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第一話

 星の明かりも月の明かりも飲み込んでしまうような深い夜の闇を、轟々と燃える炎が血のように広がって追い立てている。

 昼の時刻でも暗がりに包まれた森の中に立つ石造りの城を、何千何万もの武装した兵士達が囲い込み、燃える城から逃げる者があれば蟻の一匹であろうと見逃さずに殺すと言う凶悪な殺気に満ちている。


 満月の見守る中、夜半に攻め込んできた兵士達は城の中心部にまで入り込み、先程までひっきりなしに続いていた刃を交わす音は徐々に少なくなっている。

 炎と斬り殺された者達の血で赤く染まった城の中を、長身の青年が黒いコートの裾を翻しながら走っていた。


 炎の照り返しを受ける長髪は月の光を思わせる白みがかった金。

 コートにズボン、ベストに至るまで黒一色で揃えられ、首元には青いスカーフが銀のリングで留められている。

 青年の右手に握られた槍の穂先は真っ赤に染まり、ここに至るまでに何人もの生命を奪い、その血を啜ってきた事が一目で知れる。


 月の光が気まぐれに人の姿を取ったような、そう思わせる透き通った美しさと匂い立つような男臭さを併せ持った青年の顔立ちは、今や城を包む炎よりも熱く激しい怒りと恥辱に染まっている。

 全力で城の中を走る青年は足音一つ立てずに、目的の場所を目指して駆け続ける。

 城の中に木霊していた怒号や悲鳴はますます数を減らし、それだけ生命が失われた事を如実に表していた。


 曲がり角の向こうから、三本の線を組み合わせた紋章を刻印した白銀の鎧を纏った兵士達が五名姿を見せる。

 全員が祝福を施された鎧、盾、長剣、槍で武装しており、青年の姿を見るやわずかな恐怖とそれを上回る敵意を剥き出しにして襲い掛かって来る。

 それを認めた瞬間、青年の唇を割って血に飢えた猛獣も怯むであろう怒号が発せられた。


「痴れ者共が、その命で購え!」


 青年の怒号に含まれていた精神を萎縮させ、意識を混乱させる力と兵士達の鎧と盾に施された祝福とがせめぎ合い、両者の中間で黒白の光が一瞬だけ明滅して黒が勝った。

 兵士達の動きが不自然に止まり、闘志に燃えていた瞳は焦点を結ぶ事を忘れて、ぼうっと霞む。


 だが重ねて施されていた祝福の力が兵士達の正気を取り戻させ――その時にはもう手遅れだった。

 足音もなく風よりも速く迫っていた青年が槍を一凪ぎし、あろう事か鍛え抜かれた肉体も祝福を施された魔法の鎧も盾も槍の穂先が断ち切り、即座に絶命した死体がどさどさと音を立てて床に崩れ落ちる。


 自分が命を奪った兵士達の事など欠片も気にする素振りを見せずに、青年は槍を一振るいしてこびりついた肉片と血を掃い、再び足を動かし始める。

 すでに戦いの趨勢は決した。今からではどう足掻いても、敗北に傾いた天秤を勝利へと逆転させる事は出来ない。


 青年はいくつかの隠し通路と仕掛けを動かし、城の極一部の者だけが知っている地下奥深くの隠し部屋へと辿り着いた。

 城の地下に流れる水脈と大洞穴を利用して作った脱出路で、ここの存在を知っている者は代々の城主とごく近しい忠臣達だけである。


 見通せぬ闇に満たされた大洞穴には灯り一つなく、また青年の手には蝋燭もランプもなく、中に足を踏み入れてもろくに前に進めぬかと思われた。

 だが青年はまるで太陽の下を歩いているように迷いなく進み、侵入者を迎え撃つ為の落とし穴や吊り天井、仕込み矢や槍衾、振り子の刃に毒水などの罠を全て回避し、最奥の間へと辿り着く。


 最奥の広間には、闇と共に凍えるような冷気と濃密な妖気が満ち溢れていた。

 尋常な生物なら一歩足を踏み入れた途端に昏倒する尋常ならざる環境も、青年にとっては母の腕の中のように心地良い。

 これまで緊張で全身を満たしていた青年が、かすかにソレを緩める事を自分に許した。

 周囲を改めて見回し、頭上に自分以外の見知った気配が二つある事を認め、見上げながら声を掛けた。


「ギモーブ、モナカ、無事であったか」


 青年が冷厳の声にわずかに安堵と労わりの響きを込めて呼べば、天井の岩肌に張り付いていた二つの気配の主――巨大な蝙蝠が翼を広げて、差し出された青年の左腕へと降りて来る。

 ギモーブが真っ白い毛並みに覆われた老齢の蝙蝠で、右目にはモノクルを装着し口元には豊かな髭が生え揃っている。

 ギモーブの傍らに降り立ったモナカはギモーブの孫娘にあたる蝙蝠で、こちらは手入れの行き届いた茶色い毛並みを持ち、円らな瞳と左の耳に結ばれた赤いリボンと、首元の蝶ネクタイが愛らしい。


「殿下、お待ちしておりました。お怪我は?」


 ギモーブの口から出て来たのは、蝙蝠の鳴き声ではなく流暢な人語だった。青年の祖父の代から仕えている老執事の問いに、青年は今宵初めて口元を緩めた。

 するとこれまでの張り詰めた印象が、不思議と人懐っこいものへと変わる。日常では穏やかな気質の青年なのかもしれない。


「かすり傷一つ負ってはいないさ。お前達こそ無事か? モナカ、お前はどうだ?」


 メイドではなく執事見習いとして働いているモナカに、青年が赤い瞳と問いを向ければ、モナカは背筋を正して礼儀正しく応じる。


「お気遣いありがとうございます。私も祖父も傷一つございません。ですが、他の皆は……」


 モナカが濁した先に続く言葉を察し、青年は胸の内に広がる苦渋を飲み込むのに、瞼を閉じて数拍の間を置かねばならなかった。


「この夜の屈辱と怒り、そして憎悪は生涯忘れまい。未然に防ぐ事の出来なかった私の無能さもな」


 血を吐く思いで口にした青年の言葉に、ギモーブもモナカも何も口を挟む事は出来なかった。かねてより戦乱の兆しはあった。

 だが、よもやこの夜と闇の国がかくも無残な事態を迎えるなどと、一体誰が想像し得ただろう。強く、賢く、逞しい王とそれにつき従う忠実にして精強無比なる騎士達。


 月光の下、音一つ立てることなく静寂と共に出陣した彼らが、戦場の露となって果てたなど、こうして王城陥落の時を迎えてなおギモーブには信じ難い。

 信じ難い悪夢の中に捕らわれている、そんな思いに瞼を固く閉じる祖父を気遣いながら、モナカは主人を慰めた。


「殿下、この度の事態は殿下のせいではございません。どうか御自分を責められませぬよう」


「モナカは優しいな。だが、決して忘れてはならない事だ。忘れようとしても忘れられない事だ。今は雌伏の時を迎えねばならぬが、何時の日にか必ずや再び私はこの地に帰って来よう」


 青年は広場の中央に鎮座する棺桶の前まで進む。石の棺桶を塗りつぶしているのは、特殊な技法によって封じ込まれた夜の闇そのものだ。

 棺桶の底には青年が生まれ育ったこの土地の土が敷き詰められ、その上に年経た霊木の板をはじめ豪奢な内装が施されている。


 棺桶の中に入った者の居住性の確保と外部からの干渉を遮断する為に、何重もの守りの法が施された緊急時の避難所兼寝所である。

 青年の左手が王族の為に作られた棺桶の蓋にかけられ、それを動かそうとしたところで、雷光の速さで背後を振り返り、腰を落とし、足幅を広げて槍を構える。

 ギモーブとモナカも既に青年の肩から飛び立ち、空中で羽ばたいている。


「よくぞこの短時間で罠の全てを踏破して来た」


 素直に称賛の言葉を述べる青年の視線の先に、先程青年が葬った兵士達よりも更に凝った意匠の全身甲冑を纏った男が、背後に何人もの騎士と兵士達を連れて立っていた。

 背後の者達とは比較にならぬ強く深い祝福を施された全身甲冑と左手の盾、右手の大剣はおのずと白い光を発し、男を輝きの粒子の中に包みこんでいる。


「夜と闇の国の王子よ。貴公に仕える者も貴公が治めるべき者達も、既にこの城にはない。粛々と滅びを受け入れよ。それが滅びゆく者の潔さというものだろう」


 およそ人間らしい感情が何も感じられぬ男の言葉に、青年は眉根を寄せて怒りを深める。


「私の耳に滅びの足音は届いてはいない。例え滅びが私の肩に手を掛けようとも、それを捻り上げて追い返してみせよう」


「ならば――」


 かすかに男の雰囲気が変わる。

 青年と対峙するこの男は今夜、この国の王城を陥落させたサルーシアン神遣帝国(しんいていこく)最高位聖騎士(バーサルパラディン)ディアエル。

 青年にとって敵対国の中でも指折りの強敵であり、自分の故郷と家を炎で包んだ怨敵に他ならない。


 最高位聖騎士ディアエルの右手には、この世の万物を断つと言う、白銀の光を発する輝光剣(きこうけん)ストラスレイ。

 生まれた時より祝福を受けた聖人の肉体を守るのは、ありとあらゆる光を編み込む事で作り上げられた万光(まんこう)の鎧インフィールシャイン。

 左手に携えたるはあらゆる闇を払い、混沌を散らす光照(こうしょう)の盾テラルブライト。


「神意の代行者たる我が刃にて、汝に滅びの運命を与える」


 サルーシアン神遣帝国の三つの至宝で身を包む、生まれながらの聖人にして帝国最高の勇者を前に、青年は愛用の槍を両手で構える。

 守れば大山の如く不動、攻めれば暗雲を切り裂く稲妻の如く苛烈、見るだけでそうと知れる青年の技量に、ディアエルの背後の控える騎士達が我知らず息を飲む。


 青年の両手にあるのは、さる戦いの神が邪竜の心臓を貫いた時に、邪竜の憎悪と血で呪われた竜殺しの呪槍アンクロスト。

 青年の身を守っていた鎧兜はこれまでの激戦の最中で失われ、今は戦場には似つかわしくない漆黒のコート姿だ。

 武器は同格でも防具に於いては青年が幾段も劣る。それを見抜き、上空に退避したギモーブとモナカは、それぞれの瞳に焦燥に近い心配の色を浮かべていた。


 もはや聖なる祝福そのものと言える装備に身を固めた聖人と、夜の闇に生を受け月の光に慈しまれた者との対峙に、この場に居る他の誰もが介入する術を失っている。

 神遣帝国の聖騎士達からすればディアエルを援護する為の奇跡も、あるいは青年を害する為の奇跡も、それを願う事それ自体がこの場の均衡を狂わせるものだった。


 そしてそれが両者の戦いの始まりの鐘となる事を、誰もが自然と恐れていた。

 一瞬で魂が悲鳴を上げる異様な緊張感に満ちる戦場となったこの場の空気を、ディアエルと青年以外の者が変える事は許されないと、心底から信じてしまっている。

 ディアエルは神に仕え、善に仕え、秩序に仕える人間であり、青年はそれらの名の下に滅ぼされようとしている者だったが、戦場で対峙した者への礼儀は共に弁えていた。


「サルーシアン神遣帝国最高位聖騎士ディアエル、推して参る」


「レヴランド王国王太子アルゼリオだ。行くぞ」


 青年――バンパイア達が住まうレンヴランド王国の正統な後継者が応じ、ディアエルへと正面から愛槍を突きこんだ。

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