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外郭十五番街  作者: 山本謙星
スワンプ・ドッグ
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3 ある野犬

 ここ地下【延命都市】において、かつての「太陽」と同じ働きをなすもの――それは輝ける【拝火塔】である。この塔に灯される明かりが人々にとっての「太陽」であり、故に【拝火塔】は、人々を照らすだけでなく、都市の昼と夜を分かち、時間の概念をつくりだす役割をも担っている。


 そして今、遥か遠く天を衝く【拝火塔】は、その光を消していた。都市は夜になったのだ。


「ふああ」


 ナギの口から嘆息じみた情けない声が漏れた。えらく疲弊していた。今日は忙しい一日だった。朝早くに【ホット・ビート】の隠れ家を訪ね、そのあとは三か所の事件現場を、順繰りに全て巡ったのだ。

 現場はいずれも人目のない裏通りで、犯行は夜間に行われた。目撃証言もほとんどなく、犯人の行方は杳として知れない。唯一の目撃者が、あの光の部屋に閉じこもった青年ディノなのだが、彼から有用な証言を得るには根気がいりそうだ。


 そうして事件にかかわる場所を一通り調査したあと、【拝火塔】が消灯する頃になって、ナギは七番地にある【武装探偵】事務所に、一人で戻ってきた。


――そう、たった一人で。


「何よ」


 澱みのような闇の底、飾り気のない部屋の隅。固いベッドに突っ伏して、ナギは不満を隠そうともせずに呻いた。


「何よ、何よ、何が助手よ」


 白のシーツに張り付くように、べったり伏臥して彼女は動かない。ただその口だけが、ぶつぶつと不平を並べ立てている。そのまま未来永劫微動だにせず、泥のように溶けだしてしまうのではないかという程だ。


「…………」


 しかしやがて、彼女は唐突にのそりと体を起こした。ベッドの上にペッタリ座って、胡乱な眼で周囲を見回す。その瞳には光が宿っていない。そのうちこの事務所のなかに、いつもの鉄の大男の気配がないことを再認識するや、彼女はため息とともに手元の枕をわし掴んだ。そしてそれを高々掲げて。


「ミノワさんの……」


 深呼吸一つ。


 わずかの沈黙。


 カッと目を見開いて。


「莫迦ああ!」


 咆哮とともに枕を叩きつけた。本人の気迫のわりに、枕は迫力のない音を立てる。


「ミノワの莫迦! あんぽんたん! 鉄面皮! 木偶の坊! 朴念仁!」


 少女の追撃は止まらない。ボロの枕に恩讐の拳が降り注ぐ。


「傍にいろって言ったのは誰よ!」


 鍛えに鍛えた技を枕相手に炸裂させて、暴れに暴れ、およそ十五分。そこにいたのは骨の髄まで真っ白に燃え尽きたと思しき、抜け殻の少女だった。


「私は、あなたの何……?」


 そんな言葉を零した途端、無性に泣きたい気持ちになって、それを堪えるために再びベッドに突っ伏した。


 ナギがこうまで荒れている理由は単純だ。三か所の事件現場を調査した後、ミノワが彼女の肩を叩いて、ただ一言「お前は帰れ」と告げたからだ。ナギはそれなりに抗弁したが、ミノワはそれを頑として受け入れてくれなかった。最早ナギには、ふて寝しながらつらつら不平を独り言ちるしかない。


「何よ、私だってわかってるもん。自分が何の役にも立たないことくらい」


 こわいシーツに顔を埋めた。


「わかってるもん……」


 胸の奥に垂れ込める、澱のような感情。寂しさとか、無力感とか、そういう曰く言い難い気持ちが、沈んで溜まって折り重なって、ナギの心を重くする。


 そんなやり場のない気持ちの影響か、彼女の口から、ふとある言葉が転がり出てきた。


「規律と……奉仕」


 ああ、この台詞は久しぶりだ、と思った。


「『私は今日も、規律と奉仕を以て、「延命都市」市民に足る自身の有用性を証明します』」


 その言葉はかつて、ナギが幾度となく繰り返した市民の宣誓だった。遠いようでいて、実感ほどは遠くない、そんな過去のこと。彼女がまだ上層の市民権を持っていた頃――まだミノワと出会う前の。


「規律と、奉仕を以て……」


 未だ彼女の行動理念を強く縛る、鎖じみたその定型句を反芻するうち、やがて柔らかな微睡の手が彼女をとらえ、眠りの淵へと引き込んでいった。


     ×××


 それから数時間が経過。


 大いなる【拝火塔】が輝きを取り戻す。


 地下【延命都市】に朝がやってきた。


 されどもここは都市外郭。深い窪地の底にある十五番街には、その光も僅かしか届かない。事務所の寝室は未だ薄い暗闇に埋もれているし、加えて、ナギの体には昨夜の疲れがたっぷりと残っていた。彼女は未だに眠りの淵を行ったり来たりしている。

 そんな彼女の耳に、突然、やけに威勢のいい声が届いた。


「ワン!」


 ナギの意識はまだ現実を認識していない。二度、三度と寝返りうって、未練がましくベッドにしがみつくも、もう一度さっきの甲高い声が傍近くで鳴ったおかげで、彼女は否応なく眠りの世界から引きずり出された。

 顔を上げて、目をしばたたかせる。


「……何?」


 そうして彼と目が合った。彼は黒々と濡れた鼻を突きだして、桃色鮮やかな舌を垂らしている。その瞳のつぶらな輝きが、じっとこちらを見つめていた。


「…………え?」


「ワン!」


 野性的な一声。どんな目覚ましよりも力強い。とうに眠気も吹き飛んで、ナギは只々目を丸くした。


「昨日の、野良さん?」


「クン」


 応える声は朗々と。同じ十五番街の住人らしからぬその活力に、ナギも思わず相好を崩すが。


「ここ、私の寝室なんだけど」


 殺風景な小部屋に、ぽつんと居座る犬一匹。凄まじい異物感である。


「どうやって這入ったの?」


 真剣に問いかけてしまったが、犬は人語を解しない。きょとんとしたまま、彼はこちらを見つめている。


「まさか、鍵を忘れたとか」


 その発想に至った途端、背中に焦りの汗が浮き上がった。昨夜はいくら疲れていたとはいえ、そんな手抜かりをするようでは、探偵としてはもとより、この地域の住民として命とりだ。幸い事務所がある七番地はそれなりに治安がいいとはいえ、あくまで十五番街のなかでは、という話だ。用心なくしては、すぐに犯罪の餌食だ。

 寝室を大慌てで飛び出して、玄関の確認に向かうナギの背を、野良は悠然たる足取りで追いかけた。


 ミノワは七番地にある雑居ビルの一・二階を所有している。一階が【武装探偵】事務所で、二階が生活空間だ。部屋を出たナギは、一階への階段を下り、正面の扉を確認した。


「よかった、ちゃんと閉まってる」


 電子ロックの扉は厳重に施錠されていた。


「じゃあ、本当にどこから這入ったのかな?」


 振り返った先、踊り場の野良はひとり訳知り顔だ。


「おいで」


 いつまでも中に入れておくわけにはいかない。外への扉を開けて手招きすると、彼は素直にそれに従った。


 七番地の街区は、未だ静寂の底にある。都市を照らす大いなる塔の輝きが、頭上を走る無数のパイプの隙間を潜り抜け、暗い路傍に点々と煌めきを落としていた。それらの光の縞は、大気中の塵が反射することによって、より一層輝いて見える。まるで黄金の噴霧だ。 

その只中に足を踏み入れて、ナギは大きく伸びをした。上層市街に比べれば、お話にならないほど惨めな環境だが、それでもこれが十五番街なりの、麗らかな朝の気配なのだ。


ナギの脇を、野良が颯爽と通り抜けていく。舗装もまともにされていない道を、彼は砂利を蹴散らして進み、元気に咆哮した。そうしてこちらに振り返り、すぐに擦り寄ってくる。

どうも相当に懐かれているらしい。心当たりはないのだが……。


「やっぱり誰かのペットだったのかな」


 飼い主が捨てたか、あるいは死に別れたか。どちらにせよ、この犬がかつて愛情をもって育てられていたことは間違いあるまい。何せ、こんなにも人を恐れないのだから。

 事務所前の段差に腰かけて、しばらく野良の様子を見守ることにした。活力溢れる彼を見ていると、悩みも不満も和らいで、自然と顔がほころんでしまう。


「かわいい……」


 思わず口から洩れた言葉の意を、知ってか知らずか、野良はこちらへ寄ってきて、何ということか! ナギの頬をぺろりと舐め上げたのである。


「やだ、くすぐったい!」


 言葉と裏腹に嬌声じみた笑い声を出しつつも、何とか野良の猛攻を押し留めていた。

 そうして散々じゃれあって、ナギは早朝から気持ちのいい汗を流すことになった。


「聞いてよ野良さん」


 だからだろうか、彼女は他人に押し隠していた自身の感傷について、ふいに口を滑らせる気になった。


「私、この事務所で働いてるの」


 野良がぴくりと耳を立てる。


「ここの主は凄い人なんだから。どんな無理難題でも、底なし沼みたいな事件でも、あっという間に……力づくだけど……解決しちゃう」


 犬は人語を解さない。そんなことは知っていたが、話し始めたら止まらなくなっていた。


「私も昔、彼に助けられた。あの時彼がいなかったら、私は今頃どうなっていたか……」


 野良は姿勢よく座ったままじっとしている。こちらの話を、本当に聞いてくれているかのように。


「だから私は、彼の助けになりたいの。一方的に助けられるだけなんて嫌だ。でも、でも、今の私じゃ、どうやっても足手まといにしかならない」


 湿っぽい話をしているせいか、折角の快気が軒並み去っていく感じがした。思わず俯いてしまったナギ。そんな彼女の手の甲に、ふいに生温い感触が。見ると野良が、柔らかい舌を使って白い肌を慰撫しているのだった。


「励ましてくれてるの? 優しいね」


 頭を撫でると、彼は満足そうに喉を鳴らした。


「今日も置いて行かれたんだから。ミノワさんは一人でお仕事。私はここでお留守番」


 半分独り言のように言葉を漏らしながら、野良の頭を撫で続ける。


「たった独りで、あの連続殺人犯を追うんだってさ」


 すると突然、野良が身を起して、耳をぴんと立てた。何に反応したのだろう。訝しんでいると、野良は急に幾度も鼻を鳴らして、ナギの周りを嗅ぎまわり始めた。


「どうしたの?」


「ワン!」


 弾かれたようにして、野良は表通りの方に駆けていき、そこでくるりとこちらを振り返った。そしてもう一度、まるでナギを呼ぶかのように吠えた。対する彼女は、いきなりの行動に呆気にとられていて、凍ったように固まったままだ。


 気が付いたころには、ナギの眼前から野良犬は姿を消していた。


「えっと……、何?」


 ひたすら振り回されていた気がして、背中にどっと疲れが圧し掛かってきた。おそらく昨日の分までぶり返している。


「何なのよもう!」


 釈然としないまま事務所に戻った。思えば昨日はシャワーを浴びていない。


「みんな、勝手なんだから」


 ぶつくさ文句をこぼしつつ、二階に上がった彼女は、まず全ての部屋のカーテンを開けようと思い立って、自分の寝室に戻った。


 そこで彼女は、あることに気付く。


「あれ?」


 思えば今朝、目が覚めたとき、ナギの寝室の扉は閉まったままだった。それなのに野良は、この部屋の中に堂々と座っていた。慌てて窓を見るが、きっちり鍵がかかったままだ。それに彼女の部屋の窓には、外側に格子がかかっていて、それを取り外さないことには這入れるはずもない。それにそもそも、ここは二階だ。


「本当に、いったいどうやって……」


 そんなとき、彼女の目に何やら不自然なものが映った。それは長方形で、格子状をした……。


「蓋?」


 何でこんなものがと上を見上げて、すぐに気づいた。寝室の側壁上方にある、通気口の蓋だった。


「どうして……」


 ふいにナギは、密室状態だった朝のこの部屋を思い出す。そして、にもかかわらず堂々と部屋の中央に座っていた野良の姿を。


「まさか、ね」


 やっぱり疲れているんだと、彼女は自嘲気味に呟いた。


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