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第四話

 アルゼリオは再び蓋をした棺桶の縁に、ギモーブとモナカが優雅に降り立つのを待ってから、棺桶から取り出しておいた小皿をそれぞれの前に置いた。

 白い陶器の皿には、既によく冷えた水が注がれている。二人の帰還を察したアルゼリオが事前に気を利かせて用意しておいたものだ。

 水は、十個の樽と同じ容積を持ち、温度と鮮度を保つ機能を持った魔法の水差しから注いだものである。


「御苦労。どちらも怪我などはしていないようだな。まずはそれが何よりだ。咽喉は乾いていないか? 緊急の用件でなければ、まずは咽喉を潤してから話を聞こう」


「私からは取り急ぎお伝えしなければならぬ事はございません。モナカ、お前はどうか?」


「わ、私の方も殿下に急ぎ伝えなければならないような事はありませんでした。殿下の身に危険を及ぼすようなものは今のところはありません」


「そうか、ならば話は腰を落ち着けてからにしよう。まずは休んでくれ」


「それではお言葉に甘えまして。モナカ、お前も遠慮する方が失礼に当たると心得なさい」


「は、はい。執事長」


 重ねて勧めるアルゼリオにギモーブは素直に、モナカは恐縮しきった様子で従い、体を屈めて皿に注がれた水を舐めはじめる。

 アルゼリオは黙したまま二人の様子に優しい眼差しを注いでいたが、それは失ってしまった民の分まで慈しもうとしているからなのかと、ともすれば余計な重圧を二人に与えてしまうかもしれない自分の心の動きに気付いていた。


 ギモーブあたりは既にそこまで察しているかもしれないが、仕方ないとはいえ主君のすぐ傍に置かれる状況になったモナカの方は、まだまだ慣れておらずアルゼリオの心中まで察する事はないだろう。

 ギモーブとモナカが充分に咽喉を潤してから、二人が見て来た森の様子の説明が始められた。


「私共はここを中心に半径一キロル(=一キロメートル)を見て回りました。私が北から東周りに南へ、モナカは逆に南から西周りに北へ。

 一キロルの範囲内ではこの場と変わらぬ森林地帯が続いておりました。北から東にかけては巨大な山脈が広がっており、また森の中には所々に泉や沢などがございましたが、言葉を交わせるほどの知性がある者達は見当たりませんでした」


「私も祖父と大きく変わるところはございません。ただレヴランドの森では見かけた事のない生き物の姿がございました。

 やはり国外のどこかへと跳んだようです。魔力を持った魔獣の類も見かけましたが、殿下のお力に敵うようなものはまずいないかと」


「ふむ、とりあえず身に危険が及ぶような強敵がいないというのは朗報だが、周囲に交流を持てそうな相手がいないか。もっと遠くまで足を伸ばせば何かしら見つかると思いたいな」


「北と東の山脈へ足を伸ばすには、いささか情報と物資、人手が心許(こころもと)のうございまするな」


 控えめな言い回しで自らの意見をするギモーブに、アルゼリオは首肯する。少なくとも下の立場の者の意見に耳を傾けられないほど、狭量ではないらしい。


「高位の竜の縄張りで、怒りを買っては洒落では済まんからな。北と東がなしとなると、残るは西と南。二つに一つ、どちらが吉と出る?」


 さてここが思案のしどころだぞ、とアルゼリオもギモーブもモナカも、うう~ん、と唸り声を出しながら額を突き合わせて悩み始める。

 バンパイアと蝙蝠二匹が至極真面目に悩んでいる様子は、遠目から見れば微笑ましいと言えない事もなかった。


 取り敢えずは森から出る事を目的に、アルゼリオ達は夜明け前まで夜を徹して前進する事になった。棺桶はアルゼリオが左肩に担ぎ、ギモーブとモナカは二人一組になって進行方向を偵察している。

 もしギモーブとモナカが何かしら発見するか襲われた時は、ギモーブを残してモナカがアルゼリオの下に戻り、情報を伝える手筈だ。


 見た事のない青い花びらに十字の黄色い模様を散らした花や、百本の蔦と百本の枝を伸ばす巨木、こちらの様子を伺っている八つの目と六本の足を持った熊に似た巨獣、蝶の羽と蠍の尾を持った蟷螂に似た巨大昆虫……

 森に満ちる豊富な魔力による影響か、魔力を持った生物の数と種類は相当なものだ。彼らもまた突如として森に現れた未知の生物を相手に慎重になり、見る事に徹しているようだ。


 普通の森の百倍も千倍も危険なこの森の中を、アルゼリオは黒い風となって疾走していた。左肩に一ルット(=一トン)ほどある棺桶を担いでいるにもかかわらず、息を荒げる事もなく重量を感じさせない軽やかな動きを見せている。

 豊かな生命力を持った森に満ちる空気を吸うごとに、大地を踏みしめるごとに、アルゼリオは夜の森の息吹を感じ取り、自身の活力が増すのを感じていた。


 バンパイアの特性上、枝の天蓋からわずかに降り注ぐ月光を浴びても、アルゼリオの影が地に落ちる事はなかった。またブーツが土や苔、枝を踏む事があっても音は何一つ発生しない。

 バンパイア達は影と音とは縁遠く、そうあれと創り出された種族だった。それ故にバンパイア達は静寂と親しければ親しいほど良いとしていた。

 アルゼリオはその中でも特に音もなく優雅にダンスを踊る名手として、社交界では敬意を向けられていたものだ。


 アルゼリオはギモーブとモナカの飛行速度に合わせて速度を抑えていたが、このまま阻まぬ者がなければ森林地帯から脱するのも時間の問題であったろう。

 痺れを切らしたのか、枝の上を飛びまわりながらこちらを襲う機会を伺っていた四つ腕の猿達が飛びかかろうとするのを、アルゼリオは真紅に輝く瞳で睨む。


 知性の低い獣を支配下に置くバンパイアの基礎能力に加え、王族級のバンパイアであるアルゼリオの視線は例え魔獣でも下位の者なら恐慌に陥らせるだけの力がある。

 アルゼリオの視線を浴びた猿の魔物達は、身も蓋もない悲鳴を上げるや一目散に森の奥深くへと逃げだす。


 無益な殺生はアルゼリオの好むところではなかったし、この森の魔獣相手にアルゼリオの視線が通用するか、確かめる事も出来たとアルゼリオは小さく満足した。

 向かっている方角は、地面に立てたアンクロストが西に倒れた事から、南を目指している。

 邪竜の呪いと憎悪がたっぷりと込められているこの槍は、持ち主に対して常にその魂を食い潰さんと悪意を向けており、こういう時は信じずに反対の行動をするのが結果としてより良いものとなる。


 アルゼリオの真紅の瞳に険しさの光が宿った。前方からモナカが舞い戻って来たのだ。

 手筈通りではあるがギモーブの姿がない事に、アルゼリオの心にさざ波が起きる。アルゼリオの踏み込む力が増して、足場となった岩が砕ける。

 急激に加速したアルゼリオに合わせる為、慌てて旋回したモナカの左側にアルゼリオが躍り出る。


「モナカ、何があった?」


 アルゼリオの短く力強い言葉に、モナカは呼吸と共に焦燥を飲み込み何があったか簡潔に伝える事が出来た。


「はい、おじい、執事長が先行していたところで森に棲息している大型の魔物と遭遇。現在襲撃を受けています」


「魔物の特徴は?」


「おおよそ体高三メルタ(=三メートル)、長さ七メルタの尾を持った、蠍に酷似した大型の甲殻類ないしは節足動物系統の魔物です。

 尾の他、巨大な鋏を備えた四本の前脚、また尻尾の針や牙、鋏には毒を有している可能性が高く、どうかお気をつけください」


「分かった。お前は下がっていなさい」


 アルゼリオの耳は大木を薙ぎ倒し、岩を抉る音を先程から捉えていた。

 その音から魔虫とギモーブの位置は捕捉している。モナカが自分の言葉に従って下がるのを確認せずに、アルゼリオは加速する。

 疾風から流星へと変わったアルゼリオは、足場をいくつも粉砕しながら森の中を駆け抜け、程なくして空中を飛ぶギモーブと、ギモーブを追って跳躍を交えながら尾や鋏を振るう巨大な蠍モドキを見つけた。


「殿下、申し訳ございませぬ」


「よい。木の陰にでも隠れていろ」


 アルゼリオが言い終わるよりも早く、言いつけどおりに大樹の陰に隠れるギモーブを一瞥してから、アルゼリオは足を止めて蠍モドキの巨体を見上げた。

 蠍モドキの甲殻は夜の森に溶け込むように黒く、甲殻の色に近い黒ずんだ緑色の苔も生えている。待ち伏せする時に森の風景と同化する為のものだろう。


 平べったい胴体の正面に七つの黒い目があり、その下にキチキチと左右に開閉する大顎がある。

 頭の横から伸びる四本の前脚は左右に開けば、全幅十六メルタはあるだろう。それぞれの先端に備わった鋏は、人間なら三、四人はまとめて両断できそうだ。

 巨体からは強い魔力も感じられていて、レヴランドの基準に照らし合わせればそこそこに強力な魔物になる。


「未知の土地で初めて得る下僕としては悪くはなかったかもしれんが、私の家臣を食おうとするなど許せる事ではない。まったくその巨体ではギモーブを食べても、腹の足しにもならんだろうに、強欲な奴」


 表情こそ変えぬまま、内心の怒りを滲ませるアルゼリオを目がけて、蠍モドキは頭上から野太い尾を突き降ろした。

 城門を破る破城槌と見まごう太さと、先端には毒液を滴らせる針が伸びる尾を、アルゼリオは無造作に左手一本で掴んだ棺桶で殴り飛ばす。


 アルゼリオの左腕に返って来たのは、薄く伸ばした飴を割った時のような何と言う事はない手応えだった。

 棺桶に殴りつけられた蠍モドキの尾は、アルゼリオの膂力によってその半ばまで粉砕され、毒の体液混じりに降り注ぐそれを、アルゼリオは前に進み出る事で避けた。


「痛覚はないか。便利な事だな」


 歩いたとしか見えないのに、蠍モドキとの間にあった七メルタ近い距離は、一瞬で詰められていた。

 蠍モドキは自分の目を疑ったかもしれない。鋏の先に居る筈の獲物が、既に自分のすぐ目の前にまで居たのだから。


 やわらかそうで、美味そうな食べ物だと思っていた相手が、そうではなかったと知る時間は、蠍モドキには与えられなかった。

 左右から襲い掛かって来た蠍モドキの鋏を、アンクロストと棺桶が真っ向から弾き返し、尾と同様の運命を与えたが、蠍モドキがそれを認識するよりも早く、アンクロストの穂先が蠍モドキの真ん中の目を貫いていた。


 深々と突き刺さったアンクロストの穂先や柄から、ディアエルと戦った時と同じ暗黒が噴きだし、見る間に蠍モドキの生命を貪り、魂を咀嚼し始める。

 血肉を傷つけるばかりでなく、直接生命と魂を傷つけて食らう、呪わしくも頼りになるアンクロストの異能であった。


 アルゼリオはアンクロストを突き刺したまま、右手一本の膂力で蠍モドキの巨体を持ち上げると、小さな呼気と共に地面と思いきり叩きつける。

 蠍モドキが地面に叩きつけられるのと同時に、森を小さな地震が襲い、枝葉に止まっていた鳥達は一斉に飛び立ち、地面に掘った穴や木の洞に隠れていた者達、擬態して地面や木々に同化していた者達の多くが狂ったようにその場から逃げ出していた。

 アルゼリオは跡形もなく砕け散った蠍モドキと、盛大に地面が抉れて出来上がったクレーターの中心地で、アンクロストの穂先を見ながらしみじみと呟いた。


「ちょっとやり過ぎたな」


 その左肩に担がれた棺桶に、隠れていたギモーブが降り立つ。


「お助けいただき、まことにありがとうございます。しかしながら、これは少々力を込め過ぎましたな、殿下」


 周囲にはアルゼリオの一撃で吹き飛んだ地面や大岩があちらこちらに飛散し、折れた幹や枝がそこらじゅうに飛散している。


「少し頭に血が昇った結果だ。余計なちょっかいをして来る者共はこれでいないだろう。モナカ!」


「はい、殿下、執事長、こちらに!」


 アルゼリオから遅れてやってきたモナカが、祖父であるギモーブの無事な姿に安堵し、突如として出来上がったクレーターに驚きの目を向けるが、それもすぐに消え去った。

 この程度の事は彼女の仕える主君ならば、当たり前にできる事でしかない。


「よし。では再び森の外を目指す。夜明け前には抜けられるだろう」


 アルゼリオの言葉の通り、彼らが森を抜けたのは夜明けを迎える前であった。

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