第5話 オフィスラブは禁止のはずですが、春の終わりと心の揺らぎ
四月も下旬に差し掛かり、桜の花びらはほとんど散り、街路樹は新緑に変わり始めていた。
藤原みおはクリエイティブ部のデスクで、午後の陽射しを浴びながら軽く伸びをしていた。
プロジェクトは順調に進んでおり、中間プレゼンの準備も佳境に入っている。藍田朔の指示は相変わらず厳しかったが、褒められる機会も少しずつ増えていた。
「みお、今日も藍田さんと残業?」
加藤遥が隣のデスクから、からかうような笑顔で聞いてきた。
「ううん、今日は早めに上がれるかも! でも……藍田さん、最近コピーのことよく褒めてくれるんだよね。『良い仕事だ』って言われたとき、なんか胸がドキッとして……」
みおは頰を少し赤らめながら、照れくさそうに笑った。
遥は呆れた顔でため息をつく。
「完全に落ちてるじゃん。クールな上司に褒められてデレデレだよ、あなた」
「デレデレじゃないもん! ただ……藍田さん、いつも冷たい顔してるのに、言葉が優しいからびっくりするだけで……」
そこへ、西村玲奈先輩がコーヒーを片手に近づいてきた。
「みおちゃん、藍田さんに褒められるのって本当に珍しいわよ。葉山さんチームのコピーもいいけど、藍田さんはみおちゃんの言葉をちゃんと拾ってくれるからね」
みおは嬉しそうに頷いたが、心の中では複雑な気持ちもあった。
朔の冷たい視線と、突然の優しい言葉のギャップが、最近ますます気になって仕方ない。
その日の夕方、プロジェクトチームの軽い進捗ミーティングが行われた。
藍田朔はいつものように冷たい表情で資料をまとめ、短く指示を出していく。
「藤原のコピー修正版、悪くない。春の軽やかさがより明確になった」
みおは「ありがとうございます!」と元気よく返事をした。
しかし、朔の視線が一瞬、みおの顔に留まる。
冷たい瞳の中に、ほんの少しだけ熱が混じっているように感じて、みおはドキッとした。
ミーティングが終わった後、葉山圭介が爽やかにみおのデスクに寄ってきた。
「藤原さん、お疲れ! 今日のコピーも良かったよ。藍田に褒められてるの、羨ましいな。もしよかったら、今度一緒にランチでもどう? コピーの話、もっと聞きたいし」
葉山の笑顔は明るくて人当たりがいい。
みおは少し迷いつつも、笑顔で答えた。
「ありがとうございます! ランチ、行けたら嬉しいです!」
その会話を、少し離れた場所から藍田朔が冷たい視線で見ていた。
朔は何も言わずに自分のデスクに戻ったが、みおにはその背中がいつもより少し硬く見えた。
遥が小声でみおに囁く。
「ほら、藍田さん、葉山さんが誘ってるの見て機嫌悪そう。クールなのに、意外と独占欲強いかもよ?」
「遥、声が大きいよ! そんなわけないって……藍田さんはただ仕事に厳しいだけで……」
みおは慌てて否定したが、心の中では朔の冷たい視線が繰り返し蘇っていた。
春の最後の週末、プロジェクトチームで軽い慰労の飲み会が開かれた。
場所は会社近くの居酒屋。桜の季節が終わったことを惜しむように、みんなで春の思い出を語り合った。
みおはビールで少し顔を赤らめながら、朔の隣の席に座っていた。
朔はいつものように口数が少なく、グラスを傾けている。
「あの……藍田さん、春のプロジェクト、楽しいですね」
みおが明るく話しかけると、朔は短く答えた。
「……まあな」
「藍田さんと一緒に仕事できて、勉強になります。コピーのこと、いつも的確に指摘してくれるし……褒められるとすごく嬉しいんです」
みおの言葉は素直で、無邪気だった。
朔の視線が、冷たくみおに向けられる。
「……お前は、素直すぎる」
低い声。
しかし、その言葉の裏に、微かな甘さが混じっているように感じた。
飲み会が終わり、店を出た頃、外は少し肌寒くなっていた。
みおがコートを着ようとすると、朔が自分のコートを脱いでみおの肩にかけた。
「寒いだろ」
「え……またコート……ありがとうございます! 藍田さん、いつも優しいですね」
みおが笑顔で言うと、朔は前を向いたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「チームに風邪を引かれると面倒だ」
その言葉は冷たく聞こえるが、コートをかける手つきは優しかった。
みおはコートの襟をぎゅっと握りしめ、胸が温かくなるのを感じた。
春の終わりは、静かに夏の気配を運んでいた。
オフィスラブは禁止のはずなのに、
藍田朔という人の冷たい視線と、突然の優しさが、みおの心を少しずつ溶かし始めていた。
(第5話 終わり)きましょう!




