契機
カールが小さなころ、お母さんは寝る前に、たくさんの伝説を話してくれた。それはどれも少し不気味で、それでいてどこか心が温まるものばかりだったが、一つだけ子ども心に妙に後味の悪いお話があった。カールはその話しが大好きで、よくお母さんにそのお話しをねだったものだった。
「今日は泉の水の話をしてあげましょうか。」
お母さんは子ども部屋で寝支度をしているカールに言った。するとカールはパジャマのズボンをトントンと片足で履きながら言った。
「泉の話よりもアレがいいよ。あのイヤな話。」
「またあれ?三日と開けず聞きたがるわね。」
お母さんは呆れたように言った。カールはそんなお母さんのことなど全然気にしない。
「うん!俺怖い話好きなんだよね。怖い話みたいに話してよ。」
「別に怖い話じゃないけど。分かったわ。さ、じゃあ、ベッドに入って。」
「はーい!」
カールは勢いよくベッドに飛び込むと、一度クルンと転がり、掛布団を巻きこんで、ベッドに腰掛けるお母さんの足元に顔を出した。
お母さんは、カールのリクエストに応えて、低い静かな声で話しはじめた。
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昔々のことです。
ある村に若い男が一人で住んでいました。男は農民でしたが働くことが大嫌いでした。男は畑を耕しても自分が食べる分だけあれば良いと思い、ほんの少ししか収穫がありませんでした。それでも男は飢えることがありませんでした。なぜなら、男はとても美しかったからです。
村の娘は男に振り向いてもらおうと、こぞって彼のために料理をこしらえました。食べる物だけではありません。着る物を縫ったり、高価な酒を持って来たりと競っていたので、男は働かなくても生きていけたのです。
男は自分が美しいことを知っていました。
それで町に出て、お金持ちの女性と結婚してしまいました。
ある日、男は自分が少し歳を取ったと感じました。それはほんの少しの変化でした。鏡に映る美しい自分の顔に、疲れた影がうっすらと浮かんで見えたのです。男はそれが大変気になりました。
それからというもの、自分の顔や身体を鏡に映しては、その目の輝きや肌の張りや髪の毛の艶を保とうと丹念に手入れしました。
しかし月日が経てば歳を取るのは、自然なことです。
残念なことに、男は少しずつ、ほんの少しですが、確実に老けていったのでした。
男は自分が歳をとることや老いをおうこと、また死ぬことを非常に恐れ、魔女の家を訪ねました。力のある魔女がいることを知っていたのです。
「私はこれ以上歳をとりたくない。どうか、あなたの魔法で、私の歳をとらないようにしてくれないか。」
男は、今まで女たちから貢いでもらった金や宝石をたくさん魔女に渡して頼みました。
「そんなことはできん。人は皆、生きて死ぬのが定めじゃ。」
魔女ははじめ、まったく取り合いませんでした。しかし男は諦めませんでした。
「そうは言っても、あなたは普通の人間の倍以上も生きているではないですか。」
「お前は、自分では働きもせず、こうして女に寄生して生きているが、そんな者はたとえ美しくとも、生きている価値などない。せめて生きるために働くがいい。そして、本当に大切なものを見つけたら、またここに来てみなさい。」
魔女は、男が美しいだけの、怠け者だということを知っていたのです。それで男が反省でもすれば、少しは考えを変えたのでしょうか。ところが、男は全く反省していませんでした。それどころか、自分が美しいことを誇って言いました。
「美しい者に魅かれるのは当然ではないか。それが人間の価値だ。私こそ長生きするのにふさわしいのだ!」
この男の高慢な言い分に、魔女は非常に驚き呆れ、そうして賭けをすることにしました。
「だったら、その美を糧に長生きすることができるかやってみようか。」
「やってくれるのですか!」男は喜びました。
「やり方はこうじゃ。今からお前のその美を森の奥の窪地に隠す。」
男は喜んでいたものの、急に怪訝な顔になりました。自分の美を森に隠すとはどういうことなのかと。魔女の言葉は続きました。
「そこは普段人間も動物も立ち寄らない、森の奥じゃ。そこに、お前さんの美に魅かれて人間がやってくれば、お前はその人間の精気によっていつまでも生きられる。じゃが、誰も何も来なくなったとき、お前は枯れて死ぬだろう。」
「つまり・・・?」
男は魔女の言った意味が全くわかりませんでした。今まであまり考えることをしなかったので、深く考えることができない、つまり、馬鹿者だったのです。
男が渋い顔をして首をひねったまま動かないのを見て、魔女がもう一度言いました。
「お前の美を餌にして、動物や人がやってくれば、お前はいくらでも長生きできる、ということじゃ。なに、今までのお前の生活と全く変わらん。お前は人に何かをしてもらって生きているだけなのだから。」
「そうか。何もしなくても年老いず長生きできるのですね。」
「お前の美に魅かれて、お前のエサとなるものがやって来るのならな。」
男はちょっと嬉しそうな顔をしました。それこそ、望んでいたことだからです。生きるために働かなくとも、誰かが何とかしてくれる生活を望んでいるのです。そしてさらに、年老いず、いつまでも生きられるというのなら、それはもう願ってもないことでした。
魔女は男を森の奥の窪地に連れて行き、彼の美を隠しました。
「お前さんの美を誰かに盗られてしまってはいけないよ。そうすればすぐに死んでしまうからね。」
「わかりました。」
魔女はそれだけ言うと、男から離れて行ってしまいました。
男は一人だけ取り残されました。
男は森の中で待っていました。誰かが来るのを、一人で待っていました。
男を探して、時折若い娘が窪地にやってきました。男は美しさを森に隠していたので、娘はそこにいるのが目当ての男だとは気付きませんでした。
しかし、彼の美に魅かれてきたことは確かでした。
男はその娘の精気をもらって生きました。何人も何人も人間がやってきては、男のエサとなり、男は生き続けました。そうして今も、森の奥に一人で住んで、誰かが来るのを待っているのです。
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低い声をひそめながら話す、お母さんの話しぶりにカールはドキドキした。この後味の悪ささが何とも言えず好きなのだ。
「うひー、やな話!」
カールはお母さんが話し終ると、ベッドから目だけを出して笑った。そしてゴロゴロと転がりながら聞いた。
「ねえ、これってただの作り話なんでしょ?」
「いいえ?お母さんが話しているのはみんな、この村の伝説よ。」
「じゃあ、まだこの人、生きてるの?」
カールがあまりにも恐ろしそうに言うので、お母さんも笑った。怖い話が好きだと言うから、怖がらせようとしたら、本気になってしまったようだ。
「そうかもしれないわね。」
「でもさ、それだったら可哀想だね。一人ぼっちだもんね。」
「そうね・・・さ、もう寝なさい。」
「うん、おやすみー。」
お母さんはカールのおでこにチュとキスをして、そして電気を消すと部屋を出て行った。
暗くなった部屋でカールは、お母さんが話してくれた物語をもう一度頭の中で反芻した。不気味で暗い森の奥に、今も男は生きているのだろうか。
一人ぼっちになってまで、長生きすることに何の価値があるのか。そんなことを考えるにはカールは幼く、ただそのお話しの不気味さだけを楽しんでいた。
このころは、カールも(そしてお母さんも)このお話しで伝えたいことは、「だからちゃんと働きなさい」ということだと思っていた。勿論、最終的にはそこにたどり着くお話ではあるのだろう。
しかしカールは、もう少し大きくなってから、このお話しがもっと具体的なことを教えていたのだと知ることになるのだった。