【プロローグ】
その遺体を見た瞬間、ベテランの現地捜査官でさえ十字を切ったという。
南米の照りつける太陽の下、切り立った崖の底に横たわっていたのは、行方不明になっていた日本人大学生だった。
報告書によれば、発見されたのは失踪から二十日以上が経過した後。本来ならば、野生動物に荒らされるか、猛暑の中で見るに堪えない姿に変果てているはずだった。
だが、彼は違った。
肌には瑞々(みずみず)しささえ残り、衣服に乱れもない。まるで、先ほどまでそこで昼寝をしていたかのような「完璧な死体」だったのだ。
当初、地元警察は滑落による即死、あるいは薬物摂取による心不全を疑った。外傷が一切なかったからだ。
しかし、その後の行政解剖の結果を聞いた私は、握っていたペンを落とした。
「……中身が、何もなかった?」
電話の向こうで、現地のコーディネーターは震える声で繰り返した。
「そうだ。心臓も、胃も、肝臓も……。それだけじゃない。全身の血管は綺麗に洗浄され、血液の一滴すら残っていなかった。そして……」
彼は一度言葉を切り、吐き捨てるように続けた。
「頭蓋骨の中もだ。脳が、吸い出されたように消えていた。あんなものは人間じゃない。あれは、ただの『中身のない革袋』だ」
私は手元の資料に目を落とす。そこには、旅立つ直前の、前途有望な若者の笑顔が写っていた。
一体、彼の身に何が起きたのか。
なぜ犯人は、臓器だけでなく、脳や血までを必要としたのか。
私は受話器を置き、航空券を手配するためにパソコンを開いた。
これが、底知れぬ闇の入り口になるとも知らずに。




