0/Long good-bye
生きとし生けるものはみな、罪の子。
殺してと少女は呟いた。
微風にすら消されそうなその声は、けれど少年にとっては山よりも大きく、動かしがたいものに思えた。
それが聞き違いか気の迷いなら、どんなに良いだろう。
「ユーリ」
か細い声で名を呼ばれ、少年、ユーリは身を震わせた。
本気なのだ、彼女は。本当に、死を望んでいるのだ。それも他ならぬ、ユーリの手によって。
寒気がした。震えが止まらなかった。拒絶の意志を言葉にしようとして叶わず、ユーリは小さく首を振る。
少女は悲しげな顔をすると、口を開き――しかし、声は出て来なかった。
信じられないほどに小さく、咳の音がした。鉄錆の臭いが部屋に漂う。
目を見開き顔を歪ませて、身体を一杯に折り曲げて、背中の翼をぴんと伸ばして、少女は全身で苦痛を示す。
「アイリアッ」
立ち上がるユーリを、彼女、アイリアは手で制した。
血走った目にはまだ、強い意志が宿っていた。
『そうするつもり』でないのなら、私に触れたりなんかしないで、と。
ユーリは戸惑い、怖じ気付き、伸ばしかけた手を下ろす。
ずっと昔から思ってきた。
彼女の言うことなら何でも聞こうと。この命も身体も、全て彼女のものだ、と。
勿論、奴隷であるユーリに反抗する権利なんて最初からなかったのだけれど、とにかく彼はいつだってそんな指針を持っていたのだ。
「ユーリ」
やっとのことで開いた口で、彼女は再び名前を呼んだ。
死の臭いがした。その逃れようのなさが尚のこと、ユーリの身体を硬直させる。
励ますようなことも言えず、はっきりと拒絶することも出来ず――彼はただじっと立ち尽くす。
頭では分かっていた。こうしていることは、アイリアにとって苦痛でしかないのだと。快復の見込みがない今、救いとなるのはごく僅かなことだけと。
「お願い」
途切れ途切れにかすれた声が、すがるような目が、濃くなっていく臭いが、揃ってユーリを責め立てる。
慈悲があるのなら、そうしろと。
懊悩の中で、どれほどの時間が経ったのか。
ユーリは大きく息を吸い、吐き、歯を食いしばる。ガチガチに固まった拳を苦労して開き、もう一度深く呼吸する。
泣き出しそうな気持ちを抑え、できるだけ優しくアイリアに触れる。
この細い肩に、何度も服を着せた。月の光にも似た髪に、淡い白金色の翼に、数限りなく櫛を通した。
そっと仰向けに押し倒し、それだけで何枚も羽根が抜ける。
アイリアの身体から返る感触は、残酷なほどに軽い。
馬乗りになってナイフを取ると、アイリアは久しぶりに笑った。
綺麗な笑顔だった。
布を裂いて、柔らかな肉を押し割って、刃先が華奢な身体を犯す。
咳と水音。最早隠しようもなく濃密になった血の臭い。
「ごめんなさい」
冷たい繊手がユーリの頬を撫で、落ちる。その先で、白いドレスの真ん中に。ばかみたいに紅い大きな花が咲いていた。
息を漏らし、アイリアは、
「ありがとう」
全身に残る力を抜いた。
暖かな滴りが手を濡らすのに気付いて、そこから少しずつ熱が逃げていくのを感じて、ユーリはアイリアの肩口に顔を埋めた。
絶叫したい気持ちを抑え、再び歯を強く食いしばり――
声もなく、涙も落とさず、ユーリはじっと、静かに泣いた。
奴隷の罪に裁判はない。
ユーリは首に『印』を受けて、街を出ることになったのだ。
週一回連載、日月辺りを目標につらつらと。
2013年6月21日8時3分編集
誤植の修正 表現の軽微な変更 サブタイトルの追加
2013年7月16日10時16分編集 前書きの変更