初代シバイル公爵モノ―・クトビア
シバイルは四方を山に囲まれた擂鉢状の狭い盆地だ。街へ入るには、いくつか限定された道を通らねばならない。倉神正谷が通った、南シバイル隧道もその一つである。
この街を開発した初代シバイル公爵は、かつて勇者と共に魔王を討伐した功績で、本人も魔族ながら、一代で公爵に昇り、領地としてこの街を賜ったという。
隧道を通って街に入ろうとする辺りは、関所のようになっており、正谷は少女を役人へ引き渡して、暫く待った。
「確かに、昨日に捜索の依頼が出ていた女の子に間違いない」
役人がそう言うのが聞こえる。
「君、よくやったな。今日はもう遅いだろう。宿のあてはあるのか」
「ありません」
「なら、宿直室が空いているから、泊まっていけ。飯も用意してある」
正谷は役人の好意に甘えることにした。
聞くと、あの少女は女性の役人と共に一晩過ごし、明日、両親の元へ届けられるそうだ。役人たちが泣いて安堵している様や、正谷への好意を見るに、この街の役人には道徳心が行き届いているらしい。
そうして一晩過ごし、正谷は朝方まで眠りこけていると、何だか騒がしいので、目が覚めた。
「顔を洗って、早く来い」
と、慌てた役人に言われる。身支度を整えて関所の表玄関へ向かうと、そこには、高級そうな身なりの人物が待っていて、役人たちが畏まっている。
「公爵閣下の家令殿だ。君、何者だね」
昨日から親切にしてくれた役人が耳打ちする。正谷は、シバイル公爵が図書館長へ宛てた招待状を持っているから、そのせいで出迎えが来たのかもしれない。それにしても、情報が早い。家令殿、と呼ばれた人物は、正谷を認めるなり、
「君がクラガミ・マサヤ君かね。あー、話は聞いている。それに、昨日はお手柄だったそうじゃないか。公爵閣下がお呼びだ。着いてきたまえ」
家令には、怪訝な様子が窺えた。確かに、正谷は招待状を持っているけれども、わざわざ出迎えが来るほどだとは思っていなかったし、それは家令も同じだろうと思った。
柔らかく、座り心地の良い馬車に揺られ、四時間ほどすると、街の北端の山の斜面へ到達した。馬車とは言え、南の端から北の端まで四時間で辿り着いてしまう、狭い街である。
家令に肩を叩かれて目を覚ます。詫びを述べてから馬車を出ると、眼の前には壮麗な邸があった。
シバイルは四方を山に囲まれた擂鉢状の狭い盆地である。この街の主であるクトビア家、いわゆるシバイル公爵家の邸宅は、その北側の山の斜面に築かれていた。
振り返って景色を見る。四方の山の斜面まで宅地として開発されている。地形のせいか、薄暗い街だった。
「こちらへどうぞ」
出てきた使用人に案内され、邸宅を進む。煌びやかな調度品が並び、そこは流石に貴族の邸宅であった。
「お入りください」
部屋に通されそうになる。正谷は、着の身着のまま、決して身分ある人と面会できるような格好ではない。だから、きっとここは控室であろうと思った。しかし、
「いらっしゃい」
と言ったのは、その部屋の主の、老いた男性であった。
「公爵閣下です」
と耳打ちしてくれたのは使用人である。それでは、と言って、使用人は出て行ってしまった。公爵と二人きりである。
「早速で申し訳ないが、実は君を呼んだのは、私ではないのだ。良いかね、ここから先は、決して他言無用で頼むよ」
そう言った公爵は立ち上がって、背中の暖炉の後ろ辺りを何やら操作している。すると、からくりの駆動刷るような音が聞こえて、天井から梯子が降りてきた。
「この先だ」
促されて、梯子を登る。登った先は、薄暗いが、広さのある部屋になっていた。見上げると、大きな肖像画のようなものがある。夫婦だ。片方は真っ赤な髪の魔族の男性、もう片方は真っ青な髪の人間の女性だろうか。
「ああ、来たか。ぴったりだ」
そう声がするほうへ目を向けると、大きな寝台のようなものがある。起き上がったのは、公爵とどこか似た雰囲気のある。老齢の男性であった。
「掛けてくれ」
促されて、近くにあった椅子に座る。それを認めると、男性は自分の名前を明かしたのだった。
私はモノー・クトビア。世間では初代シバイル公爵と呼ばれているそうだ。そう、勇者さまのお供の一人、絵本にそう描いてある、そのモノーだ。
君が来ることは知っていたよ。それで、昔語りをしたくて、呼んだという訳だ。老人の楽しみは、それくらいしかないからね。
何から聞いてもらおうか。そうだ。私がシギエさんと出会った頃の話をしよう。
今からだと、三百年前か。東方のハクーン地方から、魔王の軍隊がこのハイハド王国へ攻め込んできた、という情報が、王都中を駆け巡った。
実際に、街を出て山野を歩いていると、明らかに尋常の動物ではない、魔力を帯びた動物と出くわすことがあって、当時はそれが魔王軍の先兵だと言われていたね。
当時の私は、王都の一市民として暮らしていた。貧しかったが、仕立て屋で働く母と二人、慎ましく暮らしていた。周辺の人々も親切で、私は父がいなかったけれど、それなりに楽しくやっていたよ。
王都の東端あたりの街区に住んでいて、晩飯の足しにしようと、街区を越えてうさぎとかを獲りに行くこともあった。
その日も、私は街を出て、城壁がすぐ見えるところで、山菜なんかを探していた。その時だった。何か猪のようなものがこちらへ向かって突進して来ているのに気がついた。
慌てて逃げたよ。大木の後ろに隠れると、猪はその木にぶつかって、目を回した。思い切って、持っていた小刀でとどめを刺した。
肉を持って帰ろうかと思ったが、どうにも、ただの猪とも思えなかった。不気味だったから、置いて帰った。
それから数日は大丈夫だった。しかし、そのうちだんだんと私は調子が悪くなってきて、最後には高熱を出して倒れてしまった。一晩中うなされると、熱は引いた。治った、と思った。しかし鏡を見ると、私の口からは牙が生えていて、耳も尖って、まるで、噂に聞く魔族のようになっていた。
ずっと騙していたのか、と言った母の怯えきった顔を、今でも忘れることはできない。こんな化け物と分かっていれば、拾ってやらなかったのに、と。
その時になって初めて、私は拾い子だったことを知った。当時は、私は人間であること、こうなった心当たりが全くないことを必死に訴えたが、母も、親切だった隣人も、まるで聞いてくれなかった。
後から聞くと、私は王都の、いわゆる魔族成りの第一号だったようだ。しかし、普通の人間が魔族になってしまう、というのは当時はまだ知られていなかった。魔族というものに人々が敏感になっていたのもあって、母に通報され、そのまま憲兵に捉えられ、王城の地下の牢屋に入れられた。そのまま、処刑を待つばかりだった。私は信じていた全てを失った。
私は少し自棄になっていたから、出された食事もろくに摂らずにすっと泣いていたよ。その数日あとのことだった。シギエさんが牢屋にやって来たのは。
憲兵がやって来て、シギエさんと、アエーネさんを向かいの牢屋に入れた。アエーネさんの方は、もう真っ赤な髪をしていて、他は殆ど魔族の特徴はなかったけれど、すぐに私と同じだ分かった。その頃、私はまだ髪は真っ青なままで、まあ魔族になると言っても、容姿の変化がどこから来るかは個人差があるし、何より魔族成りに遭ったばかりで、当時はまだ不完全な魔族だったらしい。
ともかく、アエーネさんのほうはそれで良かった。しかしシギエさんのほうは、何と言うか、不気味だった。確かに人間のようではあるが、しかしああいう黒い髪や目は見たことが無かった。
憲兵が去ると、シギエさんは声をかけてきた。一緒に行こう、俺はこの状況を何とかするつもりだ。そのために、君に協力してほしい、と。
その頃の私は、何もかも失ったばかりだったから、思わず怒鳴り返した。お前に何が分かるのか、と。
出された飯には手を付けていない。このまま餓死するつもりだった。シギエさんもそれに気付いたのか、死ぬつもりかと言ってきた。
そうだ、と答えると、シギエさんは、なら今はやめておいたほうが良い。いつか必ず君は、これまで失ったもの以上のものを、再び得ることができる。と言った。
傍から見れば単なる気休めだったと思う。しかし私は不思議だった。その言葉を言ったシギエさんの目は確信に満ちていた。私はふと、自分はさっきまでお節介焼きと話していたつもりだったが、もしかしたら予言者と話しているのかもしれない、と考えた。
その瞬間だった。シギエさんは手枷を外して自分の牢の扉を開けた。見ると、隣のアエーネさんの手枷も外れている。そして、向かいの私の牢の扉も開けて、私の手を引いて牢から出した。
後から知ったところによると、そのころ街ではまだ魔族成りについて知られてはいなかったが、王城の内部では知っている者も出始めていて、だから城の兵の中には私たちが単に不幸な庶民に過ぎないことに勘付いている者もいたらしい。そして牢番だった係の兵は情の深い類いの人間だったらしく、私たちを憐れんで、敢えて鍵を掛けていなかったそうだ。積極的に逃がすほどの勇気は無かったのだろう。
ともかく、それを見た私は、この人には奇跡が憑いていると思って、付いて行くべきだと決断した。
それからの数年間は、私の人生の中では短い一部分だが、最も濃厚な数年間だったと思う。シギエさんと共に魔物を斬り続けた。しかし、敢えて私で無ければならなかった理由を見出すことは出来なかった。シギエさんのあの予言者めいた雰囲気から、きっと私という人選にも意味があるのだろうと勝手に期待していた。だから、少し残念な気持ちはあった。
全てが終わって、私たちは姫さまに王都に呼ばれて、褒美を頂戴することになった。その儀式の前日のことだ。私はシギエさんと二人きりで話をした。
今まで大変な苦労を共にしてきたが、これから、君だけに大きな仕事を委ねてしまうことを、本当に申し訳なく思う、そう言った。その時は何がなんだか分からなかったが、翌日になると、もうシギエさんは姿を消していた。
私はタムオーンと共に儀式に臨み、そして、公爵になった。
世間では、魔王を打ち倒したことを宮廷が高く評価して私を公爵に封じたのだと言われたが、実態は逆だ。名誉は無料だ。宮廷は私に名誉しかやるつもりはなかったのだ。
どうやら冷遇されているらしい、と気付いたのは、封土として与えられたシバイルに初めて足を踏み入れた時のことだ。その頃のシバイルは、酷い寒村だった。
原因は地勢だ。四方を高い山に囲まれていて周囲の街とは隔絶され、また陽光がうまく差さないので薄暗く、作物もまともに育たない。
加えて、私は、投降魔族、と呼ばれた人々を率いていた。文字通り、魔王軍から我々王国に降った人々、という意味だ。むろん私がその筆頭だと思われていた。だが実際は、王国各地から根こそぎ集められた魔族成りたちだった。この期に及んで、まだ宮廷は魔族成りという現象の存在を認めていなかった。
大勢の魔族成りたちを押し付けられた形でシバイルに入封した私だが、シバイルの中心部、すなわち最底部で、初めて周りの景色を眺め、そして思い出したのは、シギエさんと出逢ったあの牢獄の景色だった。それくらい、山に包囲されたシバイルという土地は牢獄のようだった。
こんな土地でも人が住んでいた。集落が一つだけ。教会も一つだけあって、周りに家々があった。主な産業は焼畑だ。私はとにかくその破れ寺に逗留することにした。従って、そこが政庁になった。
率いていた魔族成りたちの中には、高度な教育を受けている者や、特殊な技能を有している者もあり、彼らだけを連れ、その他の人々は、取り敢えずシバイルに入れずに山脈の外側に仮の集落を作らせた。山の中のシバイルに、日常的に食料を運び込む道が無かったからだ。
当時のシバイル村では、文字が読めるのは村長とその娘の二人だけだった。事前に私の入封を知らされていた村長は、怯えきった表情で挨拶に来た。やむを得まい、私はこの国の魔族の親玉だと思われていたらしいから。
「あんたが公爵さんかしら。随分なご活躍だったらしいけど」
と、面と向かって、強気に言ってきた者がいた。村長の娘のアリアだった。しかし彼女が指差していたのは、私が連れていた部下の一人のエルヘイという男で、彼は筋骨隆々で、魔族成りに遭うまでは大工の棟梁をしていたそうで風格もあり、間違えたのも無理はない。
「いや、こっちが公爵になったモノー・クトビアだ」
と私が言うと、村長とアリアは驚いて、そして安心した顔を見せた。
「聞いてたより優男ね」
とアリアが言ったのも無理はない。この頃の私は、長く魔物を斬り続けた影響で完全な魔族になり果て、髪も真っ赤になってはいたが、しかし一団の中で最も若く、自分で言うのも何だが、迫力の無い顔をしていた。
とにかくこうして、私たちは顔合わせを終え、次に私は自分が貰ったシバイルを隅から隅まで見て回ることにした。案内を一人付けてもらうことにした。村長の娘のアリアが志願してくれた。
私に与えられる前のシバイルは、領主のいない村だったから、宮廷の徴税役人がたまに来る以外、そもそも外の人間を見たことがないという者が多かった。私はアリアの紹介のもと、村人一人一人に挨拶して周った。酷い話だが、化け物が来るぞという噂が有ったようで、村人は一様に怯えていたから、私のこの迫力の無い顔にみな安心してくれたよ。
それから、調査したところ、山の再生する速さより焼畑のほうが早く、年々収穫量が落ちており、もはや村自体の消滅も時間の問題だった。そんな所に、私が連れてきた魔族成りたち全員を受け入れてしまったら、必ず餓死者が出るだろう。しかし、いつまでも彼らを山の外の原野の仮設集落に留めてはおけない。
そうした訳で、私のシバイル統治は、まず交易のための隧道堀りから始まった。シバイル村でも昔からそういう試みはあったらしい。しかしシバイル村は、出稼ぎに行ってそのまま戻らない者が多く、若者がやたら少なくて、そのために実行できていなかった。だから、大量の人手を連れていてる私が現れて初めて、その試みを実行することが出来た。
私も皆と共に畚を担いだりしたものだ。幸い、連れていた魔族成りの中にはその手の技術者もいた。隧道が開通すると、村人と魔族成りたちは抱き合って喜んだものだった。
それを眺めていて初めて、ふと私は、私の天命を理解した。魔王退治などというのは、私の使命では無かったらしい。魔族成りの人々の生活と安全とを守ること。そして魔族と人間との間の友好の架け橋となること。これこそ私がシギエさんと共に旅をした意味だったに違いない。私はこのためにあの日、シギエさんに声を掛けられたのだ、と。
それからはもう、懸命に働いたよ。四方に交易路が開通して、それまで山を迂回していた隊商が通るようになって、街も栄えた。
そして、長い間、苦楽を共にしたアリアと私は、結ばれることになった。懐かしいな。村に唯一、元々あった祭りがあって、それを私は大々的に挙行した。そこで二人で祭りを見て回り、求婚した。
例の村の教会は、私の寄進で、街の新たな象徴になるような壮麗な建築に建て直した。そこで、結婚式を挙げた。人間も魔族も一緒になって祝福してくれた。
いつまでも仮住まいではいけない。邸をどこに建てようかと相談したとき、北側の山にしよう、と言ったのはアリアだ。領主の邸が、人々への日光の妨げにならぬように、と。
初めて子供が生まれた時に思い出したのは、初めてシギエさんに会った日のことだ。私はあの頃、家族を失って絶望の淵にいた。その時にあの人は言った。いつか必ず失ったもの以上のものを、再び手に入れることができる、と。その通りになった。私は、かけがえのない家族を、また得ることができた。
私は魔族として完成してしまっていたから、老いずにいることもできた。しかし、アリアと共に人生を歩みたかったから、共に老いる道を選んだ。ほれ、この通り、よぼよぼだ。
最愛の人を失ったあの日、これからどうすべきか考えた。このまま死へ向かうのが最も幸福だと思われたが、しかし、どうしても、どうしてもシギエさんにもう一度会ってお礼が言いたかった。
君、君には困惑しかないだろうが、しかし代わりに聞いてくれたまえ、私の気持ちを。
ありがとう。あのとき私を連れ出してくれて、お陰で私は、かけがえのない家族を、素晴らしい幸福を得ることができた。ありがとう、シギエさん。
済まなかったね。でも、これで私も、唯一の心残りが消えた気がするよ。そうだ、君はこれからどうするつもりなのかね?
なるほど、行き先が無いのか。ならば、王都へ行ってみるのはどうかね。シギエさんが携えていた剣、ハイレイカがそこに展示されているそうだ。彼女もきっと、聞いてもらいたい話がたくさんあるだろう……。