第1話
そこは長閑な村だった。
周辺には凶暴な獣や魔物はおらず、税を搾り取るような横暴な領主も居ない。村人は各々が畑仕事に精を出す。裕福でもないが、貧しくもない。日々の生活が送れることを神に感謝しながら生きている。ある意味どこにでもありそうな平凡な村。
そんな村の一角でその日、新たに村の住人が誕生した。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
「あらあら……ふふ、大丈夫でしゅよー。パパもママもここにいまちゅからねー」
「むう……こうも泣くとは……まさか泣き虫になったりするのだろうか」
「もう、あなたったら。赤ちゃんなのですから泣いて当然ですよ。それに、もしそうだとしても私達の可愛い子供ですよ。別にいいじゃありませんか」
「いやしかしだな……」
妻の言い分に夫は頭を振り言い募ろうとするも、妻の鋭い眼差しに参ったと言わんばかりに両手を挙げる。
そんな夫の動きがおかしかったのか妻だけでなく、赤ちゃんまで笑っていた。
「くすくす。あなたったらこの子にまで笑われてるわよ。世界一の剣豪も自分の息子に掛かれば形無しね」
「む、妻に頭の上がらない亭主と覚えられたら堪らんな。父親の威厳が……」
「ふふ、そんなことはないですよ。立派で頼りになるお父さんになりますよ」
その言葉に二人は見つめ合い、次いで笑いあう。赤ちゃんも両親と同じように嬉しそうに笑っていた。
その時、横合いからぱんぱんと手を叩く音が聞こえてくる。
「さぁさぁ、話はそこらへんにしなさいな。アメリーも出産で疲れておるじゃろ。今しばらくは休んでいな。それにドラグ。お前さんはまだ畑仕事が残っとるだろうが。はよ行って仕上げてきんさい」
産婆の枯れた声が部屋に響く。その言葉にドラグは一瞬情けない顔になるも、仕方ないと気を取り直して部屋を出て行った。妻は若干肩の落ちたその姿にくすくす笑いながら行ってらっしゃいと送り出した。
村はその日、いつもと変わらぬ日々にほんの少しだけ変化がもたらされた。賑やかな村の一員が増えるという形で。
増えた村人はレオンハルトと名付けられ、村中から祝福された。
17年後。
「父さん、母さん、行ってきますね」
レオンハルトは丘の上で、二つの大きな石の前で手を合わせ、そう呟いた。
右手の石にはドラグ、左手の石にはアメリーとただそれだけが彫られている。それぞれの石の前には野菊が一輪添えられていた。
レオンハルトは両親の愛と村の暖かな庇護の下すくすくと育ち、立派な青年となっていた。
父親からはただ生きることだけでなく、その人生から得たであろう様々知識や技術を与えられ、母親からは人としての慈愛、仁徳の精神を育まれた。村の中では同年代こそ居ないものの、兄貴分や姉貴分のように年長たちが彼に人間関係の何たるかを教えてくれ、弟分や妹分のような年少らが彼に受け継いでいくことの大切さを実感させてくれた。
そうして次第に心身が成長するに従いレオンハルトも村の一員として働き始めていく。与えられた仕事を精一杯こなし、充実した毎日を過ごしていく。
平穏な日々はそれこそが宝であり、彼はそのありふれた、しかしかけがえのない日々が続いていくと信じていた。
しかし、その日々に唐突な終焉が訪れる。
レオンハルトが17歳、つまりは1年前に、国中で体中に斑点が出来、最後には死に至る疫病が猛威を振るった。それはこの長閑な村も例外ではなく、多くの村人が観戦しその命を落とす。レオンハルトの両親であるドラグやアメリーもその運命に逆らえず、輝かしい生涯に幕を下ろすこととなった。そう、強制的に……。
国が総力を結集して猛威を振るっていた疫病に対する特効薬が作られるも時既に遅く、国中で多大な犠牲を出した後であった。それでもその特効薬が事態の沈静化を促進させたのは間違いなかった。
だが、その傷跡は大きく、第一次産業だけでなく、第二次産業、第三次産業どの分野でも人手不足を引き起こすこととなった。
そうすると、あらゆることが立ち行かなくなっていく。特にしっかりとした医療設備のない地方の村は被害が甚大であり、その多くが廃村となっていった。
レオンハルトが住むこの長閑だった村もその例に漏れず、生き残った人々だけで暮らしていくことは不可能となってしまった。故に、それぞれが何らかの伝手を頼り、新天地へと移動していった。
レオンハルトは新天地へと旅立つ最後の村人だった。
新天地へ旅立つ皆はその前に亡くなった村人達を埋葬していた。遺産も残っていた村人で分配していた。そうして一人、また一人と去っていく村の中に留まり続け、とうとう最後の村人が出発したのを節目に、彼自身も旅立ちを決心した。
そして新天地へ向かう前に両親へと最後の挨拶に訪れていたのだった。
旅にあわせた丈夫なズボンやシャツを着、その上から外套を纏っている。脇には年季の入った、しかし上等できちんと手入れを入れてある剣と様々な物が詰め込んである皮袋がある。剣は彼の父親が一番大事にしていた業物である。
「今まで育ててくれてありがとう。まだまだそちらに行く予定はないから、それまでに肴になるような話を仕入れておくよ。あっと驚かせてやるから楽しみにしていてくれ」
そう彼が呟き、静かに目を閉じて祈ったとき、彼の頭を撫でるかのように一陣の風が吹き去っていく。
まるで両親からの激励のように……。
レオンハルトは風に驚き、次いで嬉しそうにじっと墓石を見つめた。暫く後にぺこりと頭を下げて静かにその場を去っていった。
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