失踪
昔、この村のそばにある森は、今ほど大きくはなかったという。
森の中には綺麗な水の湧き出る風光明媚な泉がある。泉の周りの木々はそれほど背の高くない中木が多く、そのほとんどが花を付け実を生らし、そしてその葉は秋には鮮やかに色づき、冬は雪景色となる。一年のいつ訪れても、そこは美しく、そして空はいつも青く晴れ渡り爽やかだった。泉の水はこんこんと湧き出し、ほとりにある青い長い草を豊かにうるおしていた。
その泉のほど近くに魔女が住んでいた。
村人たちは、よく魔女の元を訪れた。魔女は薬草を作っており、村の薬屋さんのようであった。それに、まじないもしてくれた。
それだけで村人たちが魔女を訪ねていたわけではなかった。魔女は話を聞くのがとても上手かった。よく聞き、そうして優しく微笑んで少しの忠言をしてくれた。それが村人たちには何よりの薬にもなっていた。優しい魔女を村人はみな好きだから、彼女の元を訪れるのだ。
森の中とはいえ、魔女の家への道は簡単である。日々村人が歩く道はすっかり踏み均され、誰が植えたのか、道なりには春秋を問わず花が咲いていた。それで村人たちは、子どもですらも、一人で森へ入って、魔女の家へ行くことができた。
村の言い伝えでは、この魔女の家のそばにある泉にも秘密があるという。
その泉の水は「いのちの水」と呼ばれ、その水で洗えば、美しい白い肌になれると言う。その水を飲めば、その瞳は美しく潤うと言う。その水を意中の異性に飲ませると、恋を実らせることができると言う。そして、その泉を覗き込むと、探している恋人が現れると言うのだ。
「そんなうまい話はないのだよ。」
と、魔女は笑って言う。
それでも、村の娘たちはいつも誰かがこの泉にかがみこみ、何かをしているのを、魔女は知っていた。
ある日のことだった。
村の男衆数名が、魔女の家を訪ねてきた。一様に急を要したような落ち着かない様子だった。彼らは口々に言った。
「娘がここに来ませんでしたか。」
「恋人が泉を訪れませんでしたか。」
男たちが言うには、村の娘が数人、いなくなってしまったというのだ。
「それはいつのことだい?」
魔女が聞くと、どうやら随分と前からということらしい。
「実は最初にいなくなったのはもう一年も前なんです。エルフィが、月祭りの後に急に姿が見えなくなったのです。ただエルフィは向こう町に親戚がいますから、誰もあまり気にしていませんでした。ここにきて、彼女が行方不明だと聞いたんです。」
「それで、ふた月ほど前の市が立った後、フェイが見当たらなくなって、それから2週間後にはニクセがいなくなりました。」
「それに、リュメルが探しに行ったのですが、彼も戻ってこないのです。」
他にもあと2人、娘がいなくなったということだった。
「何かおかしな様子があったりしないかい?」
魔女が尋ねたが、男たちは互いの顔をみやるばかりで答えることはできなかった。知っていることは今、魔女に話したことで全てで、もうすでに何度も話し合われているのにめぼしい話は他にはなかったのだ。
魔女は記憶をたどるように目を瞑った。エルフィにフェイにニクセにルル・・・そういえば、ここのところ見ていないような気がした。
「フェイは一度泉にいるのを見たよ。もうひと月以上前だと思うけれどねぇ。」
「どこに行くか聞いていないですか?」
フェイの父親が聞いた。
「いいや、話していないねぇ。私は戸口から手を振ったのだけど、フェイはこっちを見ないで、そのまま行ってしまったから。」
「そうですか。」
フェイの父親はがっくりと肩を落とした。どんなことでも娘のことが分かれば知りたいのに、何の情報もなく、勿論連絡もなく、娘は消えたのだから当然だろう。
「それにしても、探しに行ったリュメルも戻ってこないというのが心配だねぇ。何か手がかりがあるにしろないにしろ、普通は一度戻ってくるものだけど。」
魔女は思案するように言った。
落ち着いた魔女の様子とは反対に、男たちはもうジッとしてはいられなかった。
「ヘクセ様、俺たち、捜索隊を出そうと思うのですが、どこを探したら良いか、教えてもらえないですか。」
ルルの恋人モッペルが立ち上がった。
「まあ、待ちなさい。リュメルのこともある。少し慎重にならなければなるまいよ。」
「しかし!」
焦りからジッとしていられないモッペルではあったが、懸命に魔女の言うことを聞こうと深呼吸をし、高ぶる赤い顔をしながらも椅子に座り直した。
「どこをどう探したら良いか、考えさせておくれ。だいたい、こんな状況じゃ、捜索隊だって危険だということがわかるだろう?」魔女はゆっくりと話して聞かせた。「今夜は月が明るく出るから月に聞いてみようじゃないか。明日もう一度ここに来ておくれ。その時、分かったことを教えるから。」
男衆はうなだれながら、魔女の家を後にした。
その夜、魔女は泉のほとりにある、磨かれた石でできた水盤の前に立った。泉の水を水盤に汲み、そして月明かりに光るその水を覗き込んだ。
ゆらゆらと揺れる水面に、月が映っている。やがて水面が収まり月がくっきりと映し出された。月は若く澄んだ光を放っていた。その月を掬うように、魔女はゆっくりと水面を撫でた。水は揺らめき、月は消えた。
水盤には娘たちが映し出された。彼女たちがどこにいて、どうなってしまったかを魔女は知った。
もう彼女たちは生きてはいなかった。
森の奥の窪地で力なく折り重なっていた。その窪地に小鬼のようなひしゃげた男がいるのが分かった。
ああ、彼女たちは死んでしまった。
この小鬼に殺されたのだ。
魔女は水盤から目をそむけ、月を仰ぎ、それから顔を覆って泣いた。
むごいことだった。
娘たちは死んでしまったのだ。この事実を、彼女たちの両親や恋人に何と言って伝えたら良いのだろうか。
捜索隊など出しても無駄だと、むしろその亡骸さえ見つけることが危険だと言うことを、どう伝えれば良いのだろう。
たくさんの人間の死と、苦しみを、魔女は一人で抱え込むようにして、泣いた。彼女の頬から落ちる涙が、月明かりに光りながら、水盤の水の中に落ちて溶けた。
翌朝、魔女は男衆が来るのを待たずに、村へ行くことにした。
娘たちは死んでしまったと伝えに行くのだ。重い足取りで、村へ向かった。道々、一体彼らにどう伝えたら良いのか言葉を探しながら、俯いて歩いて行った。
村へ着き、村長であるフェイの父の家へ行くと、奥さんが悲しそうな心配そうな顔をして現れて言った。
「ヘクセ様、せっかく来ていただいたのに、申し訳ありません。主人は向こう町へ娘を探しに行きました。」
なんと、男たちは待てなかったのだ。魔女にとってはほんの半日ではあるが、彼らにとってはもうふた月も娘を待っている。探さないではいられないのだ。
「ご主人はどこから行きましたか。誰と行ったのですか?」
魔女が聞いた。
「森を避けて、街道を通って参りました。ニクセのお父様もご一緒です。ただ、モッペルだけは森へ探しに行きました。」
「何ということを!」
魔女は絶望の声で叫んだ。森へだけは行ってはいけなかったのに。それでも、彼女は取り乱しはしなかった。もう、昨日の夜に覚悟を決めたのだから。きちんと伝えなければならないのだ。
そうして、村の人たちをフェイの父の家に集めた。
村人が集まると、魔女は立ち上がった。村人たちはすでに娘たちが数人いなくなったことを知っていた。それに前の日には、長老たちが魔女を訪ねて行ったことも知っていた。だから、魔女がそのことを話しに来たことは分かっていた。
誰もが真剣な面持ちで、魔女が口を開くのをじっと見つめていた。重々しい空気の中で、魔女は強い目をしてゆっくりと語りだした。
「森の中に、人をおびき寄せるモノがおる。人を食らう化け物だ。それが娘たちを誘い、娘たちはそれに食われて死んでしまった。」
母親たちがヒっと息をのんだ。泣き出したものもいた。
「化け物はおびき寄せた人間を、吸い寄せるようにしてからめとる。とてもじゃないが、捕まってしまっては逃げられまいよ。いいかね、森の奥へ入ってはいけない。しばらくの間、森へは誰も行ってはいけない。子どもたちには、化け物がいるから行ってはいけないと教えなさい。」
村人たちはしばらく黙っていた。いなくなった娘たちは死んだのだ。その母親は泣き崩れていた。
「ヘクセ様、退治しに行きましょう。」
若い男が立ち上がって言った。しかし、それに賛同しようとする者はいなかった。
「やめた方が良いだろうね。リュメルは無鉄砲ではあるが剣は強い。だが、彼もすでに食われてしまった。剣で刺しても死なない化け物じゃ、戦いにもならない。」
「では、どうしたら良いのですか。ずっと森へは入れないのですか。私たちは森からたくさんの恵みを受けています。木の実や山菜をとりに行くのもダメですか。」
若い者がそう言うと、年寄りたちも頷いていた。
「だからやっぱり、討伐隊を作ろう。」
「討伐隊など作っても死人を増やすだけ。こう言ってはなんだが、誰にも勝ち目はないのだよ。やめなさい。」
魔女は村人に言った。
「でも、もうすでに娘たちが食い殺されているというのに。」
娘を失った母親が泣きながら訴えた。
村人は化け物を殺してしまいたかった。しかし魔女が言うには、人間にはそれを殺すことはできないらしい。殺しても死なないからこそ、化け物なのだろう。
「では、そうだね。これから私がまじないをかけるとしよう。化け物のいるところに村の皆が立ち入ることがないように、男と女と子どもと動物のために、木に印をつけよう。その4本の印より先へは行けなくなる。そうすれば、化け物は飢えて死ぬしかない。」
化け物が飢えて死ぬのならば、誰も死ななくて済む。それが一番いい方法だと、村人たちは頷いた。死んでしまった娘たちが戻ってこないことは心痛いけれど、これ以上村人が化け物に殺されないためには、そうするしかない。
「ヘクセ様、化け物が死んだというのは、どうやったら分かるのでしょう。」
「化け物が死ぬまで、森は大きくなり続けるから分かるだろう。化け物が死ねば、森も今までの広さに戻るさ。」
そう言って、魔女は言葉を切った。その様子にフェイの母は何か嫌な予感がした。
「ヘクセ様は、森でまじないをかけたら、また戻ってきますよね?」
フェイの母親はすがるような目をして聞いた。魔女は何も言わず、ただ微笑んで頷いただけだった。どうして、ちゃんと戻ってくると言わないのだろうか。そう言ってくれなければ、村人たちは皆心が苦しくなってしまう。大好きな魔女は、まじないをかけていなくなってしまうのではないだろうか、死んでしまうのではないだろうか。
しかし、魔女は何も言わなかった。ただポツリとひと言だけ言った小さな言葉を、フェイの母親は聞いていた。
「私が悪かったのだ。これは私の償いだ。」
それを最後に、魔女はいなくなった。
その後、村人は森の奥の木の幹に、4本の爪痕のような魔女の印を見つけた。そしてその先へは、誰も行くことができなかった。勿論行こうと思う者もいなかったのだが。
村には平和が戻った。いなくなった娘たちはもう帰ってこないが、これ以上の犠牲はなくなったのだ。ただ、森の奥の化け物のことだけが、少しずつ変化をしながら、子どもたちへと言い伝えられたのだった。




