第4話
「そっちの倒れてる人は大丈夫なのか?」
レオンハルトは呆然と立っている3人に声をかける。さっさと治療しないと危険そうに見えるのに動かない彼らを不思議そうに思ったのだ。
「あ、ああ。助けてくれてありがとう。アナ、エリックはどうだ?」
レオンハルトの言葉で気を持ち直した斧を持っていた男が問いかける。それに戦闘中ずっと手当てをしていたアナと呼ばれた女性が首を振る。その顔は泣いており、自身の無力さに悲嘆していた。
「ううん、もう治療薬もありませんし、さっきも言いましたように私の魔法では傷口が大きすぎて気休めにしかなりません。早く街に戻って施療師に声をかけないといけないのですが……」
ここからバルツブルグまでは歩いて1日は掛かる。その間エリックの命が持つかと言えば否であった。
「ぐっ……なら俺が担ぐ。今すぐ走って戻ればまだ間に合うんだろう!」
「ミド、あなただって怪我をしているんだし、無理よ」
「う、るせぇ……そうしなきゃエリックは助からないんだ。止めるなよメリッサ。こいつはもうすぐ父親になるんだ。ここで死なせられねぇ」
ミド――斧を持つ男性は、倒れている男に新婚とまではいかないが、まだ結婚数年で、そのお腹には新しい家族がいる妻がいることを知っている。ここで死なせては彼の嫁に会う顔がない。なんとしてでも連れて帰ってやるという不退転の覚悟が声に、表情に表れていた。
メリッサと呼ばれた女性はその返答に嘆息すると、ちらりとレオンハルトを見る。より正確に言うと横にいるオルトを見たのだった。
彼女は風虎を見たことがあり、オルトがそうであると看破していた。故になんとかして頼めばもしかしたら……などという願望が視線に表れていた。
オルトとレオンハルトは当然の如く彼女の視線に気付いていた。
初めはオルトが尻尾をぺちぺちしてきていたので無視していたが、父親が死ぬというのに居心地が悪くなったレオンハルトが尋ねるようにオルトを見る。が、彼女は首を横に振り不機嫌そうに少しだけ唸るだけだった。
誰彼構わず乗せるなどあるはずも無い。それがたとえ家族であるレオンハルトの願いでもそうだ。
そう言いたげな唸り声である。それにレオンハルトは仕方ないと肩を竦め、空を見つめる。既に天国にいるであろう父母のことが頭によぎる。
「……オルトは嫌かぁ。ま、母さんならこういうときは損得を考えずに行動するだろうし、父さんもそんな母さんの行動を手伝っただろうかな」
そう呟くと、決意の灯った目をして、突然ごそごそと皮袋の中を漁り出した。オルトはそんな彼の行動に、嘆息するかのように一欠伸し座り込んで目を瞑るだけだった。
いきなりの行動に驚いたのはミドとアナである。
助けてもらった恩こそあるものの、突然現れた見ず知らずの他人であり、敵か味方かも分からない相手。さらには自分達が梃子摺ったアシッドウルフを一太刀の下に切り捨てるほどの実力がある上に、明らかにアシッドウルフ以上の格上の魔物を従えている。
そんな彼らが自分達に襲い掛かってきたら手も足も出せずに全滅する。そんな確信に満ちた想いを抱く彼らにとってレオンハルトたちの一挙手一投足は警戒するに値するものだった。
その後、レオンハルトが気遣うように一声かけてきたからこそ警戒度は下げていたが、だからといっていきなり皮袋を漁りだしたのは予想外でしかない。
一体何を出すつもりなのかとまた警戒度を上げたところで、レオンハルトがとある瓶を取り出した。
「あったあった。まさか、いきなり使うことになるとは思わなかったが……人命には変えられないよな。……おい」
レオンハルトがぼそっと呟いたのは聞こえなかったが、呼びかけは充分聞こえている。2人はちらりと互いの顔色を窺い、そしてメリッサを見やる。彼女がエリックの次に判断できるからだ。そして彼女は森の賢者とも言われる風虎を従えている者が悪事を働くこともないと思っていたが故に頷き返した。彼女の承諾もあり、観念したように斧を持った男が応えた。
「なんだ? 助けてもらっておいてなんだが、謝礼とかはできないぞ。うちはエリックのおかげで貧乏パーティーへと転落するのが決定しているからな」
「謝礼なんて要らないよ。それより、そこのエリック? うん、そこの男にこれを使ってくれ」
そう言ってレオンハルトは瓶を手渡した。初めミドと呼ばれた斧男には全く分からなかった。特にラベルもなく、瓶の中には得体の知れない緑色の液体が7割ほど入っているだけ。ポーションであるならどちらかというと青色をしている。だからミドには使えといわれてもどう使えばいいのか皆目見当もつかない代物だった。
だが、別の人間にはそれが何かが瞬時に分かった。アナと呼ばれた女性はひったくるようにしてミドから瓶を受け取る。そして瓶の蓋を開け、中の匂いをかぐ。それで確信したアナはレオンハルトへと目をやった。まるで本当にいいのかと尋ねるように。
レオンハルトはその視線に頷いた。彼女は信じられない目でレオンハルトを見つめ返した。そして今度は口に出して問いかける。
「本当にいいのですか? これって結構な貴重品だと思うのですが……」
「母さんの遺言で、困った人には自分が困らない範囲で手助けしなさいって言われているんだ。今回もそうだよ。だから気にせず使ってくれ」
「…………ありがとう、ございます」
じっと見つめた後でこれ以上下がらないところまで頭を下げる。そして、すぐにエリックと呼ばれた重傷の男の患部に薬を掛けていく。ミドやメリッサは二人のやり取りに首をかしげていたが、すぐに驚きの表情へと変わった。
レオンハルトが渡した薬は実は魔法薬の一種であり、どんな重傷でもたちどころに治るといわれている物だった。実際エリックの傷はみるみる癒されていく。そして、アナが一押しするように治療の魔法を唱えると、後に残ったのは傷があったとは到底信じられないだろう綺麗な肌の状態だった。
「エリック、エリック!」
アナがぺちぺちと頬を叩く。さっきまで怪我人だっただけにその行為はどうかとレオンハルトは思ったが、取り敢えず、薬の貴重さも分かる彼女なら起こしても大丈夫と判断していると思い、成り行きを眺めていた。
「……うっ、こ、ここは?」
元々重傷であり意識も朦朧としていたのだが、魔法薬のおかげで傷も塞がり意識も回復したエリック。やられた後は記憶も不確かだったためきょろきょろと周りを見回していく。
すぐ近くにいたアナはぼろぼろと良かった良かったと呟きながら涙をこぼし、少し離れたところのメリッサ、ミドは目の前で起きた出来事に未だぽかんと目を丸くしていた。
「改めて御礼を言わせて貰う。助けてくれてありがとう。僕はエリック。パーティー『大地の牙』でリーダー兼魔術師をしている。こちらが――」
「俺はミド。まぁ見てのとおり前衛だ」
「あたしはメリッサ。このパーティーでは斥候担当よ。もっとも今回はドジ踏んでしまったけれどね」
杖を持ったエリックが言うと、続いて斧を担いだ男、短剣をくるくると回す女の順に自己紹介が進む。
彼らはエリックが目覚めると同時に倒されていたアシッドウルフを解体し、別の場所へと移動していた。血の匂いに引かれてやってくる魔物は多いからである。そうして、移動した先で早めの野営の準備をし、やっとのことで腰を落ち着けたのであった。
そうして火を囲っての夕食時に始まったのが自己紹介だった。
レオンハルトから見て、エリックは魔術師と言いながらも、体を良く鍛えているように見受けられた。その悠然とした佇まいにはある種の余裕すら感じられるほど。アシッドウルフでさえも奇襲で重傷を負わなければ撃退できたのではと思えるほどだった。
ミドについては、担いでいる斧が大斧ともいえるほどの大きさで先ずそれが目に付く。また、その重量を支えるためなのか筋骨隆々であり、前衛を託すに値すると思わせる人物だった。
実際、アシッドウルフ相手にも幾つもの傷を負いながらも前衛を全うしており頼りになる人物としてパーティーだけでなくハンターギルドでも一目置かれている。もっとも、傷も肉を食えば治ると馬鹿なことを言ってメリッサに叱られるくらいには脳筋ではある。
そのメリッサは斥候役であるために軽装であり、ミドとは違い傷が残らないかと不安そうにしていた。ミドはそれを笑ってどんなメリッサでも綺麗に決まってると言って、顔を真っ赤にした彼女に叩かれていた。後ろで一つに束ねた長い髪が魅力的なスレンダーな女性である。
ミドとはパーティーメンバーとしてだけでなく、私的にも相棒になっている女性である。
「私はアナといいます。パーティー『大地の牙』ではエリック同様魔術師として参加しています。もっともまだまだ魔術師としては駆け出しなんですけどね」
最後にエリックを治療していた女性が挨拶した。エリックとは違いフード付きのローブ姿という魔術師然とした出で立ちの彼女は怪我こそ負ってはいないものの、精神的疲労が大きかったために顔色は悪かった。それでも迷惑を掛けまいと気丈に振舞う彼女に対し、レオンハルトは好感を持った。
「レオンハルトだ。こっちの風虎はオルト」
順番とばかりにレオンハルトも挨拶を返す。オルトは名前を言われたときだけほんの少し尻尾を揺らしただけでレオンハルトの後ろで寝そべっている。まったく自由な相棒にレオンハルトは心の中で苦笑した。
「やはりそちらの虎は風虎なん――」
「れ、レオンハルトさんはこれからどうする予定なんですか?」
エリックの問いかけをアナが遮る。普段は大人しい彼女が自分から積極的に向かう様子にミドやメリッサが驚いている。エリックも中断された形になったが、アナの意外な一面に苦笑していた。
「俺は……いや俺達はまずバルツブルグにいくつもりなんだ。そこでハンター登録をしようと思ってね。で、暫くはバルツブルグにいるつもりだ。俺達は素人だからきちんとした実力が付くまではここを拠点に活動するつもりだ」
レオンハルトの答えにアナの目が輝く。それに苦笑しつつも、引っ込み思案で人に会うのを怖がる彼女にとってはいい傾向であるとエリックは思った。
「まだハンターになってなかったのか。それでアシッドウルフを一刀の下に切り捨てられる実力とは凄いな……」
「でもよ、アシッドウルフを気迫だけで追い返せる人間が素人ってのはちょっと無理があるだろう」
「この馬鹿。まだハンターにすらなってないんだから素人ってのは間違いないでしょうが! ただ武器を振るうのだけが実力じゃないんだからね! ったく、これだから脳筋は……」
ミドとメリッサのやり取りにレオンハルトを含む全員が笑う。
「僕たちも君が目指す街で活動しているからね。悩み事があればいつでも相談に乗るよ。メリッサの言う通り、武力だけが実力ではないし、それだけでハンターをできるわけでもない。多分力にはなれると思うよ」
「わ、私もいつでも大丈夫です!」
「あ、ああ。その時は宜しく頼む」
アナの勢いのある追従に若干戸惑いながらもレオンハルトは「大地の牙」のメンバーとの出会いに感謝していた。その後ろではオルトが眠そうに欠伸をしていた。
読んで下さり有難うございます