淘汰
連載初挑戦です。
人の住むところに歴史があり伝説がある。
村のそばには深い森があり、いくつかの言い伝えがあった。
数ある言い伝えの中で、子どもたちが好んで聞きたがるのが、竜の伝説だ。
村を囲む大きな森の奥には、竜の住む沼があるというのだ。この竜は人間を食らう恐ろしい竜だという。竜退治に行って帰ってきたものはいないそうだ。
そんな伝説が、親から子へと言い伝えられていた。まことしやかに語られ、その言い伝えは途絶えることがなかった。
そうして子どもたちは竜を怒らせないように、竜にさらわれないように、竜に食われないように、くれぐれも森の奥に行ってはいけないと、親たちに堅く教え込まれていた。
ところが、行ってはいけないと言われると行ってみたくなるのが子どもである。しかも、伝説やお話でしか知らない竜がいるとなると、ぜひ見たくなってしまうのだ。
カールは村のガキ大将で、前々から森の奥に行ってみたいと思っていた。勿論大きくなったら、お父さんに連れて行ってもらえる。でも、それは仕事のためだ。カールが知りたいのは、森の奥の沼にいる竜のことなのだ。
カールは友だちのフィデリオとジクムントと一緒に、森の奥へ行く計画を立てた。勿論大人たちには内緒だ。
夏休み、3人は森のそばでキャンプをするという名目で集まった。風はあるが暑い日だった。3人はテントをたて、火を熾し、キャンプを楽しんだ。そしてその日の夕方に、3人はテントをそのままに残し、少しの荷物を背負うと、森へと出発した。
「ねえ、やっぱやめない?」
暮れはじめた森の中を30分ほど歩くと、フィデリオが言った。
「は、やっぱ言うと思った。良い子ちゃんのフィデリオが一番にそう言うと思ったぜ。」
カールが笑った。そう言われると分かっていたのだ。それでも仲良しだから連れてきたのだった。
「だって、もう暗いしさ。せめてもうちょっと明るい時間だったら良いのに。」
フィデリオがぶつぶつと小さな声で言った。
「まあまあ、まだ一本道だし、そんなに遠くまで来ていないよ。もうちょっとだけ行ってみないかい?」
ジクムントがフィデリオを安心させるように言った。ジクムントの口ぶりだと、森の奥の奥の沼までなんて、本気で行くつもりはないような感じだった。それで、フィデリオは少し安心し、2人に付いて行った。
子どもだけで森へ入ったことはないが、大人と一緒に薪になる木を切りに来たり、山菜や木の実を採りに来たことはある。まだまだ、森とはいえ人の歩く道を通っていた。それにその日は月が明るく、夜になっても3人はお喋りをしながら思ったほど怖がらずに歩き続けた。なにしろカールは沼と竜を見たい一心だったので、怖がることなど考えもしなかった。もう少し奥へ行くと、大人たちが猟をする地域になるのだろうが、どういうわけか動物にもほとんど出会わず、当初怖がっていたフィデリオもなんとか夜の森を歩くことができていた。
3人はお喋りをしながら歩いていたが、だんだんと森の奥へ進むにつれて、言葉数が少なくなった。少しずつ木々の間隔が狭くなり、森が暗くなってきたからだ。そのうちカールは竜のことを考え出すとほとんど何も喋らなくなった。フィデリオとジクムントも、暗い森を歩くのに必死であまり話している余裕がなかったのだ。そうしていつの間にか3人は黙々とただ足を動かしていた。森の中には動物の気配はなく、ただ木々が静かな夜を守るように立っているだけだった。いつの間にか月も沈み、3人は自分たちが持つ明かりだけを頼りに道を探して歩いた。
どのくらい歩いただろうか。随分歩いた頃、カールは足を止めた。
「そろそろ寝ないと、明日も歩けないよな。」
「そうだね。じゃあ、寝ようか。」
3人は急に足の疲れと眠気を感じた。そうなると、もう休まずにはいられない。
カールは危険などあまり考えもせずに、下生えの柔らかな草の上に横になり眠ってしまった。それが子どもと言うものなのだろう。寝たい時に寝て見たいものを見る。
フィデリオも疲れていたので、カールの隣に行き、荷物を枕にすると目を瞑った。
ジクムントだけは辺りを見回し、自分たちが森にいても不自然でないように、自分たちの上に布をかけて、その上にも葉っぱを乗せたりして、そうして眠りについた。
結局夜の間、動物は来なかったようだ。
朝になると自然と目を覚まし、3人はまた歩き出した。とにかく森の奥に向かって歩くのだ。空は晴れていて、上を見れば覆いかぶさる大きな木々の葉の向こうに青く爽やかな空が見えている。きっと村は暑いだろう。とはいえ、森の中はほんの少し薄暗く、夏の太陽など知らん顔しているような涼しさを保っていた。
「どこまで行くの?」
時々フィデリオが聞いた。もう森歩きも飽きてしまったようだ。それにやっぱり親たちに何も言わずにこんなに森の奥まで入ってきてしまっているので、心配にもなったのだろう。
「まだまだだ。沼を探すんだ。」
カールは気合が入っている。
「今日は晴れていて森歩きも気持ちがいいじゃないか。」
ジクムントが気楽な口調で言うと、フィデリオはほんの少し安心して、また一緒に歩いた。
3人はまたお喋りをしながら歩いて行った。時折鳥の声が聞こえるほかは、この日も動物には一切会うことはなかった。
ところが、午前中1時間ほど歩いた頃、急に空が曇り始めた。森の中なので、日が隠れると途端に暗く感じる。フィデリオは足が遅くなり始めた。
「雨が降りそうだよ。」
フィデリオが不安そうな声を出した。
「そうだねぇ・・・でも、この辺はまだ、大人たちが時々やってくるところだよ。」
ジクムントは多分動物用の罠と思われるようなものを見つけてフィデリオに教えてやった。罠があるのなら、大人たちはこの辺にも来るのだろう。
しかし、その後ジクムントもギクりとした顔をした。
木の幹に、見慣れない3つの爪痕のようなものが付いていたのだ。何かの目印か。それとも、本当に獣の爪痕なのかは分からなかった。ただはっきりと3本線が見えただけだ。ジクムントはそのことを誰にも言わなかった。フィデリオを驚かせてはいけないと思ったのだ。
その時急に、強い風が吹いた。森の奥からビューと低い音を立てて、木々の葉ををざわめかせて、風が吹き抜けた。風は吹き抜け、またやってきた。今まで静かだった森が、急に目を覚まして暴れているようだ。
「くさい!」
フィデリオが声をあげた。
3人とも匂いが分かった。何か腐ったようなツンとして生臭い匂いだ。
「何の匂いだろ。」
ジクムントが顔をしかめて言った。
「沼じゃねぇのか!もうすぐだ、きっと!」
二人とは反対に、カールは嬉々としていた。もうそこまで来たのだ。カールは走って行きそうだった。
しかし、フィデリオとジクムントは行かなかった。
「カール!待って!」ジクムントが言った。
「なんでさ、もうすぐだよ。」
「この臭いはおかしい。ただの沼の匂いじゃない。やめた方が良いよ。」
ジクムントが言った時にはもう、臭いは森の奥からどんどん漂ってきた。鼻が曲がりそうという勢いを越して、えづくほどだ。
「おえ、カール、帰ろう、おえ!」
フィデリオは涙目で訴えた。
「何言ってんだ、お前たち、怖いだけだろう!」
そう言うと、カールは一人だけ森の奥へと走って行ってしまった。すぐに木々に隠れてカールの姿は見えなくなった。木々をかき分けて走る足音も遠のいて聞こえなくなってしまった。
「カール、待って!カール!カール!戻ってきて!カール!」
ジクムントは必死に呼んだ。自分の声が風と臭いに押されて戻ってきてしまう。それでも叫んだ。この先へ行かせてはいけないと本能が教えているのだ。
だけど、カールは戻ってこなかった。
フィデリオとジクムントはもうそこにはいられず、戻るしかなかった。とてもではないが、子どもだけでこの臭気の中、カールを呼びに行ける勇気はない。
二人は強い風と臭気に追い立てられるようにして、急いで村へ向かって走り出した。
二人は村へ戻ると、大人たちに助けを求めた。二人の様子は異常に興奮していて、特にフィデリオは恐ろしさのあまり涙を流した赤い顔をしていて、ひと目で事件があったことがわかった。
だが、大人たちの反応は鈍かった。
あろうことか、暗く厳しい顔をしてこう言ったのだ。
「あそこまで行って戻ってこなかったのなら、生きる能力がない。」
そう言って、村の大人の誰もが、その臭いを知っていながら、助けに行かなかった。カールの親ですらそうだった。
カールのお母さんは大声でカールを呼びながら泣いたけれど、自分から森へ探しに行くこともしなかったし、誰かが探しに行ってくれるとも思っていなかった。誰にも、探しに行って欲しいとも言わなかった。
漠然とした恐ろしさを大人たちから感じ取り、子どもたちは知った。これがこの村のしきたりで、カールは淘汰された子どもなのだということを。そして、自分が大人になった時、そういう子どもがいたら、やはり同じように、助けには行かないというしきたりなのだ。なぜならきっと、誰が行っても、あの先へ行ったら帰ってこられないからだ。絶対に帰ってこられないと、誰もが知っているのだ。
あの臭いは、竜のものなのか、それともそこで死んだ子どものものなのかは分からないが、結局はあの臭いより先に行ってはいけないということを知り、あれらの伝説が今も息づいていることを身を持って覚えたのだった。