第6話 オフィスラブは禁止のはずですが、猛暑のロケ現場でこぼれた冷たいジュース
五月が終わり、六月に入ると一気に気温が上がった。
今年の夏は特に厳しくなるという予報通り、プロジェクトのロケ撮影は真夏のような暑さの中で行われることになった。
場所は都心から少し離れた海辺の公園。飲料メーカーの新商品「春夏ブレンドソーダ」のイメージ撮影だ。
藍田朔がアートディレクターとして全体を指揮し、みおはコピーの最終確認と現場での微調整を担当している。
朝8時半、みおは汗だくになりながら撮影現場に到着した。
白いTシャツに軽いデニムショートパンツ、帽子をかぶったラフな格好。ふわっとした髪が湿気で少し広がっている。
「うわー、すでに暑い……」
みおがぼやいていると、加藤遥がスポーツドリンクを差し出してきた。
「ほら、水分補給。藍田さんチームのロケ、今日も頑張れよ。汗だくのみお、藍田さんの視線に耐えられる?」
「遥、からかわないでよ! 仕事だから……」
みおが赤面していると、藍田朔が現場に現れた。
黒いポロシャツにチノパンというシンプルな服装でも、長身とクールな雰囲気が際立っている。
表情はいつものように冷たく、視線は鋭い。
「藤原、準備はできているか」
「はい! コピーの最終確認、全部持ってきました!」
みおは元気よく答えたが、すでに額に汗が浮かんでいる。
朔は無言でみおの姿を上から下まで見つめ、短く言った。
「……暑いな。水分をこまめに取れ」
「は、はい!」
その言葉はぶっきらぼうだったが、みおの胸が少し温かくなった。
撮影が始まると、現場はさらに暑くなった。
太陽が容赦なく照りつけ、スタッフ全員が汗を拭きながら作業を進めている。
みおは朔の指示を受けながら、キャッチコピーの微調整をメモしていた。
「藍田さん、このアングルだと『舞い上がる軽やかさ』という言葉がぴったりですね!」
みおが明るく言うと、朔は冷たい視線をみおに向けたまま、短く頷いた。
「ああ。だが、もう少し『溶けるような』ニュアンスを加えたい。夏の暑さを忘れさせる爽やかさを強調する」
「わかりました! すぐ直します!」
みおはノートにメモを取りながら、熱心に作業を続けた。
しかし、猛暑のせいで集中力が少し散漫になっていた。
午後2時を過ぎ、撮影の合間に短い休憩が入った。
みおは冷たいスポーツドリンクを手に、木陰で一息ついていた。
「はあ……暑い……」
ちょうどそのとき、藍田朔が近くを通りかかった。
みおは慌てて立ち上がり、ドリンクのボトルを握りしめたまま挨拶した。
「藍田さん、お疲れ様です! この暑さの中、本当にすごいです……」
朔は無言でみおを見下ろした。
その視線が冷たく、しかしみおの汗ばんだ首筋や頰に留まる。
「……顔が赤い。休め」
「大丈夫です! 藍田さんこそ、休んでください!」
みおが勢いよく言うと、突然ボトルを強く握りすぎてしまった。
キャップが緩んでいたドリンクが、勢いよくこぼれ、みおの白いTシャツに広がった。
「わわっ!」
冷たい液体が胸元からお腹にかけて染み込む。
Tシャツがびしょ濡れになり、薄い生地が体に張り付いてしまった。
みおは慌てて両手で胸を隠そうとしたが、遅かった。
「ご、ごめんなさい! うっかり……!」
顔を真っ赤にして縮こまるみおを見て、朔の動きが止まった。
冷たい視線が、みおの濡れたTシャツに落ちる。
一瞬、朔の瞳が熱を帯びたように見えた。
「……馬鹿か」
低い、掠れた声。
朔は自分のタオルを取り出し、みおの胸元にそっと押し当てた。
「拭け」
「え……あ、ありがとうございます……!」
みおの心臓が激しく鳴る。
朔の指がタオル越しに軽く触れる感触に、頭がぼーっとした。
冷たいジュースと、朔の体温。
その落差が、みおの体を震わせる。
朔は表情をほとんど変えずに、タオルでみおの胸元を丁寧に拭いていく。
その手つきは意外と優しく、クールな顔とのギャップが激しい。
「藍田さん……その、手……」
「動くな。濡れたままでは風邪を引く」
ぶっきらぼうな言葉。
しかし、朔の視線は冷たく、でもどこか熱っぽくみおを見つめ続けていた。
少し離れたところで葉山圭介が撮影の確認をしていたが、こちらの様子に気づき、爽やかに近づいてきた。
「藤原さん、大丈夫? びしょ濡れじゃないか。僕のタオルも使って」
葉山が笑顔でタオルを差し出すと、朔の視線が一瞬、鋭くなった。
「……葉山は自分の仕事をしろ」
冷たい一言。
葉山は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑って引き下がった。
「はいはい、了解。藍田、珍しくフォローしてるな」
みおはタオルで胸元を押さえながら、朔の横顔をそっと見上げた。
「藍田さん……ありがとうございます。冷たいジュースなのに……藍田さんの手、温かかったです」
その無邪気な言葉に、朔の動きがぴたりと止まった。
冷たい視線が、みおの顔に深く落ちる。
「……お前は、本当に天然だな」
低い声でそう言った朔の表情は、いつものクールな仮面のままだったが、耳の先がわずかに赤くなっているようにみおには見えた。
猛暑のロケ現場で、
冷たいジュースと温かいタオル、そして藍田朔の視線が、みおの心を静かに溶かし始めていた。
オフィスラブは禁止のはずなのに、
夏の始まりは、予想以上に熱くなりそうだった。
(第6話 終わり)




