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十一抄.流去の道

予定通りの更新です。


今回で高校生活がほぼ終わりです。次回に少し展開を消化して時代を進めます。


 離れていく。思い出も、想いも。強い思いに引かれているのか、離陸した飛行機の中で、

全身がこの地に残りたいと訴えるように、圧迫させる痛みも、すぐに空の向こうへと飛んで

いく。

 窓の外に広がる海の穹。どこまでも澄んでいて、雲が島のように漂う二色の世界。耳に響く

エンジン音がその世界から音を掻き消し、この世界で人間しか到達出来ない世界で、俺は世界

の全てを見下ろす。

「お客様、お飲み物はいかがいたしますか?」

 そうカートを押しながら狭い通路を歩くフライトアテンダント。笑顔が絶えない姿が、眩し

い。

「いえ、いいです」

 何かを欲する気分ではなく、ただ、呆然とその世界を見つめる。

「……いい天気だ」

 どんな日常に雨が降っていようと、この世界まで雲はやってこない。晴れることしかない世界。美玖の求める桜も、この世界ならきっと枯れないんじゃないのか。地上に幾ら時が経とうとも、ここは変わらないように思う。あの頃、何も知らなかった遠い世界が、今はいかに遠く、自分ひとりではどうしようもないくらいに何も出来ず、巡り会うことすらままならないのだと、世界が水溜りに写るだけではすまないのだと、痛感する。

「あっ……」

 そのとき、視界に俺にとっては異色とも思えるものが移りこんだ。俺がこれから向かう先―――帰る場所から飛んでいく別の飛行機。それは小さいものとして映りこむが、入れ違いに大阪の方へと飛んでいった。初めて目にする、飛んでいる飛行機と肩を並べて入れ違う光景。驚きと興奮を覚えた。今までの悩みを、一瞬だけ忘れてしまうくらいに。

 誰があの飛行機に乗り、どこへ向かうのか。興奮も首を曲げて見えなくなった後の空に、消えていく。

 今日、美玖は大阪に帰る。もしかしたら、あの飛行機のどこかの座席に、座っているのだろうか。そんな確かめようのない妄想だけが、静かにあっという間に消えていく飛行機を追う目が、俺を捉えて離さなかった。

「間もなく着陸態勢に入ります―――」

 一定だったエンジン音が、勢いを弱め、見下ろしていた雲へと降りていく。一面の絨毯だった雲の世界も、それが雲だったのだと、平面世界が立体を成し、空の境界を潜っていく。機体が揺れ、平気なのだとアナウンスが答えても、慣れない自分にとっては無事に帰ることが出来るようにと、祈るものなど考えたこともないのに、何かに祈るように白い空間を見つめた。

 耳を一度大きく劈くようにエンジン音が変わる。それが速度を落としているのか加速しているのかは分からない。それでも一面の白を誇っていた世界は、次第に途切れ途切れになり、揺れが断続的から継続的に不安を煽る。誰一人として平然とした表情を浮かべている。だからそう努めた。もうすぐ帰り着くのだと気持ちに嘘をついて。

 やがて、世界から白が奪われていく。二重の窓を叩きつけていた白い小さな雨粒の塊が雫になった。鹿児島は雨だった。青の穹に始まり、白の境界に阻まれた、一日ぶりの鹿児島は灰色の空の下で、地上の緑が色濃く近づいていた。

 自分がいた天高い空が、いつしか狭く見えてくるほどに、地上の世界が大きく広がっている。

「疲れたな……」

 見覚えのある地上の光景が懐かしく、少しだけ興奮もした。一日前まで居たはずの故郷が、高度が低くなるに連れて、新鮮に見える。地上に手が届くほどになった時、轟音と共に激しく期待が振動した。ポン、ポン、ポン、と機械音が単調に響き、ブレーキの為のエンジンの逆噴射の音があらゆる音声を掻き消し、静かに振動も消えていく。

「お客様へご連絡いたします。当機はただいま鹿児島空港に着陸しました。機体が完全に停止するまで……」

 停止するまでベルトを外さないようにとアナウンスが入っているにも拘らず、あちこちからベルトを外す音がした。俺も安定したタキシングにベルトを外して、息を吐いた。座席の臭いと様々な人の匂いが混じって、胸の中で、何ががムズムズとしたものを覚えさせた。

「ご利用ありがとうございました」

 最後まで笑顔だったフライトアテンダントに見送られて降り立つ鹿児島空港。冷房が、少々狭かった空間の圧迫感を払拭する心地良さをもたらした。俺の長いようで短い旅が終わった時、視界に入る人間の全てが、誰かも分からず、思わず登場口を抜けた所で立ち止まってしまった。

「バスのチケット、買わないとな」

 手土産とバッグを持ち直して、降りてきた人の中を同じように歩く。誰もが同じ道を辿り、やがては別れ、離れていく。俺の目の前に居る人は、これからどこへ向かうのだろう。そう思うのと同時に、その人は俺がどこへ行くのかを気にしたりするのだろうかと、下らないことを思い浮かべ、少しぼぉっとしていた。

「あっ」

「きゃっ」

 それもその衝動に目を覚まさせられる。背中に感じた衝動。

「す、すみません」

 とっさにそう振り返る。同年代くらいだろうか。髪の長い女の子がお土産袋を零し、小さな小箱がいくつか零れた。

「い、いえ。私の方も余所見してて……すみません」

 その子は携帯を開いていた。恐らく、それを見ながら歩いていたから、気づかなかった。それでも、荷物を置いて、拾うのを手伝った。周囲を歩く人の目が一瞬、こちらを見て行くが、誰も関することなく視線を戻して歩いていく。そんなものなんだろうな。気にすることをやめて、足元に落ちた箱を拾った。

「これで全部?」

「あ、えっと……はい。大丈夫です」

 袋の中を見て、数を数えた女の子が顔を上げた。それがはじめてお互いにまともに顔を見た瞬間だと、ふと気づいた。

「中身は大丈夫?」

 お菓子か何かだろう。クッキーとかなら大変なことになったんじゃないだろうかと、申し訳ない気持ちがそう尋ねさせた。

「大丈夫だと思います。かすたどんなので」

 そう少し恥ずかしそうに笑う顔が、少しだけ懐かしいように見えた。似ている面影なんてないのに、なにを俺は考えているんだと、多分同じような顔で笑った。

「かすたどんか。これから出発ですか?」

「え、あ、はい。出発と言うか、帰省で大阪に」

 そう答える彼女は、これから三十分ほどしたら再び大阪へと戻る、俺がここまで来た飛行機に乗ることになるのだろう。随分と早く保安検査場を抜けたみたいだ。

「大阪ですか。凄い所ですよね」

「そうですね。あ、もしかして、大阪に?」

「はい。一泊でオープンキャンパスに行っていたんです」

 何も知らない赤の他人だから、気兼ねなくそう言っている自分がいた。周りなど皆が互いに無関係に時間をすごしている。俺たちもきっとそう見られ、実際にそうなんだ。

「奇遇ですね。実は私もそうだったんです」

 ドキッとした。その少しだけ嬉しそうなのか、面白そうなのか、分からないけれど、その笑い顔が似ていると思った。覚えているあの頃の幼い笑顔に。

「大阪からこっちに?」

「はい。昔、鹿児島にいたことがあって、昔の友達に会えるかなって思って」

 少しだけ笑顔が小さくなった。それはそれが叶わなかったのだと、理解するには十分だった。

「でも、やっぱり分からないですね。もう十年近いことだと」

「だと思いますよ。離れてしまうと、もう分からなくなりますから」

 ですよね……と、小さく呟く彼女に、俺は答える言葉を持てなかった。自分の言葉があまりにも自然に出てきて、言った後に気づいてしまう愚かな自分が過去に縛られている証だった。

《大阪国際空港発、鹿児島空港行きにご登場のお客様へご連絡いたします……》

 そこで耳に入るアナウンス。預けの荷物が流れてくる。カバンを一つ預けたから、取りに行かないといけない。そう思って、会話を終えることにした。

「それじゃあ、そろそろ」

「あ、はい。すみませんでした」

「いや、こっちこそごめん」

 空気を読める子だった。アナウンスと俺の言葉に理解してくれたようで、何度もすみませんと言われ、同じように俺も謝った。数回同じ事を繰り返して顔を上げると、思わず笑ってしまった。それを見た彼女も笑った。

「じゃあ、気をつけて」

「はい。ありがとうございました」

 そして荷物を抱えなおし、歩く。何度か振り返ると、彼女はまだこちらを見ていて、笑っていた。それに応えれば良いものを、俺はもうほとんど同じ飛行機から降りた乗客がいなくなり、荷物の受け取りにも急がないと、とそんな簡単な気持ちで、彼女から離れた。名前くらい、聞くことが出来ればよかったのだろうか。そんなことに気づいたのは、荷物を受け取り、バスのチケットを買って、バスの到着を待つ間に過ぎていく車列を見ていた時だった。

「似てた、よな」

 何となく、そんな勝手なイメージを抱いてしまうくらいに、彼女の笑顔は似ていたような気がした。でも違うということはすぐに分かった。あの頃の美玖なら、あれほど社交的に、初対面の人間と話すことなんて出来なかった。いつも後ろについてきて、その流れで親しい友人を作っていた。だから、似ていてもあの子は違う。手紙の中で一人きりのように描かれた世界とは異なるんだろう。

「俺も、同じだな……」

 女子とまともに話したのは、如月さんを除いて久しいことだ。いきなりのことであれほど普通にしている自分自身に、今になって驚いた。もう会う機会もないだろう。彼女は大阪へ帰る。俺は鹿児島に残る。俺の一生で、あの子と出会うことも、会話をすることも二度とないだろう。お互いにたまたまの不注意でちょっと会話をしただけの間柄。数日経てば忘れてしまう。出会いにならない出会いとして、思い出の中から消えていく。そんな気が、視界を多い尽くすように鹿児島の名産品を宣伝するようにデザインされた空港バスが入ってきて見えなくなる向こう側に思った。


 流れるバスは、高速道路を走った。市内を抜けて、見える風景は壁とその上の少しの緑と、空。それだけでも鹿児島の夏なんだって、揺れる窓の上から吹きつける冷房の風が、熱くなっている窓の熱を静かに冷ましていく。四十人は乗れるバスの中は、半分も埋まっていない。私は運転手さんのすぐ後ろの座席で、隣にお土産袋と旅をする。着替えとオープンキャンバスで受け取った資料とお土産だけが、私の鹿児島にいる全てのもの。少しだけ軽くなったけど、気持ちは夏の遥かな空よりもずっと下にある。

「彼女……」

 当然だと思った。自分が恥ずかしいくらいに何も気づけなかった。鈍いなぁ、私。コツン、と窓ガラスに頭を寄せる。振動が全身に響いていく。ここに来て、こういう事態になるなら大人しくお父さんたちの話を聞いていれば良かったのかもしれない。なんて事も考えるけど、それはもう、私が選択したこと。その結果がどうであれ、これは私の選んだ先の答え。受け入れるしかない。それなのに、気持ちはすぐにはついてこなかった。

「はぁ……」

 悲しいと言うものとは少し違う。悔しいと言う気持ちもない。でも、私の心は気だるさのように何か、心の中に空白が生まれていた。

「寂しい、んだよね、きっと」

 理想と現実は運と選択。才能も努力も必要ない。でも、才能があれば幾度だって戻れることが出来たかもしれない。努力をすれば自力で戻ることもできた。でも、私はそのどちらも選ばなかった。だから、これは運と選択の辿り着いた先のこと。何も気がつかずにいられたなら、私はきっと変わらなかった。この流れる夏の空にだって、南国なんだぁ、とちょっと浮かれたままでいられた。でも、それはいつか来る日に、大きな傷を受けることになる。そう考えると今でよかったのかもしれない。

 けど、やっぱり……。

「タイミング悪いなぁ、私って」

 いつだってそう。転校から今日まで。運が悪いのかな、私。考えたくないけど、その可能性の高さは自分では否定出来ない。

約束なんだって思っていたのに、その約束に私は何を縋ろうとしていたんだろう。

「どうなっちゃうかな、あの手紙」

 あの時はあんなことしたけど、少しずつ時間が経つと恥ずかしくなってくる。誰かが読んでないかな。匠君が読んでくれたら良いけど、他の人が読むのはヤダ。

「……持って帰ればよかったかも……」

 木の根元に置いただけの手紙。絶対に誰かが拾うと思う。それが匠君なら少しは安心だけど、その可能性はないと思う。きっと神社の人が見つけて、読んじゃうかも。ゴミと思って処分してくれたら良いんだけど、捨てられたくない。そんな気持ちが流れて良く鹿児島の空に考える。

 あの日も確か、こんな青空だったよね。匠君は学校に行っていて、私は行かなかった。引越しをするから。クラスが違ったから、ちゃんとお別れをすることも出来なくて、気がついたらいつもの家の中が空っぽになって、お父さんが車に荷物を積んでいた。

 すれ違ってるわけじゃない、んだと思う。でも、いつも都合が合わない。自分の意思だけで何もかもを自由に出来る立場じゃないから。鹿児島から引っ越す時は、まだ小学生。お父さんとお母さんの言うことについていくことしかできなくて、結局ちゃんとお別れを最後に言えないまま、車に乗り込んだ。行きたくない。行きたくない。そう何回も言ったけど、通用はしなかった。お仕事だから。それだけの理由で私は匠君と引き離された。でも、それだけの理由だけが、大人の世界では通用する。当時の私には、才能も努力も運も選択も、何も出来ないだけだった。

「どうして、私、あんなこと言ったんだろう……」

 その立場は今も変わっていない。親が言うことに逆らえるだけの責任も成長もしていない。でも、あの頃の私は、匠君にそんなことを言っていた。匠君はきっと忘れてしまっているだろうけど、私はずっと忘れていない。

 だから、この選択に突きつけられる答えが、まだ少しだけ気持ちを静めていた。

《皆様、大変長らくお待たせいたしました。間もなく鹿児島空港です……》

 そんなアナウンスが聞こえてくると、胸の中で何かがざわつくような、むず痒さにも似た落ち着かない緊張感が沸いてきた。お金を準備して、荷物を確認する。もうすぐ大阪に帰るのに、私の心はここに残りたいと思わせてくるように、痛みのない痛みを強くして、そっと手のひらで押さえ込むように胸を押さえた。

 鹿児島空港は伊丹空港に比べると静か。都会との差だから当然だとしても、私にはまだここの方が少し楽な気持ちになれた。荷物を預けて、検査場を通る。その前に少しだけお土産を選んだ。昔から好きだったかすたどんをいくつか買った。柔らかくて、カスタードクリームが中に入っていて、きっと友達も喜んでくれると思う。紙袋に入れてもらって、検査場を通過して、登場口に歩く。

「連絡しておいた方が良いかな」

 家にもうすぐ帰ると連絡しておこ。携帯電話を取り出して、メールで送る。返信は早かった。

《美味しいもの買ってきて》

 お母さんからの返信は、気をつけて帰ってきなさい。というものと、それだった。私には娘の身を案じるよりもお土産に期待しているようにしか見えなくて、そのことを返信した。

「もぉ。美味しいものって何?」

 お菓子かおかずか。お菓子は色々買ったけど、お母さんが言う時は、お父さんの好みとかもあるから、返信を待った。でも待つ間もなく帰ってきた。

「黒豚って……何だろ?」

 返信にあったものは、おつまみになりそうで、美味しそうなもの。黒豚は忘れないで。と書かれていた。近くの売店を見ながらメールで写真を撮った。こういうのが良いの? とかメールで聞いた方が失敗がなさそうだったから。

「あっ」

「きゃっ」

 そう思ってメールをしていたら、ドンっと、ぶつかった。急なことにびっくりしてお土産袋を落とした。

「す、すみません」

 そして、それが人だったと、やっと気づく。私が悪いのに、目の前の人は自分から謝ってきてくれて、慌てて私も頭を下げた。申し訳ないという気持ちと、恥ずかしさが一気に私に襲い掛かってきた。

「い、いえ。私の方も余所見してて……すみません」

 今日は気持ちが晴れやかじゃなかったせいか、まともに顔を見ることも出来なくて、しゃがみこんで袋からこぼれたお土産を集める。でも、私に責任があるのに、ぶつかった人はわざわざ自分の荷物を置いて拾うのを手伝ってくれた。男の人にこういうことをされるのは初めてで、余計に緊張した。

「これで全部?」

 最後に小箱を渡されて、中身を確認する。ちゃんと全部あって、きちんとお礼を言わないと。そう思って顔を上げた。

「あ、えっと……はい。大丈夫です。すみません。ありがとうございます」

 てっきり凄く年上の人かと思ったら、私と同年代の人みたいで、少しだけほっとした。

「中身は大丈夫?」

 そこまで気にしてくれるなんて、意外だった。凄くいい人なのかも。そんな印象を持てるくらいに、格好良くて優しい目をしてる人だった。

「大丈夫だと思います。かすたどんなので」

「かすたどんか。これから出発なんだ?」

「え、あ、はい。出発と言うか、帰省で大阪に」

「大阪なんだ。凄い所だよね」

「そうですね。あ、もしかして、大阪に?」

よく見れば、この人の持っているお土産袋には、見慣れたお店と京土産の文字が入っていた。この人は私が乗る予定の飛行機で鹿児島に来たみたい。帰ってきたのかもしれないけど。

「一泊でオープンキャンパスに行っていたんだ」

 その言葉に、私の緊張が一気に解けたと思う。同い年なんだってだけなのに、男の子とこんなに普通に話したことは、大阪に居てもほとんどなかったから、少し新鮮な気持ちがあった。そして同時に、少し懐かしいような感覚もあった。それだけ私が男の子との接し方に慣れてないから、匠君とのこと以来かもしれない、何てこともふと頭を過ぎった。

「そうなんですか? 実は私もそうだったんです」

「大阪からこっちに?」

 意外そうに見られる。多分そう思われても仕方がないと思う。大阪なら、鹿児島にないものが溢れている。わざわざ鹿児島まで来るなんて普通は考えないことだもん。友達に話した時も、不思議そうに聞かれたくらいだし。

「昔、鹿児島にいたことがあって、昔の友達に会えるかなって思って」

 結局会えず仕舞いで、逆に落ち込む結果だったけど。

「でも、やっぱり分からないですね。もう十年近いことだと」

「だと思う。離れてしまうと、もう分からなくなるから」

 笑われるかなって思ったけど、この人は違った。優しそうな瞳が、その一言に少しだけ陰りを見せたように見えた。私とは違うと思うけど、少しだけ親近感が沸いて、もしかしたら匠君もこういう人みたいになっているのかなぁ、とか、好きになるならこういう人が優しくて良いのかもしれない、なんて思ったけど、この人と私は目的地が正反対。ここまでのお付き合いで終わる、ただの他人でしかない。少しそう思うとどうしてか寂しさがあった。

《大阪国際空港発、鹿児島空港行きにご登場のお客様へご連絡いたします……》

 アナウンスが入ると、男の子が忘れていたように私を見た。さっきの瞳の色はもう無くて、これで終わりなんだって私も気づいた。

「それじゃあ、そろそろ」

「あ、はい。すみませんでした」

「いや、こっちこそごめん」

 そんなお互いに謝ることが二回くらい続いて、顔を上げて目が会った時、おかしくて笑った。男の子も同じ事を考えていたみたいで、一緒に笑うことが少しだけ楽しくて、懐かしく、嬉しさもあった。

「じゃあ、気をつけて」

 本当に気をつけないといけない。多分この人はそういうことじゃないんだろうけど、私としては本当にこの人の優しさが的確すぎて、素直に聞き入れた。

「はい。ありがとうございました」

 頭を下げて、男の子が荷物を持って荷物を受け取りに行く背中を見送る。その後姿に一瞬、匠君を感じた。

「あっ……」

 でも、その背中はすぐに人の中に消えて、それが夢みたいに消えていく。

「そんなわけないよね……」

 だって、あの時、匠君のお家には彼女が来ていたんだもん。よく分からないけど、彼女の子は私の前から走って、神社のところで匠君じゃない男の子と言い争いみたいなことをしていたけど、匠君はここにいない。それだけは変わらない事実。目と鼻の先立った距離が少しずつ遠くなる。今の男の子ももう会うことはないかもしれない。ううん、ない。名前も何も知らない人で、多分大阪に戻ると、私は忘れていくと思う。優しい人がいた。そんな薄れる印象だけを抱いて。


閲覧ありがとうございました。


次回更新作は、「Full Cast Even」です。


長らくのおまたせでしたので、少し多めに更新するつもりです。


更新予定日は21日を予定しています。今しばしのご辛抱をお願い申し上げます。

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