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村に伝わる森の伝説  作者: marron
前編
3/25

源泉

 それはずっと昔、まだ森が若かった時のこと。森に魔女が住んでいた。

 魔女が住む森の近くに村があり、そこには気のいい人間たちがたくさん住んでいた。魔女と村人たちは仲良しで、魔女はしょっちゅう村にやってきた。



 魔女は普段森で薬草を採り魔法の薬を作っていて、その薬はよく効くため、村人たちは森へ通って魔女から薬を買っていた。魔女の住む家は森に入って、そう遠くないとはいえ、歩けないほどの病人は、薬を買いに行くことはできない。それで、時々魔女は村に来ては病人に薬を届けていた。

「ヨハンや。」

 魔女が訪ねた家は、その村でも一番の貧乏だった。ヨハンに父はおらず、母親は病気で寝たきりだったのだ。ヨハンは小さく何もできず、ただ母親の手を握って生きていた。そんなヨハンを可哀想に思い、近所の人たちは食事をあげたり着る物を作ってあげたりしていた。

 魔女も、ヨハンとその母親をとても心配し、村へ来ると必ずその家に寄っていた。

「ヘクセ様、こんにちは。」

 ヨハンは笑顔で魔女を迎えた。ヨハンの様子は、痩せてはいても顔色は良い。魔女は安心して、ヨハンの頭を撫で、そして部屋に入った。

 部屋にはヨハンの母親が寝ていた。魔女がヨハンの母親を見ると、彼女はとても弱っていた。起き上がることどころか目を開けるのもおっくうなほどに弱り、やせ細った手を組んだ胸は静かに上下してはいたものの、弱々しく、生きる気力を感じられなかった。それでも魔女は知っていた。母親はヨハンのためにもう少し生きようと、頑張っていることを。

 魔女が彼女に薬を飲ませ、まじないをすると、ほんの少しではあるけれど母親に表情が現れ、微笑んで、そして魔女に言った。

「いつもありがとう。」

 魔女は心が苦しくなるのを感じた。魔女の薬は確かに効くが、こんなに弱っている母親が飲んだところで、気休めにしかならないのだ。それでも彼女は、少しでも生きていられると信じて礼を言っている。魔女は無理に微笑んでみせゆっくり頷くと、彼女を寝かせた。

 たとえ魔女でも、死ぬ運命の者を生かすことはできない。

 魔女は母子を不憫に思った。あんなに可愛い子が、まだ学校も出ないのに、もうすぐお母さんがいなくなってしまうのだから。きっと、ヨハンも母親もそれを分かっているのだろう。どちらも口には出さないが、その不安の中で生きていることは一目瞭然だった。



 魔女は森に戻ってからも、そのことばかりを考えていた。

 せめてもう少しの間、ヨハンと母親を一緒にいさせてやりたい。それが、もし母親にとって病の苦しみを長引かせることになっても、二人のその時間は何にも代えられないほどに大切ではないか。

 魔女はたくさんの本を読んだ。古く難解な魔術の本を隅々まで読んだ。それから森で薬草を探した。魔女は森と薬草に詳しく、目当てのものはすぐに見つかった。

 薬草を煎じて成分を取り出す作業は簡単ではなかった。気持ちが(はや)るのを抑えなければならない。ささくれだった心では純度の高い煎じ薬ができないのだ。葉っぱも水も魔女の心を混ぜてはならない。心を落ち着けて、ゆったりと時間をかけながら、注意深く煎じなければならなかった。

 煎じ薬ができると、少しも揺らさないように寝かせて、そして薬が徐々に沈殿したその上澄みをほんのひと(すく)いだけ取った。

 それから泉の水を汲み、大なべに入れてはまじないをとなえながら、ゆっくりとかき混ぜた。まじないは難しく、本を読み直しながらかき混ぜた。

 それで、魔女は何度か失敗を繰り返した。力のある魔女にすら、作り上げるのは難しいものだった。それでもあきらめずに、また薬を作った。それだけの価値があることを魔女は知っていたのだ。そうして何日も眠りも休みもしないで作り出した薬は、魔女が見ても素晴らしい薬だった。

 それは、月明かりに光る泉の水に、薬草から取り出した成分をほんの一滴だけたらし、まじないの歌を歌いながらかき混ぜたもので、美しく澄んでいて、どこかツンと芳しい香りがした。

 ガラスの瓶に入れると、それは手の中で光り、まるで儚い月の明かりを全て閉じ込めたようだった。

 魔女は早くこの薬をヨハンと母親に見せてやりたかった。これで少しでも母親の時間を延ばすことができる。それを伝えて、二人に喜んでもらいたかった。



 前に村を訪れてから、もうひと月が経とうとしていた。魔女は薬を持ち、朝になるとすぐに村へと向かった。

 ヨハンの家に行くと、家はどんよりと暗かった。扉を開けて部屋に入ると、ヨハンが母親の手を握って泣いていた。

 魔女は驚き焦り、駆け寄った。

 間に合わなかったのだろうか。

 魔女がヨハンの母親の頭に手を置くと、まだ温かかった。そして、母親は目を開けた。ただ、非常に弱っていた。もう生気を感じられないほど暗い目をしていた。

 母親が今にも死にそうなのを感じながら、小さなヨハンはただ泣いていたのだ。何もできず、誰にも助けを求めることもせず、ただ泣いていた。

 魔女は母親のすがるような目を見て、ヨハンを一人にしたくないと死に耐えているのが感じられた。こんなになっても、なお母親はヨハンを案じているのだ。

「さあ、これをお飲み。」

 魔女は母親に、美しい水を飲ませた。

 母親は水を一口飲み、そして目を瞑った。そして細い息をふぅと吐くと、そのまま眠ってしまった。その様子を見て、魔女はホッと息をついた。母親の身体に魔女の作った薬がめぐり、彼女の生きる力がほんの少し回復したのが分かったからだ。魔法の水はよくできていた。

 魔女はその薬の入ったガラス瓶をヨハンに渡して言った。

「お母さんに飲ませておやり。少しで良いんだよ。」

 ヨハンは薬をもらうとコックリと頷いた。それから美しく淡く光るそのガラス瓶をうっとりと眺めていた。

 きっとこれで、母親の時間はほんの少し延びるだろう。魔女は安心すると、疲れた身体を思い出し、それでも心はどこか満足して、森へ帰って行った。



 2週間ほど経って、魔女はまたヨハンの家を訪れた。

 ヨハンの家は相変わらず暗かったが、以前に来た時のような物悲しい雰囲気ではなかった。魔女が扉を開けると、寝台の上に母親が腰かけていて、ヨハンと楽しそうにおしゃべりをしていた。

「こんにちは。」

「まあ、ヘクセ様!」

 母親もヨハンも魔女の顔を見ると嬉しそうに笑い、挨拶をした。

 魔女の薬を飲んだとしても、病がすっかり治ったわけではない。それでも母親は見違えるほどに元気になっていた。それは母親が、ヨハンのために元気になりたいと望み、ヨハンのために、起きられる限り起きて、聞ける限り話を聞いて、喋ることができる限りお喋りをしようと務めていたからできたことだった。

 魔女はあの薬を作って良かったと思った。この貧しい母子が少しでも幸せに過ごす時間ができたことが。その姿を見られたことが、魔女には何よりの喜びだったのだ。

 魔女が母親を診ると、やせ細っていた手にも少しばかり肉が付き、回復していることが分かった。とはいえ、彼女は病気であることに変わりはなかった。薬は彼女の命を延ばしたが、病の苦しみも延ばしている。魔女はそれが本当に良かったのか複雑な気持ちになった。

 しかし母親は何度も魔女に礼を言った。たとえ病で苦しくても、ヨハンと一緒にいられることを喜んだのだ。

 そうして、彼女はそれからしばらく生きながらえた。



 だがもちろん、それは永遠ではなかった。魔女の作った薬とはいえ、それが万能であるわけではない。たとえ魔女でも、死ぬ運命の者を生かすことはできない。ヨハンと母親は定められたとおりに、別れの時が来た。

 死ぬ間際の母親は、魔女の手をとりこう言った。

「ヘクセ様のおかげで、あの子が学校を出るのをみることができました。」

 そう言って、母親は泣いた。それは悲しみの涙ではなかった。

「私に父はなく、私の母も私が小さなころに亡くなりました。私は両親もなく、たった一人で生きる苦しみを知っています。私が頑張って学校を出たところを、両親に見せたくてもできませんでした。だからせめて、この子の卒業を見たかったのです。この子に卒業おめでとうと言いたかったのです。それがかなって、本当に感謝しています。」

 母親の望みは、病が治ることよりも、息子の卒業を見ることだった。それが彼女の希望だった。

 親らしいことは何もしてあげられなかったけれども、わが子のことを心配するのは親としての務めだ。そして、その愛情があるからこそ、ヨハンは生きて行くことができるのだ。

 そうして母親は、十分にその人生を満足して亡くなった。

 子どもを産んですぐに夫を亡くし、その後はずっと病気で苦しんだ人生だったけれど、わが子の成長をしっかりと見届けることができ、人々にたくさんのあたたかい手を差し伸べてもらいながら、助けられていた人生は、決して悪いものではなかった。

 彼女はほとんど家から出ることもできなかったのに、葬式にはたくさんの村人が参列するほど、彼女は愛されていた。それは、彼女が懸命に生きたその短い時間に、ほんの少しの人とのふれあいの中に、彼女の精いっぱいの感謝を伝えたからだった。

「いつもありがとう。」

 病の中で、子どもを育てながら懸命に生きている彼女の、そんなたった一言が、どれだけ心からの感謝にあふれていただろう。

「いつもありがとう。」

 その言葉の中にたくさんの勇気をもらい、村人たちは彼女を愛したのだ。

 病と共に懸命に歩いた短い人生を終わったヨハンの母親を、村人はみんな悲しみ、それでも彼女を褒めたたえて送り出した。

 魔女も、彼女のことを忘れなかった。



 ヨハンは母の死後、しばらく泣いて過ごした。

 学校を出たとはいえ、若いヨハンが一人ぼっちになってしまったのだ。村人たちは彼をそっと見守ることにした。

 小さな畑を借りて、彼は少しの野菜を作り生活した。

 彼も非常に身体が弱く、また貧乏ではあったが、村人はあの母親の息子ヨハンのことも愛して守ってくれた。ヨハンは懸命に生きた。

 ある日、ヨハンは風邪をこじらせて寝込んだ。彼は自分も母親のように、若くして病気で死ぬのではないかと思って怖かった。一人ぼっちで病にかかり死んでいくのは、なんとしても嫌だった。

 裕福でなくても構わない。でも、せめて一人は嫌だった。

 彼は母親に飲ませたあのガラス瓶に入った水を思い出した。あの水は魔女がくれたものだ。年月がたっても、美しく清らかな水は、今もなおガラス瓶の中で輝いていた。

 母はこの水を飲むと、顔色が良くなり、若返るようだった。母の病を薄めた水、母の命を延ばした水、これならばヨハンのことも元気にしてくれるのではないか。

 ヨハンはすがるような気持ちで、ガラス瓶のふたをとり、そしてほんの一口、その魔法の水を飲んだ。

 するとどうだろう。ヨハンの身体の中に月明かりが巡るのが分かった。どこか熱くけだるい風邪の倦みはヨハンから去り、身体だけでなく心も軽くなった。母はこの薬を飲むたびに、こんな風に感じていたのかと、初めて知った。



 それから度々、ヨハンは風邪をひいては、魔法の水を飲んだ。

 そのおかげか、ヨハンはとても美しい青年に成長した。そうして、健康な身体を手に入れた頃、そのガラス瓶は空になったのだった。


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