滲む色とアルテン家
翌日のローレンス家は、妙に静かだった。
(…エリオット、来なかった)
漂っていた黒紫の残滓も薄れつつある。
だけど、完全には消えていない。
視界の色はまだ少しぼんやり滲む。
(…昨日よりはマシ…かも。)
階段を降りながら、私は家族の揺らぎを確認する。
母の桃色はほんの少し白っぽい。
兄エレンの青は灰かぶりみたいにくすんで見える。
(…疲れ…?いや…不安??)
よく分からない。
「クララ、おはよう。どうかしたか?顔色が良くないぞ…」
兄が心配して声をかけてくる。
その瞬間——
青が一瞬、濁ったように見えた。
(…え?兄さん…何か疑ってる?)
胸がザワッとした。
「クララ様」
影のような気配が、すっと横に立つ。
イーサンだ。
灰色は、にじまない。
「エレン様はご心配されておいでです。」
「…え?」
「眉間がわずかに寄っていました。おそらくそれは“疑念”ではなく“疲れ”の反応です。」
「エレン様、昨日遅くまで勉強なさっていたのでは?クララ様が心配されているようです。」
「…ああ、まあな。魔道具の期末試験があってな。よくわかったな。」
兄が苦笑した。
(読み違えてた…)
色が滲むと、こんなにも不安になるのか。
私は小さく息を吐いた。
イーサンの灰色が、そっと安定した波をつくる。
(…イーサンの色だけは、狂わない)
それがどれだけ心強いか、…今さらながら身に沁みた。
————
食後、イーサンは静かに私の方へ向き直った。
「クララ様。本日…少しの間、屋敷を離れます」
「……どこへ?」
問い返されなくても、イーサンは答えるつもりだった。
「アルテン家の元使用人に会いに行って参ります」
胸が跳ねた。
(…本当に行くんだ)
「昨日の術式…あの粗悪品について、本来の“持ち主”を知る必要があります」
「…うん」
「念のため、しばらくはこの部屋でお過ごしください」
(…まるで、危険を予測してるみたい)
イーサンの灰色には、淡い青がにじんでいた。
————
イーサンが出たあとのローレンス家は、しん…と静まり返った。
私は廊下を歩く。
色がにじむ視界でも、“残り香”はわかる。
(…ここ。甘い。)
昨日、紙を置かれた棚の前。
ほんの微量の甘い残滓が漂っていた。
色で言うなら、薄い薄い、黄色混じりの白い煙。
(…また仕掛ける気だった?)
ぞわっと腕が震える。
私はおそるおそる手を伸ばした。
指先に、かすかなざらつき。
(…粉??)
色でいうと、ごく淡い紫の砂粒。
多分、術式をコピーした時の“インクの混ざり”だ。
(…粗悪品の残滓だ)
クララの目だけが見つけられる証拠。
————
夕刻。
日が傾き始めたころ、扉の外に柔らかなノックが響いた。
「クララ様。戻りました」
イーサンだ。
開いた扉の向こう、イーサンの揺らぎは、灰色に深い青が溶けていた。
(…青い…強い青)
「お疲れさま…」
私は立ち上がる。
イーサンは中に入り、静かに扉を閉めた。
「クララ様。アルテン家の元使用人から、話を聞きました」
胸がきゅっと締まる。
「…どう、だった…??」
イーサンは紙を一枚取り出す。
「証言が取れました」
そして、淡々と語り始めた。
「エリオットと名乗る青年が、数ヶ月前からアルテン家に出入りしていたそうです。“調査”と称して家族の部屋へも近づき…主人の様子が急におかしくなったと」
(…やっぱり)
「主人は突然、財産を手放し始めた…と。また、甘い香りが部屋に満ちていたという証言も得られました。これらは正式な証拠として形に残してます。」
私の喉がひくりと動く。
「…甘い香り…昨日の…」
イーサンは深く頷いた。
「さらに…医療術式に使う“重要なメモ”が忽然と消えていたそうです」
(…盗んだんだ…エリオットが)
「…聞き取りは、つらいものでした」
イーサンは一度言葉を切った。
灰色に青が深く沈んでいく。
「奥様と娘君は…精神を患い、神殿の保護下にあるそうです」
胸がぎゅっと痛んだ。
「…家の主は?」
「行方知れずとのこと。“突然いなくなった”という証言しかありません」
(…いなくなった?)
エリオットの黒紫が、頭に浮かんだ。
「引き続き調べさせています」
淡々としているのに、イーサンの声には確かな怒りが滲んでいる。
(…青が…深い)
それは、クララを守ろうとする青。
「クララ様」
イーサンはまっすぐにこちらを見る。
「——あの男が次に狙うのは、必ずローレンス家です」
胸の奥で
青い色が、静かに燃える。
(……私も……戦う)
色はにじんでいるのに、
その決意の青ははっきり見えた。




