『十年間』
父の通院に付き添い、身の回りの世話をし、買い物をし、家のことをやっていた。
兄は、遠くからそれを見ていた。
いや、正確には、見てすらいなかった。
兄が実家へ顔を出すのは、年に一度か二度。
正月にやって来て、
「父さんに、これ、お年玉」
そう言って、弟に一万円を渡す。
父親に渡しているような顔をしていたが、実際には、その一万円を使って親の世話をするのは弟だった。
「兄貴も忙しいからな」
弟はそう言って笑った。
十年間。
兄は、その言葉に甘え続けた。
やがて父の介護度が上がった。
弟は、親を心配するあまり、仕事も生活も親中心になっていった。
「もう、俺だけじゃ無理だ」
そう思っていても、長年一人で抱えてきた弟には、親を手放すことができなかった。
そんなとき、兄が動いた。
行政に相談し、ケアマネジャーと話し、施設を探した。
そして父は施設へ入った。
弟は、親から離れた。
ところが、それからだった。
兄は、まるで自分が十年間親を守ってきたかのように振る舞い始めた。
「俺が動かなかったら、どうなってたと思う?」
弟には、何も言い返せなかった。
確かに兄が動かなければ、施設入所はもっと遅れていたかもしれない。
だから弟は、感謝していた。
ただ、一つだけ理解できなかった。
「父さんに会いに行きたい」
そう言うと、兄は首を横に振った。
「今は会わせないほうがいい」
「どうして?」
「施設の生活に慣れるのが先だろ」
それからも、弟が会いたいと言うたびに、兄は理由をつけた。
「体調が安定してない」
「今は面会が難しい」
「俺が様子を見ておくから」
いつの間にか、兄は親の人生の決定権を握ったつもりになっていた。
十年間、親を支え続けた弟には会わせず、自分だけが親を守っている。
そんな構図を作り上げていた。
ある日、弟は兄に言った。
「兄貴が施設に入れてくれたことは感謝してる。でも……俺は十年間、父さんのそばにいたんだ。俺から親まで取り上げないでくれよ」
兄は不機嫌そうに言った。
「俺が何もしなかったら、親は今も家にいたんだぞ」
弟は黙った。
その言葉を聞いて、ようやく分かった。
兄にとって、この十年間は存在しないのだ。
自分が一万円を渡した正月だけが、親孝行の記憶になっている。
弟が背負ってきた十年間も。
仕事を犠牲にした日々も。
夜中に親を病院へ連れて行ったことも。
何度も行政に相談しようと思いながら、親を置いていけず、耐えた時間も。
全部、兄の中では「俺が親を救った」という一つの出来事に塗り替えられていた。
弟は、それ以上何も言わなかった。
ただ、施設の父に会いたかった。
父の息子として、会いたかった。
そして兄が「親を守っていた」のではなく、
十年間、親を守り続けてきたのは誰だったのか。
その答えは、誰にも奪えない。




