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第十三話

 こちらを見て驚く少年に、アルゼリオは悪い事をしたかなと小さく笑った。それがますますまずかったらしく、少年が呆然とした顔のままマアグのすぐ上まで落下してしまう。

 少年が正気を取り戻したのは、自分を待ち構えていたマアグがその長い右腕を叩きつけて来た時だった。咄嗟に空中で身を捻り、回避行動を取った少年を、マアグの右腕はわずかに掠めるに留まる。


 わずかに空中に跳ぶ血の珠と引き換えに、少年は両手足を着いた低い姿勢で地面に着地する。少年の引きしまった左の二の腕に爪痕があり、そこから血が滴るのと引き換えに、少年の目には闘志の炎が激しく燃え盛る。

 左半身を前に出し、握った左拳は腰の高さに、開いた右手は胸の前に置き、少年が戦闘態勢を整える。ギモーブとアルゼリオの胸中は一致していた。悪くない、これだ。

 これまでこの見知らぬ土地で見て来た戦士達の中では、最高の評価を二人とも少年に与えていた。


「いくぜ、バケモン!」


 美少女と見間違う顔立ちを裏切らぬ声で、顔と声を裏切る言葉を発し、少年が恐怖など一片も見せずに正面から突っ込んだ。

 地を這うような低姿勢の少年に、マアグはわずかに反応が遅れる。その巨体から考えれば攻撃は常に振り下ろすものだったろう。


 だが少年はマアグの経験にないほどの、それこそ蛇のように地を這う特異な動きを見せていた。思わぬ速度で迫り来る少年に、慌てたマアグが両腕を振り下ろしたが、それは虚しく手首まで地面に埋まるだけだった。

 人体など容易く貫通するマアグの腕をするりとかわした少年が、思いきりよく地面を蹴り、握りこんだ左拳でマアグの顎を殴り飛ばす!


「おらああ! 腹ががら空きだぜ」


 決して大柄とは言えず、むしろ小柄に見える少年のどこにそれだけの力が眠っていたのか、マアグの巨体が大きく仰け反って、無防備な姿を少年に晒す。

 マアグが体勢を立て直すまでの一瞬に、少年が呼吸と血流を操作し、闘気を爆発させるのをアルゼリオとギモーブの目は確かに捉えていた。


爆瞬拳(ばくしゅんけん)!」


 気功を応用した武術はレヴランド王国では珍しかったが、天地万物に存在する気を高め、操る事が出来れば、その者の拳は岩を砕き、巨木を裂き、魔獣をも圧倒する武力を手にする。

 その証左に、真っ赤な闘気の輝きを舞った少年の拳はマアグの硬質の皮膚を貫き、臓腑まで達すると内部で蓄えた闘気を解放して、マアグの内臓や脊髄、骨格を内部から破壊しつくす。


 マアグがすぐさま絶命し、血の滝を吐きながら仰向けに倒れるのに合わせて、少年が拳を引き抜く。少年が闘気を爆発させた直後に必須の息を整える作業に入ろうとし、その瞳が自らに襲い掛かって来る二体目のマアグの姿を捕らえた。

 少年の視線の先には、切り札である二体目のマアグの檻を解放した兵士の嫌味ったらしい笑顔がある。


 仲間の轍を踏まぬように二体目のマアグは全力で少年を殺しにかかっていた。くそ、と吐き捨てる間を惜しみ、少年がなんとかマアグの腕を避けるべく、後方へと飛び退く。

 と、その足先が、先程仕留めたばかりのマアグの吐きだした血にぬるりと滑った。

 少年自身には何の失態もない、まさに天を呪うしかない不運にも、少年は目を閉じずにマアグを睨み続けている。例え首を掻き斬られても、絶対にただでは済まさないと言う覚悟がそこにはあった。


「余計な手出しと言ってくれるなよ」


 そして、ここまで待ってようやくアルゼリオは手出しする事を自身に許した。屋根からひとっ飛びで少年とマアグの間に割って入ったアルゼリオは、アンクロストでマアグの心臓をほぼ真下から垂直に貫き、その勢いでマアグの巨体を右手一本で空中に持ち上げる。

 自分の数倍の重量を片手で持ち上げても、アルゼリオの顔色に変化はない。少年に背を向けたまま、既にアンクロストの呪いで死んでいるマアグを、慌てふためく兵士達へと放り投げる。


 放り投げるとは言ったものの、小石で人体を貫通するアルゼリオが放り投げれば、それは超高速での投擲に等しい。

 二体目のマアグの死体は生き残りの兵士の内、三名を巻き込んで隊長格の兵士と激突し、二つの檻をぐしゃぐしゃに破壊しながら砕け散る。

 マアグと仲間の血と臓物塗れになった兵士達が、言葉にならぬ悲鳴を上げて逃げるのを無視し、アルゼリオは少年を振り返る。


「大した怪我はしていないな」


「ななな、なんだよ、あんた! さっきも屋根の上にいたろ!!」


 やいのやいのと騒ぐ少年の声に引かれて、他の武装集団や村人達がおそるおそる近寄ってきて、マアグの死体とアルゼリオの姿に息を飲む。


「驚かせたようで悪かったな、少年」


「別に驚いちゃねえやい。あんた、変な気を持ってんな。生きているのに生きてないみたいな、わけわかんねえ気だ」


 鋭いとアルゼリオは内心で唸り、少年に対する評価を上方修正する。不死者と呼ばれるバンパイアの生命や気といったものは、他の尋常な生物とはその性質が大きく異なるものだった。

 アルゼリオは戦意がない事を示す為に、アンクロストを逆手に握り直す。地面に突き刺しても良いのだが、アンクロストの呪いが大地を侵食して不毛な大地に代えかねない為、できれば避けたいところだ。

 動作の意味が通じるかは怪しいところだったが、少年はアルゼリオに闘志の火がともっていない事を認めたようで、意識を警戒程度にとどめている。


「なに、気にするな。そういう種族でな。それといっておくが私はお前達と敵対する為に来たわけではない。

ヨンヨという集落がここと同じように襲われてな、そこで見つけた生き残りがこの集落に縁故のあるものがいると言うから連れて来たのだ。そして辿り着いてみればこうなっていたから、助力をしたまでの事」


「ふーん、本当にそうならあんた、お人好しだな。で、そのヨンヨで助けたって言うのはどこの誰だい?」


「ササラという薬師の孫娘ネネリとその弟トトルだ。今は向こうの森の中で待たせている。途中で何人かこの村の者ともすれ違ったが、けが人の治療をしているだろう」


 アルゼリオが指さす方を見てから、少年が背後の村人達に問いかけた。


「おい、この兄さんの言うササラっていう婆さんとネネリやトトルって名前に、憶えのある人はいるかい?」


「ササラならあたしのお師匠さんだよ。ネネリちゃんとトトルちゃんは、確かに師匠の孫だ」


 村人の中から進み出たのは、三十後半の痩せた女だった。とはいえどの村人も満足に食べては居られないようで、恰幅の良い者など誰ひとりとしていない。

 他の村人達と違って、複数の花や草、木の実の匂いを纏う女に、アルゼリオと少年の視線が集中する。


「なるほどね、とりあえず嘘じゃねえってわけだ。じゃあ、おれ達もそのネネリって子達のいるところへいこうぜ。兵士どもはもういないみたいだしな」


 自らの足で動けない者を戸板に乗せ、騎兵達が乗り捨てたトンタに曳かせるなどして、アルゼリオの先導によってネネリ達の待つ森へと進む。道中、こちらへ警戒の意識を飛ばし続けている少年へ、アルゼリオが話しかけた。

 アルゼリオからすると少年は毛を逆立たせている子猫といったところで、警戒されてもそう悪い印象はない。


「まずは名を聞こう。私はアルゼリオという。こことはとても遠いところからやむを得ぬ事情でやってきたものだ」


「旅人さんかい? にしちゃずいぶん身綺麗だしおっかねえ槍を持っているけどよ。おれはレンカだ」


「レンカか。やはり故郷とは響きの違う名前がこちらでは一般的なようだな。それでお前達は一体どういう氏素性の者達の集まりだ? この国の兵士達と事を構えているようだが……」


「うじすじょーなんて立派なもんのある奴なんかいるもんかい。おれ達は国とかいうもんへの文句をぶつけて暴れ回っているろくでなしどもさ」


「その割には村人達を命懸けで守っていたな。義賊か」


 アルゼリオが義賊と口にするや、レンカは体中を掻きむしり始める。思ってもみなかった事を口にされたと、恥ずかしがっているらしい。


「よしてくれ! 義賊なんてのは金持ちや士族共から奪った金や食いもんを、他の困っている奴らにくれてやる奴らのこったろ。おれ達は自分達で使っちまうんだ。だから義賊じゃねえ」


「義賊でなくともマネンの村人達を助けたことには変わりない。それは誇るべき事だ」


「あんたと喋っていると調子が狂うぜ。へん、国をどうにかしようなんて考えてんのは、反乱軍の連中ぐらいのもんだろうぜ」


「反乱軍か。私がこの地に来てからそう時間は経っていないが、そういった者達が決起してもおかしくはない状況のようだ」


 レンカの顔がきゅっと渋いものに変わる。国をどうにかしようというつもりはなくても、今の国の状況が良くない事は分かるのだ。


「どっかの士族の跡取りだとか、王の座を追われたどっかの一族の生き残りだとかいう奴が率いてんだ。この間聞いた話じゃ、戦える奴だけでも軽く千人は集まっているってよ」


 そこまでの数となれば食べさせて行くだけでも一苦労だろう。税を払わずに作物を自分達で使うにしても、後ろ盾となる商人か士族がついているのは間違いあるまい。

 このレンカという少年は興味深いが、その反乱軍もまた興味深い。この集団が反乱軍と繋がりを持っていればよいのだが。

 そう口にはせずに思うアルゼリオの瞳に、負傷者の間を走り回るネネリとトトル、モナカ達の姿が映った。

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