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2/Out of Rosenheim

 食器と机がぶつかりって、誰かが下品な大声で笑う。注文を取る声に混じり、調子っぱずれな歌が聞こえる。

 例え灯りが暗くとも、酒場に満ちる空気は明るい。ごちゃついた喧噪と複雑なにおい。一時たりとも落ち着くことのない騒がしさ。

 その隅っこのテーブルで、他の多くの人々と同じ、だらけた笑みを浮かべる魔人の女がいる。

「おー、おー、やっぱこの一杯の為に生きてんなぁ」

 ジョッキを一息で空にして、今日何度目にもなる言葉を繰り返す。

 気の抜けた声でからから笑う、汰朱たいしゅ・フンデルトヴァッサーはご機嫌だ。

 別段何かがあったからではなく、何もなかったからでもない。

 強いて理由を付けるなら、『今日も無事に生きている』とでもなるのだろうか。

 刹那的で享楽的、筋金入りの楽観主義は魔人の種族的特徴であるし、汰朱もその例に漏れることはない。

「ぉーら手羽先ちゃん、飲ーんでっかー?」

 言って、彼女は隣に手を伸ばす。

 触れそうで触れない、撫でるようなくすぐるようないやらしい手つきに、「わひゃぅあっ?!」と大きな悲鳴。宵闇のように黒い翼が震えて広がり、咄嗟という動きで畳まれる。

「もう、何度も言っていますわよ! 気安く翼に触れるのは止めてくださいまし! わたくし、子供じゃありませんわ!」

 噛みつかんばかりの剣幕に、汰朱は悪びれた様子もなく手を引っ込める。翼人の少女、ライラはやや荒く翼を振って羽根筋を整え、今度は丁寧に折り畳む。

 汰朱はしばらくその仕草を見つめていたが、ライラに睨まれて視線を逸らした。

 その先、テーブルの対面には原人の少年、ユーリがいる。

 皿の料理は随分と減っているが、酒のグラスは殆ど一杯のままだ。

「んぁれ、ゲンナリ君は酒、嫌い?」

 聞けばユーリは困ったような顔をして、手元に視線を落として返す。

「嫌いっていうか――その、飲んだことがないんだ」

「マジで。つったってゲンナリ君、もう十六だったか? 言っちゃなんだが、原人の娯楽なんて酒くらいしかないだろうに」

 ユーリは顔を上げて、今度はうっすらと笑い、

「僕はお側役だったから。将棋のお相手をしたり、編み物をしたり……酒はなくても結構楽しみはあったんだよね」

「ほうユーリは将棋を嗜むのか西方かね東方かね東方ならば私にも多少の心得がある良ければ一度手合わせ願いたい所だな」

 ジョッキを置いて赤鱗の竜人、テンジンが珍しく前のめりになって言う。酒が入っていることを差っ引いても随分と興奮している様子だ。

「西方も東方も、北方大将棋も少しなら。『開拓者』とか『雨の季節』も道具があればできるよ」

 嬉しそうに何度も頷くテンジンを見つつ、汰朱も軽く驚いている。

 『開拓者』は魔人の、『雨の季節』は冥人の卓上遊戯だ。魔人や竜人ならばともかく、それらを下賤の文化と見下す翼人が遊んでいる図というのはやや想像しづらい。

 まして奴隷である原人に遊びを教えて側仕えにするなんて聞いたこともない。

 やんごとない連中のすることだ。大した意味など無いのかも知れないが、どうにもよく分からない話だった。

 それなりに恵まれた環境に居たようだし、言葉を交わしてみれば特段屈折した所もない。暇があれば考え込んだり落ち込んだりはしているが、まあ、その他の部分は普通の少年だ。

 それが一体何をどうすれば翼人殺しなどという重罪にまで辿り着くというのか。

 ――ま、それぞれ色々あらぁな。

 早々に考えるのを放棄して、汰朱は新しいジョッキを呷る。

 深入りできない他人事よりも、目の前の楽しみの方がずっと大切だ。

 飲み干して、目を配る。

 酒も料理も良いのだが、やはり人間を相手にするのが一番面白い。

 まず正面、男達は何やら卓上遊戯の話で盛り上がっているので駄目。左隣で茶をちびちびやっていた藍紗はいつの間にか船を漕いでいる。

 となれば、残るのは不機嫌な顔でそっぽを向いているライラだ。先程までは何やらぶつぶつ言っていたが、今はそれも収まっている。

 なら今だ。

 汰朱はにんまり悪い笑みを浮かべて、小さな背中に覆い被さる。

「ほーれ、手羽先ちゃーん。そんな風に拗ねてねーでさ、もっと呑んで食って楽しもうぜー」

 余程上の空だったのか、ライラはまたも翼を広げようとして汰朱の腹をくすぐった。わひゃひゃと下品な笑い声が漏れる。

「わっ、わたくしはこれでも翼人ですわ! そう何もかも口にする訳にはいきません!」

「つったって、今はもう印付きだろうに。人間何時死ぬか分からないもんだし、楽しんでおいた方が良いと思うがなあ」

「っ、わたくしは!」

 と、食ってかかろうとして、けれどライラは声を窄ませる。

 ――ありゃ、何か痛いトコ突いちまったか。

 それを見て軽く後悔をするが、肝心の『何か』の中身が分からないので反省はしないし出来ない。代わりとばかりに手を挙げて、

「おーいすまねえ、豆茶を一つ、冷たい奴。大前葉の塩漬けと――それから芋団子を頼む。っと、あたしにゃエールをもう一杯とホウボウ鳥の串焼き盛りを」

 注文に、ライラが軽く目を見張った。

「んだよ。こう見えてあたしゃ印付きになる前はお偉いさんと会ったりもしてたんだぞ。翼人が何食うかくらい分かってら」

 ライラは何かを言おうとしたらしく口を開きかけて、けれど結局は何も発さずに、黙る。

 ――ま、子供なんだよな、まだまだ。

 と、汰朱は思う。三十八歳など魔人の中ではヒヨっ子ですらないが、ライラはその半分ほども生きていないのだ。

 導いてやらねば、というつもりはない。汰朱だって若いのだ。そんな余裕は元より無いし、道なんて勝手に見付けろというのが信条でもある。

 ただ、少しだけ長く生きており、少しだけ長く印付きとして過ごしている。

 だからそう、

 ――ちったぁしっかりして、色々示してやるべきかもな。

 生き方であるとか、背中であるとか、とにかく判断の材料に出来るような物を、だ。

 別に決意でも覚悟でもない。盛り場で酒を飲んで熱した頭で決めたことなんて、どうせそう長続きしないだろう。

 つまり単なる思い付き。できればいいな、程度の何か。

「まー、手羽先ちゃんよー」

 言ってみて、しかし続きも思い付かず、何とはなしに押し黙る。

 ライラは少し上目遣いに窺っているが、汰朱はあえて見もしない。

 そのまま、しばらく。

 注文した料理が届き、これ幸いと手を伸ばし、

「――ここは一つ、乾杯、ってことで」

「……ええ、乾杯」

 冷たいジョッキで口を塞ぐ。酒の苦みで喉を塞ぐ。

 ――色々と、言葉にしたら嘘臭くなるしな。

 言い訳のように考えて。

「あっ、汰朱さん何勝手に頼んでるんだよ。言いたかないけど僕らの財布、結構カツカツだぞ? まだ長く旅をするんだったら少しは節制しないと不味いんだけど」

 不満げなユーリの声を聞く。

 するとすぐにテンジンがラッパのように喉を鳴らして笑う。

「まあ良いではないか少し遅れたが今日はユーリとライラック二人の歓迎会という体でもある楽しむ時には楽しまねば何かと損だそれにこうして金を使えるのもユーリきみが居るお陰だもっと好きな物を食べるが良いなに遠慮はするな金などまた稼げば良いのだから」

 その意見にユーリはしばらく渋い顔をしていたが、やがて意を決したようにグラスを空けて立ち上がり、

「注文お願いします。羊肉の腸詰め三つ、棗椰子のジャムにパン、あ、黒白五つずつ。矢切菜のおひたしとクリムエールを大きいので!」

 大声に藍紗が目を開けて、

「……黒茶、あったかいの」

 と付け加える。

「明日の食事が粗末になっても、僕は知らないからな? ホントにカツカツなんだからな?」

 拗ねたような口調に汰朱とテンジンが揃って笑い、どうやら藍紗も少し笑顔だ。

 ライラはまだどこか反応に困っている風でもあったが、

 ――急ぐ必要はねえわな。

 と、汰朱はいい加減な結論を出してジョッキを呷る。

 心配したり思い煩ったりは、明日の食事だけで良い。

 今はまず、

「食って飲んで、楽しんでおこうぜ」

 誰にともなく、そう言った。

2013年7月6日9時37分編集 軽微な誤記の訂正

2013年7月16日10時07分編集 誤読を招く表現の訂正 誤記の訂正

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