第4話 オフィスラブは禁止のはずですが、言葉の力とアートディレクターの視線
プロジェクトが始まって2週間が経ったある午後。
藤原みおは会議室の端の席で、少し緊張した面持ちで座っていた。
今日のミーティングは、春キャンペーンの方向性に関する中間報告。藍田朔がアートディレクターとして全体をまとめ、みおはコピーライターとして自分の提案を発表する番だ。
「みお、頑張れよ。藍田さんの視線、絶対熱いからね」
隣の加藤遥が小声でからかうように囁いた。
みおは頰を少し赤らめながら首を横に振った。
「からかわないでよ、遥……今日はちゃんと資料チェックしたもん! 花びらも入ってないよ!」
遥がくすくす笑う横で、西村玲奈先輩が優しく微笑んでいる。
大塚部長がにこやかに会議を始めた。
「では、藍田チームから中間報告を。藍田、頼む」
藍田朔は静かに立ち上がった。
黒いスーツを完璧に着こなし、長身のシルエットが会議室を圧倒する。表情は冷たく、視線は鋭い。口数はいつも通り少ない。
「方向性は固まってきた。ビジュアルは春の軽やかさを重視し、桜のモチーフを基調に進める。コピーについては、藤原がメインを担当している」
朔の視線が、みおの方へ向けられた。
その目は冷たいまま、しかしどこか期待を込めているようにみおには感じられた。
「藤原、発表を」
「は、はい!」
みおは慌てて立ち上がり、資料を配った。
今回はしっかりとチェック済みで、花びらは一枚も入っていない。
みおは深呼吸をして、明るい声で話し始めた。
「メインコピーはこちらです。
『春の息吹を、一口で。
新感覚の軽やかさ、桜のように舞い上がる瞬間。』
サブコピーとして、
『甘く溶けるような春を、唇に。
あなただけの、桜の味。』
どうでしょうか……?」
発表を終えて席に座ると、会議室が少し静かになった。
みんなの視線が朔に向けられる。
朔は無言で資料を手に取り、じっくりと読み始めた。
長い指でページをめくり、時折目を細める。
沈黙が長く続く。みおは自分の膝の上で手をぎゅっと握りしめ、心臓の音がうるさく感じた。
(……藍田さん、黙ってる……ダメだったかな……?)
やがて、朔がゆっくりと口を開いた。
「……藤原」
低い声。
みおはびくっと肩を震わせた。
「はい……」
「このコピー、悪くない」
え?
みおは目をぱちくりさせた。
朔は資料をテーブルに置き、冷たい視線をまっすぐみおに向けた。
「特にサブコピーの『甘く溶けるような春を、唇に』という部分。
言葉が柔らかく、官能的で、飲料の味わいをうまく表現している。桜のイメージとも重なる。
『舞い上がる瞬間』も、軽やかさを視覚的に想像させやすい。良い仕事だ」
朔の言葉は淡々としていたが、内容は具体的で褒め言葉に満ちていた。
会議室がざわつく。
葉山圭介が明るく笑った。
「藍田、珍しく褒めてるな。藤原さん、すごいじゃないか」
みおの顔が一気に赤くなった。
「え……あ、ありがとうございます! 藍田さんにそう言っていただけるなんて……本当に嬉しいです!」
みおは勢いよく頭を下げた。
その無邪気な反応に、周囲がくすくすと笑う。
しかし、朔の視線はまだみおから離れなかった。
冷たい瞳の中に、ほんの少しだけ熱が混じっているように感じる。
「ただ……」
朔が続ける。
みおは再び緊張した。
「メインコピーの『一口で』という部分は、もう少し強く。
『一口で、春を味わう』くらいにすると、飲みたいという欲求が強くなる。
お前は言葉の力を信じているなら、もっと大胆に使え」
その指摘は厳しかったが、みおの成長を期待しているような響きがあった。
みおは真剣に頷いた。
「はい! 大胆に……頑張ります!」
会議が終わった後、みおは自分のデスクに戻りながら、まだ胸が熱くなっていた。
(藍田さん……冷たい顔して、あんなに詳しく褒めてくれるなんて……あの視線、なんだろう……怖いのに、嬉しい……)
遥がすぐに寄ってきて、肩を叩いた。
「みお、藍田さんに褒められて完全にデレデレじゃん。『良い仕事だ』って言われたときの顔、最高だったよ」
「で、でれでれじゃないもん! ただ……藍田さん、いつもクールなのに、言葉が優しいからびっくりしただけで……」
みおが照れながら否定していると、葉山圭介が爽やかに近づいてきた。
「藤原さん、お疲れ! 藍田に褒められるなんて珍しいよ。僕もいいコピーだと思った。もしよかったら、後で一緒にランチでもどう? アドバイスできるかも」
「え、ありがとうございます! でも今日はちょっと……」
みおが返事をしていると、藍田朔がデスクの近くを通りかかった。
朔の冷たい視線が、葉山とみおの間に落ちる。
「……藤原」
「は、はい!」
「修正案は今日中にメールで出せ」
「わかりました!」
朔はそれだけ言うと、冷たい背中を見せて去っていった。
しかし、みおにはその短い言葉の裏に、微かな独占めいた響きを感じてしまった。
遥が小声で囁く。
「ほら、藍田さん、葉山さんが誘ってるのを見てちょっと機嫌悪くなったでしょ? クールなのに、意外と……」
「遥、声大きいよ!」
みおは慌てて遥の口を押さえたが、心の中では朔の冷たい視線と、会議で褒めてくれた温かい言葉のギャップが、繰り返し蘇っていた。
その夜、みおは自宅のベッドで朔の言葉を思い返していた。
『良い仕事だ』
『もっと大胆に使え』
冷たい声で言われたのに、なぜか胸が温かくなる。
オフィスラブは禁止のはずなのに、
藍田朔という人の言葉の力は、みおの心に静かに、深く響き始めていた。
(第4話 終わり)




