四抄.未知の地
いつ以来のことか。夕食時に両親を前にして緊張と言うものが食欲をかすかに減退させた。
「相談? どうしたの?」
「何かあったのか?」
いつ以来のことか。両親を前にして本音を吐くと言うことに恥ずかしさを感じてしまい、俺の言葉を待つ親の顔をまともに見る気になれない。
「あのさ、今年の夏のことなんだけど」
夕食はマーボー茄子だった。食欲をそそる香りの立ち込むダイニングは、久々に感じる静けさがテレビの音を遠くにさせた。
両親は思いのほか好意的に話を聞き入れてくれた。大阪大学へのオープンキャンパスへ参加することを。受験の夏だと言うのに、俺が今まであまり勉強のことや自身のことを話すことがなかったからか、意欲的になっていたからか、夏休みに大阪に行きたいという申し出は、俺が考えていたほどの反対意見もなく、オープンキャンパスの日付と飛行機とホテルの予約をして、費用を教えろということで話が付いた。
夕食後、風呂に入り自室へ戻る。火照った体を窓から入る夜風に晒し、壁に背を預け座る。心地よい時間。テレビなんか部屋にはない。元より最近はあまり番組を見ていない。見ているのは過去からの問いかけ。
「全部、覚えてるんだな」
体をベッドに預けると軋む音と反動の揺れに体が波打つ。引き出しから取り出した手紙の束を広げる。
「美玖ってこんなに書いてたのか」
広げた束はどれほどあるのか分からない。五百通以上はありそうだ。最近のものは実に女の子らしい、もらう方にすれば恥ずかしさすら覚える淡い色の封筒。レターセットなのだろう。俺が出す手紙は普通の白封筒の飾り気の欠片もないもの。やはり女の子は男とは根本的に異なるものだと、その歴史を広げた束から感じる。
それでも俺の手はいくらかの手紙を開き、そこで重みを感じる。
「美玖、どうしてこんなに一人なんだよ……」
心を抉るような不快感の痛み。やはりどの歴史を取ってみても美玖は一人だ。俺の知らない場所にいるのだから、俺の知っていることを教えてくれようとして、そうなのかもしれないが、俺にはそう思うことがどうしても出来なかった。
俺と美玖の関係。恋人でもなければ兄妹でもない。ただの同級生だ。幼馴染と言うものの定義に入る部分はあるかもしれない。それでも記憶にあるのは同級生という範疇に収まる程度。だから余計にその手紙に綴られる美玖一人の大阪からの手紙は、安堵よりも不安を抱いてしまうんだ。
「住所は、あるんだよな……」
書かれている住所は、俺の知らない土地。大東市という大阪の市。どんな所で美玖が八年前から過ごしているのか、オープンキャンパスのパンフレットに記された日付を、最後に届いた、最も新しい美玖の軌跡と共に蛍光灯に照らし当てた。