殺してくれますか?」

「そんなことするわけないじゃない!」

「ならば、戦いを続けましょう。どちらかが、死ぬまで」

 冷酷に突き放す。リディの言葉は、この氷の剣より冷たい。彼女は引かない。しかし、私に彼女は殺せない。死なせずに彼女を戦闘不能にできるだろうか。力の拮抗した相手に、それは至難の業かもしれない。

 開いた距離を一足でリディがつめる。

 流れるような連続攻撃。その流麗な剣の運びに、一切のよどみはない。二手三手先を読んだ剣閃に私は翻弄されながらも、どうにか受け凌いでいた。防戦一方で、まるで手が出せない。それは私に、リディを傷つける覚悟ができていないからだ。

「――――あっ!」

 鍔迫り合いをしていると、リディの重い剣の圧力に押されて、自分の両刃の剣で肩口を切ってしまった。傷口から熱を感じ、血が滴り落ちる。

「剣筋が乱れていますね。考えごとですか」

 リディはあくまで冷たく言葉をかけた。

「うん。なんだか、リディの剣さばきが舞踊に見えてね。もし、何も知らなかったら、いまごろ村の日食祭で踊っていたのかなってさ」

 それは私がまだ何も知らなかった時に見た夢の風景である。日食祭の準備をしながら、祭りの日を待ち焦がれ、思い描いた白昼夢だ。

「そうでしょうね。でも、それは仮定の話です。幻想に焦がれては、現実が曇ります。いまは目の前を見なさい。みなさんの死を無駄にするつもりですか」

 無駄? このままだと、みんな無駄死にになってしまうのだろうか。では、どうすればみんなの死を無駄にしないのだろう。相対神となって、連綿と続く鎖の一端になればいいの? でも、みんなで話し合って、それはやめようって決めたじゃない。それとも志半ばに死んで、この世界を終わらせたほうがいいの? 私にはわからないよ。

 ……リディは、その答えを知っているのだろうか?

「無駄になるのかはわからない。でも、とめてみせるよ、リディ」

 今度は私から攻撃を仕掛けた。リディのように手足の長さを生かした、しなやかな攻撃はできない。私の弱点ともなる利点は、彼女より身長が低いところだ。リーチの長さでは分が悪い。しかし、下方からの攻撃では私のほうが有利だろう。

 私はさらに姿勢を低くして下から攻撃する。だが、彼女はいともたやすく受けきった。当然だ。彼女がこんなことでやられるはずがない。

 もう、迷うことはない。リディは答えを出して、私は答えを出せずにいる。それがこの戦いの結果だ。私に勝てる道理などない。だとしたら、私は最後まで力の限り抗い、彼女を説得しよう。そうすれば、ひょっとしたら私の声が届くかもしれない。

 ――月と太陽が浮かぶ満天の空。天は日食に溶ける。剣戟は音を奏でる。私とリディは剣の舞を踊る。日が暮れるまで練習した、あのころのように。

 攻防は幾重にも及んだ。攻撃をするたびに互いの心は傷つき、防御をするたびに相手の覚悟を受けとめていた。彼我の間に邪魔をするものはいない。耳に届くのは悲しい剣戟の響き。目にするのは相手の涙。冷然と努めようとしていても、本当の感情には逆らえないのだ。戦いを挑んだリディもまた、そうである。

「お願い、最後まで諦めずに考えよう。何かいい方法があるはずだよ。きっと、頭のいいリディなら……」

「やめてください!」

 私の攻撃は渾身のリディの一刀に薙ぎ払われた。受けとめた私の剣は、氷の結晶となって砕け散った。彼女はすぐさま、新たに氷の剣を精製して私に投げ渡した。

「やめてください。私は、そんな人間ではありません」

 リディは目を伏せ、いままで胸に秘めてきた想いを語り始めた。

「……いつも不安でした。〝リディは頭がいいからお医者様になれるよ〟、〝リディの考えたことなんだから大丈夫〟。そうやって期待をされて、大きな責任を課せられて。私は、そんなのじゃない」

「リディ……?」

 彼女の声が震えている。見えない何かにおびえるように自身の身体を抱く。そこにいつもの凛々しさはなかった。子どものようにおびえ泣く、か弱い姿だった。

「私はただ、みなさんが笑顔で、幸せでいてくれるならそれでよかった。そのためにできる限りのことをしてきたつもりです。それがいつの間にか、みなさんの中の私が、本当の私より大きくなってしまって……。私はいつも怖かった。みなさんの期待の眼差しが、自分の考えが本当に正しいのか」

 驚きと後悔が私の胸を締めつけた。私たちはリディをそんなにも苦しめていたのだろうか。憧憬と期待は彼女を無理強いし、束縛し、不安と恐怖で圧迫させた。彼女の柔らかな笑顔の裏には、そんな秘密が隠されていたのか。

 もちろん、私たちにそんなつもりはなかったのだが、私たちの期待や彼女への依存、その一つひとつが、見えざる手によってゆっくりと彼女の首を絞めてしまっていた。そんな彼女の苦しみに、私はいままで気づけずにいたのだ。

 私たちは、傷つけ合って初めて、本心を打ち明けていた。

 リディが泣き、私が彼女との過去を想起していると、私たちのすぐ横に大蛇が出現した。長い鎌首をもたげ、舌を出している。代弁者だ。

『幸福者が愛するものと殺し合う。すばらしいことだ。いまこの場にはすべての感情が渾然としている。天には終焉の陰り、地には希望にもがく人。いまこそ選定の時。愛するものを殺し、〝First Star〟を発動するのだ』

「あんた、何しに来たのよ」

 私はやり場のない後悔や自身への怒りの矛先を代弁者へ向け、恨みを込めて口にした。代弁者は意にも介さず私を睥睨する。

『むろん、見届けに来たのだ』

 そして代弁者は初めて、その口を威嚇するように大きく開けた。大蛇の口腔は人間なぞ軽々と飲み込めるほど大きい。私は思わずすくみ上がった。

『さぁ、殺すのだ。相対神はふたりもいらぬ。自身の一部、自身の分身とも言える友を殺せ。血肉を捧げずして、神は降臨しないのだ』

「やめて、やめてよ。私は、そんなことしたくない」

 私は耳をふさいだ。だが、代弁者の声はそれでも私に届く。

『振り返る必要はない。滅び行く世界に価値などなければ、完全性のない世界に意味はない。この世界は失敗だった。ゆえに再生するのだ。臆する必要はない。たしかに人類に課せられた使命はあまりに難題だ。だが、例え生み出された世界が不完全でも、次に託せばいい。ゆえに再生するのだ。じきに天は闇黒へと帰す。人類の滅亡とともに、この星もいずれ消滅する。星を失った宇宙を、再び銀の旋律へと輝かせよ。起源の星を生み出すのだ』

「黙りなさい!」

 リディが代弁者の首をはねる。すると、大蛇の身体は勢いよく燃え上がった。その陽炎と煙の中から、隻眼の少女の姿が浮かび上がる。身体には痛々しい痣と傷跡。落ち窪んだ右目に、底知れぬ闇を秘めた空の左目。その少女の姿は、大蛇の身体が燃え尽きるとともに、蜃気楼のように消えてしまった。

「あれは、なんだったの?」

「旧世界の〝First Star〟の使い手。この世界を作った相対神でしょう」

 本体は消滅しても〝First Star〟を次世代に伝えるため、存在を変えてこの世界にとどまった。その結果が、あの蛇の姿だったのだろう。最期に本来の姿を見せたのは、なんらかの警告だったのか、それとも脅迫か。あるいは徹底して機械的であった代弁者の、唯一の感情の訴えなのかもしれない。

 だが、あれは本当に人間だったのか。旧世界と言えば、不幸に朽ち果てた世界らしい。そんな世界で、いったいどんな目にあったら、あんな負の感情をむき出しにできるのだろう。誰も信用していない。誰も愛してなどいない。彼女からはそういった、人への不信がにじみ出ていた。

「……さぁ、どうやら時間がありません。そろそろ決めましょう。マリアさんか私、どちらが相対神になるのか」

 と言って、リディは剣を私に向けた。月と太陽はほとんど溶けてしまっている。あたりは薄闇に飲まれ、彼女の表情も見えにくくなっていた。彼女からは剣を納める意思は感じられない。私にはもう、彼女をとめる術は思いつかなかった。

「最後に教えて。どうして、あんな恐ろしい人の言いなりになるの?」

 リディは人類の使命なんかにとらわれるような人じゃない。そんなもののために、友達を傷つける人じゃない。何か考えがあるはずなのだ。それが私の――私たちの信じるリディなのだから。

 私がリディとの戦いの最中で導き出した答え。それはやはり、友達を信じることだった。

「いいでしょう。私は何も、代弁者の口車に乗せられたわけではありません」

 剣の切っ先はそのままに、リディは答えた。

「何をしようと、あの月と太陽の天使は対処しようがありません。そして、あの天使はすべての生命を死に追いやるでしょう。そこに、私たちが望む死はありません。だから、だから私は、次に望みを託そうと思ったのです。完全なる世界。時が永遠であるならば、そしてもし輪廻転生というものがあるのならば、いつか生まれ変わって、再び私たちが会える未来もあるでしょうから。……そんな、子ども染みた夢物語を考えていました」

 瞬間、私の脳裏にいつの日か思い描いた理想郷がよぎった。六人の少女が、日々を輝かしく生きる世界。そこには、私たちのすべてがある。その福音のような調べは、私たちが想い焦がれた昔日の残響だ。

 ――――ああ、そうか。リディはそんなことを考えていたんだ。なんて、優しい未来だろう。たしかにそれは、夢のような話で、でも、目もくらむような希望だ。

 彼女は完全なる世界の創生を望んでいた。だが、それは人類の使命を果たすためなんかじゃない。私たちの望みがいつか叶うようにするため、その道を選んだのだ。その道は遠く険しいが、きっと明るい光が照らしている。

 空が暗くなってすでに表情は見えないが、リディはたぶん笑っていただろう。

「やっぱり、リディはすごいよ。期待しないでって言うほうが無理だよ」

「よしてください。……いきますよ」

「うん」

 私は刺突の構えを取った。リディが走り出す。同時に、私も走り出した。もうリディをとめるつもりはない。私もとまるつもりはない。

 剣を突き出す。こんなの、リディなら簡単に薙ぎ払うだろう。だけど、それでいいんだ。私の剣を薙ぎ払って、そのまま私を切り裂いて。そして、どうか世界を、私たちがまた巡り合える世界を作って――リディ。

 私の剣を薙ぎ払うために、リディは剣を振った。私は瞳を閉じる。

「うれしいことも、楽しいことも、期待しちゃうよ。だって、それが友達なんだもん」

 ――――パシャ。

 はじける水の音。手に伝わるいやな感触。温かい液体が腕に伝う。……そして最後に、優しい抱擁に包まれた。

「ええ、私もそう思います。――ですから、マリアさんにも期待していいですか?」

 リディは、剣と剣が触れ合う寸前に、自身の剣を水に変化させていた。勢いはそのままに、彼女は私の剣で深々と胸を刺され、私を抱き締めていた。

「そんな、どうして……?」

「ごめんなさい、騙してしまって。あなたに、どうしても新しい世界を作ってもらいたくて、けしかけちゃいました」

 リディの魔法衣が解かれる。同時に私が持っていた氷の剣も蒸発した。あふれ出る鮮血。力なく倒れそうになる彼女を、私は抱きかかえた。

「なんで……なんで私なの? 私なんかより、リディのほうがすばらしい世界を作れるのに、どうしてよ!」

「そう自分を卑下しないでください。自分では気づいていないようですが、あなたには、新しい何かを生み出す力があるのですから」

 リディは私の頬を撫でながら、弱々しい声で語りかけた。

「昔からそうでした。新しい遊びや、新しい仕事。あの旧人類の遺跡の調査も、新人類の長らく凍結した文明と歴史の中、誰もしてこなかったことです。天使を倒す、なんて発想も誰にも考えつきませんでした。あなたが何かを思いつくたびに、私たちはわくわくし、希望の光に照らされてきたのですよ」

 リディの独白に、私はただただ涙を流すばかりだった。

「ひどい仕打ちを許してください。殺され合い、だなんて。でも、こうでもしないと、私があのまま自害したら、絶望に打ちひしがれたあなたは私たちのあとを追ったでしょう?」

 私はリディに殺されるために。リディは私に殺されるために。相手に希望を見出し、生き残ってもらう。殺され合いの正体は、希望を芽生えさせるための騙し合いだった。

「いまは、マリアさんの中にも希望はあるはずです。どうか、その希望を胸に、新世界を作ってください」

「でも……そんなこと言われても、どうしたらいいか、私にはわからないよ」

「ええ。期待は不安へ変わり、不安はいずれ恐怖へ変わります。このようなことをしておいて虫がよすぎるかもしれませんが、怖かったら逃げ出してもいいのですよ。私たちは笑ってマリアさんを迎えます。それが友達でしょう?」

「ひどいよ、リディ。そう言われたら、もっと迷っちゃうよ」

「重ねてごめんなさい。でも、みんなも気持ちは同じはずです。あなたの望むままに、この世界を――」

 リディが血を吐き出す。呼吸は苦しげだ。

「しっかりして、リディ!」

 彼女は私の手を握り締めるだけで、返す言葉はなかった。もう声を出すこともできそうにない。死が、間近に迫っている。

(ねぇ、リディ)

 私は精神干渉でリディに語りかけた。

(もし、私たちが選ばれてなかったら、幸せに終われたのかな)

(どうでしょうね。マリアさんは、そっちのほうがよかったですか?)

(だって、だって……こんなの)

(私は、私のままです。どのような災難に見舞われようとも、それだけは変わりません。私は、私の望む道を歩みました――)

 そうして、リディは静かに息を引き取った。死に顔はあまりに安らかで、眠っているようだ。ひとりになった私は、しばらく彼女を抱き締めて泣きはらした。

 リディを地面に寝かせ、エルフリーデの遺体を彼女の隣に添わせた。ふたりとも、苦しみから解放されたような笑顔だ。エルフリーデを真ん中にして、私も川の字になってふたりに寄り添う。私も、死んでしまえば楽になれるのだろうか……。

 横になって、死に行く空を見上げた。

 ほんの一ヶ月ほど前までは、早くこの日が来ればいいと思っていた。日食なんて、滅多に見られない一大イベントだし、みんなと一緒に見れば、一生忘れられない記憶となっただろう。だが、心待ちにしていたあの空は、何よりも残酷な色をしている。

 月と太陽は重なり合い、その姿は大空の中に溶け、消えてなくなった。ダイヤモンドリングは見えない。ほかの星は初めから存在しない。この途方もなく広い宇宙空間にたったひとつ、この星が浮かんでいる。宇宙を漂う地球は、まるで仲間を失った私の心象を映し出しているようだ。

 空も地面も、一色の黒。完全な闇に、世界は包まれていた。目蓋を閉じても開いても、変わらぬ闇黒がそこにある。私は何も考えず、何も考えられず、時を無為に過ごしていた。

 ――――――遠くで、祭囃子が聞こえる。半身を起こして音源のほうを見ると、リッカ村に光が灯っていた。

 今日は待ちに待った日食祭。姿を隠した神様の代わりに、人々が光を繋ぐお祭りだ。

 太鼓の重い音と人々の賑やかな喧騒を聞いて、私は立ち上がった。この闇の中、あの淡い光はあまりに弱々しく映る。だが、あの明かりの中には、村の人々が暮らし、生きているのだ。その生命の光を見て、私は身体のうちから湧き出るものを感じた。

「生きなきゃ」

 ひとり、闇夜につぶやく。まだ死ぬには早い。まだ、答えは出ていない。村の淡い明かりを目指して、私は走り出した。

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