第8話 オフィスラブは禁止のはずですが、葉山さんの手伝いと微かなざわめき
花火大会の翌週、プロジェクトは夏の本格的な制作フェーズに入っていた。
藤原みおはオフィスで資料をまとめながら、昨夜の花火のことを思い出して頰を緩めていた。
藍田朔の浴衣姿、並ぶ肩の温もり、冷たい視線の中の微かな熱……。
考えるだけで胸がざわつく。
「みお、ニヤニヤしてるよ。藍田さんのこと考えてるんでしょ?」
加藤遥が隣から冷やかすように言ってきた。
「え、えへへ……ちょっとだけ。花火の夜、藍田さん、肩寄せてくれて……クールなのに優しくて、ドキドキしちゃった」
みおが照れながら正直に答えると、遥はため息をついた。
「完全に落ちてるね。気をつけなよ、葉山さんも結構積極的だから。三角関係にならないように」
「そんなんじゃないよ! ただ……」
みおが言葉を濁していると、葉山圭介が爽やかな笑顔でデスクに近づいてきた。
「藤原さん、お疲れ! 花火大会、楽しかったね。浴衣姿、すごく可愛かったよ」
「ありがとうございます! 葉山さんもかっこよかったです!」
みおが無邪気に笑うと、葉山は資料を手に取って言った。
「実は今日、みおさんの担当部分のレイアウトを手伝えるかも。僕のチームのデザイナーと調整したんだけど、藍田さんの指示と少し被ってる部分があるから、一緒に見てみない?」
「え、本当ですか? 助かります!」
みおは素直に喜んだ。
葉山は人当たりが良く、仕事も丁寧だ。みおはすぐに葉山のデスクへ移動した。
二人が並んで画面を見ていると、葉山が優しく説明を始めた。
「ここ、みおさんのコピー『甘く溶けるような春を、唇に』に合わせて、ビジュアルを少し柔らかくした方がいいと思う。どう?」
「わあ、すごくいいです! 葉山さん、センス抜群ですね。ありがとうございます!」
みおが目を輝かせて感謝すると、葉山は笑顔で続けた。
「いつでも手伝うよ。藤原さん、天然だけどコピーのセンスは本当にいいから、もっと自信持って」
その言葉にみおは嬉しそうに頷いた。
その様子を、少し離れた自分のデスクから藍田朔が冷たい視線で見つめていた。
朔は無言でキーボードを叩いていたが、指の動きがわずかに強くなっている。
数分後、朔が立ち上がり、みおと葉山のところへ近づいてきた。
「……藤原」
低い、抑揚の少ない声。
みおはびくっと肩を震わせて振り返った。
「藍田さん!」
「資料の確認が終わったら、俺のところに来い」
朔の視線は冷たく、葉山に向けられる一瞬だけ鋭くなった。
葉山は爽やかに笑って手を挙げた。
「了解。藍田、邪魔したね」
朔は短く頷き、みおにだけ視線を落とした。
「休憩は十分に取れ。……暑いからな」
ぶっきらぼうな言葉だったが、みおにはその一言が優しく聞こえた。
午後遅く、みおが朔のデスクに資料を持っていくと、朔は無言で画面を指差した。
「ここ、葉山の提案を取り入れすぎだ。俺の指示を優先しろ」
「え……ごめんなさい! 葉山さんがいいって言ってくれたから……」
みおが慌てて謝ると、朔は冷たい視線をみおに向けたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「藤原」
「はい……」
朔はみおの肩に軽く手を置き、低い声で言った。
「お前は、誰の言葉でも素直に受け入れすぎる。……俺の指示を、もっと信じろ」
その言葉は冷たく聞こえるが、手の温もりと視線の熱が、みおの胸を強くざわつかせた。
クールな表情と、肩に置かれた手の優しさ。
そのギャップに、みおの頰が一気に熱くなった。
「藍田さん……はい、気をつけます……」
みおが小さく頷くと、朔は手を離さずに、もう少しだけ体を近づけた。
「……葉山に甘い顔をするな」
掠れた低い声。
みおの心臓が激しく鳴る。
「え……甘い顔、してないです! ただ、親切にしてくれたから……」
みおの天然な返事に、朔の視線がさらに熱を帯びた。
冷たい仮面のまま、しかし瞳の奥に独占めいた感情がちらりと見えた。
その夜、残業が終わった後、みおは朔と一緒にオフィスを出た。
外はまだ蒸し暑く、夜風が少しだけ心地よい。
朔は無言で自分のジャケットを脱ぎ、みおの肩にかけた。
「汗を引くまで着ておけ」
「ありがとうございます……藍田さん、いつも優しいですね」
みおが笑顔で言うと、朔は前を向いたまま、低く答えた。
「チームに倒れられると面倒だ」
その言葉はぶっきらぼうだったが、ジャケットの温もりと朔の横顔が、みおの胸を甘く溶かしていた。
葉山さんの手伝いと、藍田さんの微かなざわめき。
夏のプロジェクトは、静かに熱を帯び始めていた。
オフィスラブは禁止のはずなのに、
みおの心は、藍田朔の冷たい視線に少しずつ捕らわれつつあった。




