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村に伝わる森の伝説  作者: marron
後編
23/25

村から町へ

 魔女はすぐに、母親が止めるのも聞かず、声の聞こえた奥の部屋へと入って行った。カーテンの閉まっている暗い部屋は思ったよりも広く、その居心地の良さそうな部屋には、ベッドと安楽椅子と机があり、机の上にはたくさんの本が積み重なっていた。

 こんな小さな村にしては贅沢な暮らしぶりと思うような部屋だった。

 そこに、父親はいた。怪我をして姿を見なくなったというあの父親だ。

 彼は安楽椅子にふんぞり返り、本を読んでいたようだった。そして、魔女が扉を開けたと同時に、魔女に向かってその手に持っていた本を投げつけた。

「かってに入ってクルな!ノックをしろ!」

 人間のそれとは違う、声帯を押しつぶされてしわがれた、竜独特の低い声だった。

「ごめんなさいよ。私は魔女だよ。お前さんの怪我の様子を見に来たんだ。」

 魔女は驚きながらも平静を保ち、部屋に入った。カールは部屋の入口に立っていて、中を見ているだけだった。怖くてとても入って行く気にはならなかった。

「うるさい!まじょに用はない。デていけ!ハヤく、デていけ、ハヤく、ハヤく、ハヤく!」

 大声で威嚇するように父親は叫び続けた。

 それからまた魔女に向かって、本を投げつけた。

 魔女がひょいと避けると、カールはその父親の姿を見ることができた。

 彼は普通の人間だった。ただ、ほんの少し首筋や手首などがカサカサと灰色っぽい肌ではあったが、爬虫類の皮膚には見えなかった。灰色の人間の肌だ。

 カールは心臓がドクンと強く打ったのを感じた。なぜなら、あの父親は、見た目はあんなに普通の人間なのに、考え方はもうすでに竜そのものだったからだ。

 我がままで傍若無人。自分は王様のように威張り散らし、他人(ひと)のことなど考えないその態度。魔女は前に何と言っていただろう。他人を愛することや他人のために何かをしようとすることのない人間は人格が分離して竜になると言っていた。

 この人は、竜になろうとしているのだ。あの醜い竜に。

 そう思うと、カールはその人が哀れに思えた。どうして人間らしさを失ってまで、人を愛さず、与えずに生きることができるのか。そう思うと、心が苦しむのを感じた。



 そう思った時、カールは恐れを忘れ、部屋に入った。

「おじさん!」

 カールの甲高い声に、男は一瞬魔女に向かって投げつける本を取ろうとするのをやめた。そしてカールを見て、凄みを効かせて笑いかけるような顔をした。

「なんだ、おまえは。」

「カール、喋るんじゃない!」

 魔女がカールをかばうように立ち、そして小さな声でカールを制した。しかしカールは、魔女の手の後ろからまた言った。

「おじさん、家族はいないの?」

「か、か・ぞ・く・だ?」

 男は明らかに狼狽して、思わず口ごもったのだろう。しかし、それを考えることはしなかった。

 男は立ち上がり魔女とカールを襲うかのように、伸びた両手の爪をギラギラと見せつけながら、ゆっくりと歩いてきた。

 これ以上口を利いても、この男は人間に戻れないだろう、と魔女は確信した。

 それくらい、この男は、すでに心が分離していたのだ。

 まだ、見た目は人間で、言葉も発するし会話も出来るのに、その横暴な振る舞いは常軌を逸していた。隣の部屋で見ていた母親はブルブルと震えているではないか。日常的に、大声を出され暴力を振るわれていなければ、こんな風にはなるまい。

 その夫婦の有様を見ては、この男にこれ以上何を言っても無駄だと思うしかない。魔女は意を決して、まだ人間に見えるこの男を「始末」することにした。

 杖を出し、目を光らせて水の剣を探した。そしてゆっくりと近づいてくる男の懐に、勢いよく近づくと、その胸に魔女の杖を押し当てた。

「グオオオオ-ォォォ-・・・」

 男は目を見開き、大きく息を吸うと低い声で叫んだ。そして苦しそうに身体を強張らせた。

 耳慣れない、風のような砂のようなザーっという音が家を包んだ。



 その時だった。

「お父さん!」

 いつの間に、家に戻ってきたのか、その父親とそっくりな娘が部屋に駆け込んできた。

 娘は父親が始末されようとしているのを知っているのだろうか。こんなになった父親を、それでも逝かせまいとしてか、必死に父親に抱きついた。

「お父さん!」

「か・ぞ・く・・・」

 父親はガクガクと軋むように首を下に向け、抱きついている娘を見下ろして言った。

 家の中に強い風が吹いた。部屋の中で竜巻が起きているかのように、所せましと風が暴れ、本がグルグルと巻きあがった。

 それから、父親はひきつけたように硬直すると、胸に浮かび上がっていた水の剣が、ゴポゴポと不思議な音を立てて父親の身体に溶けて消えた。

 やがて風がやむと、父親は普通の人間の姿に戻っていた。もともと竜のようになっていなかったとはいえ、あの獰猛な目つきはなくなっていた。

 そして、泣きながら父親に抱きつく娘を、大きく抱きしめ

「悪かった。」

 と謝った。

 それから、部屋を出て母親の元へ行くと、母親にも

「悪かった。」

 と言った。

 母親は無言で、しかし目を(しばた)かせ、悲しいような嬉しいような顔をしながら頷いた。

 それから3人は無言で抱き合っていた。

 しばらくすると父親は家の中を見渡して、母親に尋ねた。

「息子はどこだね?ハンスは?」

「ハンスは狩りに行っています。」

 母親がそう答えると、父親は鋭く息をつき、顔をあげた。その顔は、しっかりと一家の大黒柱とわかる意志の強い顔だった。

「では、私も行かねば。」

 父親はそうして狩りに出かけて行った。

 もう大丈夫だと安心し、魔女とカールも家を出た。


 こんなに普通の家にも竜はいた。



 雨は洞穴の近くだけに降るのではなく、竜は村の中にもいる。

 魔女もカールもそれを身を持って知った。



 しかし、カールが知ったのはそれだけではなかった。

 あれほどに家族に愛されていた父親でさえ、竜になり得るのだ。

 人間に戻った時、あれほどに家族を心配することのできる父親でさえ、竜になろうとしたのだ。

 誰しも、竜になる可能性がある。

 それは、ほんの小さなきっかけ。例えば、怪我をして家に閉じこもることになった父親のように。例えば、魔女の記憶がないのを良いことに、弟子になった自分のように。



 村を出て街道を歩く間、カールは無言だった。

 このまま旅を続けていて良いのだろうか。考えなければならなかった。それなのに、カールはそれを考えたくなかった。考えれば答えは決まっているからだ。迷うことなんてない。カールは魔女の弟子ではないし、待っている家族がいるのだから。

 しかしカールは、その答えをどうしても出したくなくて、それを考えないようにした。

 それでカールは、前向きに魔法のことを考えた。魔法ができるためには円が書けなければならない。それに、枝に恵みの竜が息を吹き込んでくれれば魔法の杖ができるはずだ。しかし、恵みの竜のことを考えるのは嫌だ。

 恵みの竜のことを考えることは、魔女との約束を思い出させる。竜を一度見たら家に帰るという約束だ。それが人間から竜になったヤツではなく、普通なら見ることのできない、本物の竜だったら、一度見れば十分だ。もう、帰らなければならない。

 ああ、また考えが元に戻ってしまった。

 考えたくない、このまま旅を続けていて良いのだろうか、という考えだ。

 だから、恵みの竜のことは思い出したくないのだ。

 それどころか、何を考えても、思考はそこに戻ってきてしまう。カールは悶々と考え込みながら、下を向き魔女について行った。

「カールや、具合でも悪いのかね?」

 そんなカールの様子を見て、魔女は非常に心配した。

「ううん、大丈夫さ。」

 カールは慌てて笑顔を作り、顔をあげると両腕を振って元気よく歩き出した。しかし、その心の中は、葛藤でまみれていた。

「そうかい・・・カールや、これから少し東にある村へ寄るがね、遠いのだよ。歩けるか?」

 魔女はカールを気遣い、尋ねた。

「大丈夫だよ。どこだって行くよ!」

 カールはやけくそのように答えた。どうしたって、やっぱり魔女について行きたかったのだ。遠くに行くならなお都合が良い。なかなか帰れなくなるのだから。カールはまた考えることをやめ、気合を入れて歩き出した。



 東にある村へ行くと言うことであったが、その前に一度町へ寄った。ただ単に通り道であっただけではあるが、カールは町というものを知らなかったのもあり、非常に興奮した。

 なにしろ、町というのは大きいのだ。建物が立派で、カールの住んでいた村とは大違いだ。2階建てどころか3階や4階という建物もあるし、屋根も立派で建物の装飾も見慣れないものばかりだった。

 人の住むところもたくさんあったが、それよりも商店の多さに驚いた。町ごと商店なのかと思うほど、街道沿いは商店がひしめき合っていて、そのどれもが村では見たことないほどに広く、また色鮮やかで、売っている物も目移りしてしまうほどに物珍しかった。

「カールや。」

 カールが店の前で立ち止まるたびに魔女はカールを呼んだ。カールがついてこないと思うと、商店の前で口を開けて品物や売主にマジマジと見入っている。

「あ・・・うん。」

 呼ばれるとすぐにカールは魔女のところに走って行ってついて行ったが、それでもキョロキョロしているうちにまた商店に吸い寄せられるように見入ってしまうのだ。

「旅のヘクセ様。御用はございますか。」

 などと、魔女はよく声をかけられた。どこへ行っても魔女は人気があった。そうすると、一緒にいるカールのことも、人々は目に入った。

「ヘクセ様が子どもを連れている。」

 そういう風に思うのだろう。

「ヘクセ様、その子は?」

 と聞かれることもあった。

「私の弟子だよ。」

 魔女は短くそう答えていた。

 すると、たいてい人々は「ほう」と言って、カールをじろじろと値踏みするように眺めた。

 見世物じゃねぇ!とカールは内心思いつつも、ただジッとしていた。

 それでも、心がチクチク痛んだ。

「私の弟子だよ。」

 と言われるたび、そう言ってもらって良かったと安堵する自分の隣に、ウソをついて弟子になっているくせに、と冷静に裁く自分がいる。

 小さなカールのウソは、魔女の口を通して、世界中に広がろうとしていると言っても過言ではなかった。



「早くおいで、新年だから人出が多い。迷子になったら大変だよ。」

 魔女はカールを気遣って、何度も振り向いてカールを待ってくれた。

「はい。」

 魔女に呼ばれて、カールは見入っていた商品から目を離し、魔女のところへ走ろうとした。その時ふと、ある店の大きなガラスに自分が映っている姿を見た。

 女の格好をしている少年カール。勿論ぞろっとしたワンピースを着ていても、男と分かる顔立ちをしている。多少変ではあるが、それほど違和感もない。

 しかし、ガラスに映る自分の手先を見てぎょっとした。

 左手が、真っ黒に見える。

 ハッとして、すぐに自分の生の手を見た。

 それは白い、普通の子どもの手だった。

 しかし、もう一度ガラスに映すと、その手が真っ黒に映るのだ。どういうことか。カールは息苦しくなるような気がしながらも、それを魔女に知られたくなくて、その真っ黒の左手を右手で隠すようにしながら、何事もないかのような顔をして魔女のところへ走って行った。

「普段はこんなに人が多いわけじゃないんだよ。新年だからね、珍しい品物も出ているし、お前も面白いだろう?」

 魔女はまるでお母さんのようにカールに教えてくれた。

「うん、面白い。」

 そう元気に答え、それからカールはまた押し黙った。

 深くため息をついて考える。

 今日は降っていないが、しばらくどこへ行っても降り続いた雨や、黒くなったカールの左手。それから喉が痛いような気がする。

 もしや、自分は竜になろうとしているのではないだろうか。

 ウソをついて魔女の弟子となり、待っているであろう自分の家族のことを考えずに、自分の好きなことをして旅を続けるカール。

 もしや・・・竜になろうとしているのではないだろうか。

 カールは旅に出て、初めて自分が何をしているのかを考えたのだった。そして、それがもう待ったなしのところまで来てしまったことを悟ると、体中の血液が凍ったように冷たくなるのを感じた。


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