第1話 あっ、どっ、どうも初めまして。1
彼を倒した事にも、そして世界を救ったという世間の賞賛にも特段感慨はない。ただ家族を守りたい、恋人を守りたい(まぁ、存在しない訳だが)、友達を守りたい(これもほとんど…)、周りの人を守りたい、周りの人達の大切な人を守りたい。
そんな単純な思いの連続が、いつしか俺を「勇者」だとか「英雄」だとかの呼び名にしていったにすぎない。
世界を守る?そんな事、俺は一瞬だって考えた事すらなかった。そんな事に意義も感じなければ、義務すらない。
そして、だからこそおれは「悪意の濫觴」と呼ばれた魔王ヨランド・ダラゴンの命を奪う事はできなかった。そしてその行為にすらなんら感傷もない。
そう、しいて言えば、今回の出来事で俺はこの世界が少し嫌いになっただけだ。
終戦および開戦によせて
元勇者ハンス・ゲーネバイン
「魔族の居城」と呼ばれるには違和感のある白亜のノイシュヴァン城。今は勇者を筆頭とした魔族討伐の連合軍の攻撃により、日影を鮮やかにとどめていた壁面は涅色に煤け、「魔族の居城」の綽名にふさわしい表構を纏っていた。
「それを俺に信じろって?」
ノイシュヴァン城の「魔王の間」(実際には「楕円の間」が正式のな名称だが)では勇者と魔王の対峙が続いていた。しかしそれは「破壊」と「奸智」の暴力を持ってではなく、「理解」と「感知」の対話によって行われていた。勇者ハンスの表情には喫驚と当惑が浮かび、その後には自らの愚かさに対する苦笑すら産まれた。
彼は予め、すぐに魔王ヨランド・ダラゴンの言葉を信じるに値する数々の疑念を持っていたからだ。
「ええ、あなたなら私の言葉を信じて頂けると思います…。始めからあなたはこの戦いに迷っているように見えた、またあなたは国家や権力に隷属するような人物ではないでしょう。」
魔王ヨランド・ダラゴンはその居城と同じく、魔王と形容されるには不釣り合いな穏やかな表情の王であった。身長は170cm前後、おそらく体重も60kg程度だろう。まだ20代の青年でしかなかった。
「それは買いかぶりだな。俺は長いものには積極的にまかれるタイプだぜ。」
不遜に答える勇者ハンス。年齢は魔王より10近くは若く、10代後半の少年から成年へと移行する世代であった。またその体躯も魔王同様に勇者と言うには決して恵まれたものではなかった。
「仮に長いものにまかれたところで、あなたは心の中で舌を出すタイプでありましょう?」
「なぜそんな事が言える?当たっているけどな。あんたと会うの始めてだよな?それともどっかで会ったっけ?」
「いいえ、正真正銘、初対面ですよ。ただあなたの事はよく知っています。それについてもお話したい。もう少し時間をもらいましょうか。」
すでに両軍の雌雄は決していた。ノイシュヴァン城の陥落は時間の問題だった。その中で勇者と魔王の会話はひどく友好の中で、時に微笑ましい感覚すら抱かせる不思議なものであった。
永きにわたる人間と魔族の戦いは、すでに10の季節の巡りを経験し、疲弊した両種族の間で何度かの和平交渉がなされては、再び紅血がその糸口を濡らし平和への道標を赤い闇に潜らせた。
その温暖な気候から「花の大陸」または「春の大陸」と呼ばれたブランディアには3つの大国と、7つの小国が互いを牽制し合いながら、または相互依存をしながら絶妙な距離感の上に、大きな諍いもないまま15年の安寧を享受していた。それは戦乱の歴史を積み重ねてきたこの大陸における、奇跡的なバランスと言ってよかった。その均衡が崩れたのは、小国の一つダールベルク王国が隣接する小国ディアスキア王国に侵攻した事に端を発している。
ダールベルク王国。
ブランディア大陸において唯一人間ではない種族の国として存在している。人間ではない種族。一見、人と外見上変りのない彼らは、魔法と呼ばれる異能に長けていた。その事から彼らは一般的に「魔族」と呼ばれた。彼らを忌み嫌う者も確かにいたが、彼らの高度な文化が創造する新たな価値観(例えば医療における新薬、政治における公正な政策、経済におけるより効率的なシステムなど多岐にわたる)はある種、憧憬に似た感情を人々に抱かせていた。
そのダールベルク王国が他国に侵攻。この俄には信じられない情報は、人々の異なるもの、自分たちより優れているものに対する畏怖と嫉妬に近い感情を刺激し、憎悪という情性を産む事を非常に容易にしてしまった。
「俺の事を知っていると言ったな?」
「魔王の間」からハンスとヨランドは部屋を移り、「騎士の間」と呼ばれる隣室で会話を続けていた。ハンスは行儀悪く卓上にあぐらをかいている。
「悪く言えばスパイ。良く言えばつい情報を漏らしてしまう、おしゃべりさんがあなたの周りにいたのですよ。」
「無理やり良さげに言うな……。って、スパイ?誰だ?」
「ここは魔法の国、魔族の国ですよ。」
「…魔法…、って、パステルか!パステル・モーヴ!」
勇者ハンス・ゲーネバインには今回の魔王討伐に参加するにあたり4人の仲間がいた。アーチャーのグルス・アン・アーヘン(♂)、修道士のマイ・グラニー(♀)、重騎士のサン・ガッデス(♂)、そして魔導師のパステル・モーヴ (♀)。いずれも名の知れた戦士達であった。
「こんな時に何ですが、お茶でもいかがですぅ?」
戦場に似つかわしくなく、トレイに2つのティーカップを乗せたメイド服の女性が現れた。
「てめぇ〜、パステルっ!魔族のスパイだったのか!…ってなんで、メイド服?」
「かわいいでしょ〜。魔法使いってこんな時便利よね。お茶がおいしく見えるでしょ?」
スカートの裾をつまみながら、かわいらしく礼をする。ショートヘアの髪の裾もちょこんと揺れる。毒気を抜かれたハンスは少し頬を染める。完全なるショートヘアフェチ。
「ねっ、かわいいでしょ、ハンスって。」
尋ねられたヨランドは微笑みながらティーカップを受け取る。
「だ〜、うっせー。とにかくお前、俺を騙してたんだろうがっ!」
「ひどい〜。でもねハンス、恋愛って騙し、騙されつつ育んでいくものなんだよ。」
「いつ俺とお前が恋愛をした〜!」
「え〜ん。」
あからさまな嘘泣きに呆れつつヨランドが口を挟む。
「実はパステルに限らず魔導師のほとんどはわが国の息がかかったもの達なんですよ。情報を得て最善に対処していく。それが小国ダールベルク王国が長く乱世においても存在し得た理由の一つなんです。さらにいえばパステルに依頼した情報はひとつ、あたなの人柄についてのみ。あなたのパーティーの動向の情報は頂いておりませんよ。だからこそ、我々はこうして滅びに瀕しているのです。」
そう言ったヨランドの横顔はサバサバとして、滅びを初めから享受しているように見えた。
「という訳なのよハンス!」
「お前、復活早っ!」
「ねっ!私、かわいいから許してくれるよねぇ〜♥」
ハンスの右腕にまとわりつきながら、猫なで声のパステル・モーヴ。
メイド服、ショートカット、上目遣い、潤んだ瞳、アヒル口……、完敗。