第3話
オルトと再会したレオンハルトは彼女の背中に乗って空の旅へと乗り出した。
もっとも、オルトの背中に掴まる所など無く、必死の思いで背中にへばりつくしかなかった。風の影響についてオルトは自身の能力を使うので問題はないが、レオンハルトにはその恩恵はない。一応高位の風虎であれば、周りに風の結界とでも言うべきものを張れるために背中に乗せた者も困ることは無い。が、オルトはその能力の習得を後回しにしていたために結界を張ることは出来なかった。
そのため、レオンハルトに景色を満喫できる余裕があるはずも無く、ただただ早く降りられることだけを願っていた。
「ガルッ!」
オルトはレオンハルトに背中を見せる。乗れと言わんばかりの態度に彼の頬はひくついていた。
「おい……まさか街まで空を走っていくんじゃないだろうな」
「ガウ!!」
その通り! と吠えるオルト。そんな彼女の様子にレオンハルトは首をぶんぶんと振った。
「絶対嫌だ!! 前にお前に振り落とされたんだぞ。しかも10メートルの高さから! あの時だって母さんがいなかったらやばかったんだからな」
それは今から11年前、レオンハルトが7歳のころだった。オルトが成長し、風虎の名に相応しく空をやっと歩けるようになったのが事件のきっかけであった。
そのころのレオンハルトは怖いもの知らずで、オルトが乗せるのに消極的なのを無視して無理矢理背中に跨ろうとしていた。アメリーは息子のそんな蛮勇に心配から反対したが聞き入れられず、では父親はというと息子を煽るように囃し立てて逆に応援していた。
オルトとしてもレオンハルトの駄々には困り果て、結果仕方なしに乗せることにした。空の散歩は初めこそ順調であったが、走り出して速度が上がるに連れてオルトにしがみつくのが困難になり、最後はレオンハルトの言葉通り、高さ10メートルから振り落とされてしまった。
怪我が足の骨折だけで済んだのは僥倖以外の何物でもなかった。また、その治療はアメリーの魔法で迅速に行われたおかげで障害が残るといった大事には至らなかった。
もっともそれ以来、レオンハルトはオルトが空を往く時は絶対に背中に乗ろうとはしなかった。
「あの時はなんとか受身も取れたし、母さんもいたから何とかなったが、今回はいないんだぞ。落ちたら終わりなんだし、このまま歩いて行ったって問題ないんだからいいじゃないか!」
しかし、そんなレオンハルトの悲痛な叫びに返ってきたのは猛獣ですら降伏を示す威圧だけだった。
「ガァツ!!」
いや、威圧だけではなく、その脚でレオンハルトの頭を押さえ込んだ。勢いよく振られた脚に押しつぶされてまたもや地面に頭突きをかました彼に頓着することなく、オルトは脚に体重をかけていく。それに合わせてレオンハルトの頭がびきびきと嫌な音を立てていた。これに慌てたのは勿論被害者のレオンハルトだった。
「イタッ! イタイイタイ!! わ、わかった。乗る、乗りますから。ちょ、これ以上はだめええええ」
ということで空の旅を満喫(?)しているレオンハルトとオルト。その速さは時速60キロほどで、現代で言うところの自動車の法定速度である。そのスピードに壁も何もなしに風を受けていたのでレオンハルトの苦労が偲ばれる。
だが、昼間歩いて2、3日の距離ということは、空を往く速度であればほんの2、3時間で辿り着く。歩くよりはよっぽど早い移動手段であるのでオルトは全く頓着しなかった。流石に落ちそうになった時はフォローするつもりでいたが。
そうして、空を往くこと一時間ほど。バルツブルグの街まで歩いて1日といった距離のところで、ふとオルトがとあるものを発見した。その結果進む脚が緩む。
「はぁはぁ……ど、どうしたんだ? もう降りるのか……?」
弱弱しい声でレオンハルトが問いかける。空の道中、身体に容赦なく圧し掛かる圧力に抵抗するため必死にオルトにしがみ付いていた。それ故に既に叫ぶ力もなく、ぐったりとしている。
しかし、オルトは彼の調子を気にすることなく顎をしゃくる。
わざわざ声を上げないその動作に釣られて、レオンハルトもそちらへ首を向けた途端、彼のすぅっと目が細められる。そして、ぐっと背筋を伸ばし、真剣な表情で状況を確認する。その姿に先程までの情けない雰囲気は霧散していた。
「オルト。あれではもうもたない。すぐに向かおう」
その声にオルトも「ガゥ」と小さく一声上げ、今まで以上のスピードを出して一直線に空を走っていく。その際、レオンハルトが落ちかけて、慌ててしがみついたのは言わずもがなか。
「くっ、これが絶体絶命ってやるか……」
「とは言ってもこんなところじゃ助けなんて来ないよ。自力で何とかしないと……」
「それができたら誰も苦労はしねぇわな。アナ、エリックはどうだ?」
「すみません、もう限界です……傷が大きすぎてわたしの魔法では……」
「畜生っ!」
そう囁きあう彼らの周りには緑色の狼が取り囲んでいた。
囲まれているのは四人で、そのうちの一人は怪我を負ったせいで既に倒れ伏している。腹部からの出血量は夥しく、致命傷であるのは明白であった。
それでもまだ命はあるため、仲間の一人が必死に治癒魔法を掛けているが、効果は芳しくない。徐々に傷は塞がりつつあるが、命の灯が消えるのが先になりそうである。
残り二人は仲間を守るため、懸命に緑色の狼を牽制していた。そのうちの一人――大柄な男性――は大ぶりな斧を油断無く構え、またもう一人――髪の長い妖艶な女性――も短剣を構えている。
彼らを囲んでいる緑色の狼たちはアシッドウルフと呼ばれる魔物である。
爪や牙にある猛毒を繰り出すことからそう名付けられた彼らは普段はバルツブルグを取り巻く森林の奥深くで暮らしていて滅多に人里には降りてこない。稀に見かけてもすぐ逃げ帰るので臆病者と言われている。
ただし、それは彼らの一面であり、熟練者の間では自らの縄張りに入ってきたものに対しては攻撃的で、とても獰猛であると知られている。
ハンターギルドでも危険度は高めに設定されている魔物であるが、狼系ではよくあることで、はぐれならば駆け出しでもない限りは問題ない実力である。が、集団になるとその連携力は侮れず危険度は一気に引き上げられる。熟練の大型パーティーでもない限りは彼らの縄張りに向かう依頼は受けられないほどである。
それほど危険度の高い狼たちの群れである。しかも彼らは甚だ賢く、自分たちが既に獲物を追い詰めていることを理解していた。
そのため、ここで無茶な行動に出るまでも無いと判断しじりじりと得物の体力が無くなるのを待っていたのである。
もっとも街に近いことも理解しているため時間をかけすぎるのは良くなかった。故に少しでも獲物に隙が出来れば一斉に襲い掛かるつもりでいたのだった。
「グルルル……」
「バウ! バウ!」
アシッドウルフの群れは唸り、吠え声を上げ、得物を威嚇する。その様子は今にも飛び掛りそうになっている。
四人組の中で味方を守る二人は、アシッドウルフが声を上げる度に緊張し、既に体力も大きく消耗してしまっている。集中力も欠けてきている。
その時、すっと身構える二人の間に石が投げ込まれる。それはアシッドウルフの一匹が注意をそらすために投げ入れたものだった。
そして二人はそれに見事に引っかかり、注意を石のほうへと向けてしまう。
その瞬間にアシッドウルフたちが飛びかかろうとした時だった。
「ガアアアアアアァァァァァァァァツ!!」
空から大きな雄叫びが轟いた。
その声に倒れ伏している一人を除いた三人がビクンと反応する。それは先ほどのよりも明らかに決定的な隙となってしまったが、それを突くものはいなかった。
というより突くことができなかった。なぜならアシッドウルフたちは三人以上に怯え、体を強張らせていたからである。
雄叫びはオルトのものである。
魔獣というよりは聖獣に近い風虎はアシッドウルフにとって実力を含め圧倒的上位の存在であった。そんな存在の雄叫びは本能からの恐怖を呼び覚ましたのだった。
アシッドウルフたちは風虎の姿を捉えてはいない。しかし、認識はせずとも上位存在なのは雄叫びだけで感知できる。それは野生として生きていくうえで非常に重要な能力である。
この時点で既にアシッドウルフたちの意識には四人の存在はなく、如何にして突如現れた上位存在から逃げ延びるかで占められていた。
「はぁぁぁぁぁ!!」
そのアシッドウルフが恐慌状態に陥っているところに、更なる追い討ちがかかる。
上空のにいるルトから飛び降りたレオンハルトがその勢いを利用して一匹のアシッドウルフの首を切り落としたのだった。ザン、と何の抵抗もなく切り落とされる狼の首。狼の毛皮は質の低い鉄器では傷すら付かないはずであるが、レオンハルトは難なく為していた。
そして、アシッドウルフたちはレオンハルトを見る。彼はおもむろに立ち上がると、そのまま残ったアシッドウルフたちへ刃先を向ける。
そして一言。
「失せろ」
この一言は気迫と共に叩きつけられ、アシッドウルフたちの戦意を完全に刈り取ってしまった。
自分達より強い相手には立ち向かわないというのは野性の本能である。オルトの雄叫びで及び腰になっていたところに、裂帛の気合を当てられて、彼らの頭は逃げる、その一言が占めていた。
賢いとはいえ、言葉を理解しているわけではないアシッドウルフたち。だが、レオンハルトの言葉に一匹が森へ逃げだすと、それを呼び水にしてアシッドウルフたちは一斉に森へと逃げていった。
後に残されたのは四人組のパーティーのみ。彼ら――その内一人は倒れたままだが――はぽかんとした顔でレオンハルトを見ていた。
突然現れ、自分達が死を覚悟したアシッドウルフを追い払った男。さらにはその男に侍るようにして舞い降りてくる風虎。
一人と一匹の視線は森へと向かっている。彼らはアシッドウルフが戻ってこないか警戒していたのだった。やがて、完全に森の奥へと逃げ帰ったことを把握するとレオンハルトはふう、と安堵の息をもらす。オルトはそれを見て油断するなとばかりに尻尾で彼の背中をびしっと叩いた。
そんな一人と一匹のやり取りを四人組のパーティーは狐につままれたような気持ちで見つめていた。
読んで下さり有難うございます。