色のことを伝える
翌日の朝。
ローレンス家はいつもより人の動きが慌しかった。
「クララ、またエリオット様がいらしてるのよ。少しだけご挨拶に来れないかしら?」
母セリーヌが声をかけてきた。
桃色の揺らぎは今日も優しく染まっている。
(え……今日も……?)
…廊下にはすでに、黒紫の濁った揺らぎが漂っていた。
昨日より濃い。
昨日より深い。
(なにしに来たの……本当に)
私は喋らないまま眉を寄せる。
言葉を使うと頭が疲れるし、色に意識を取られる日は特に喋りたくない。
背後でイーサンが気配を揺らした。
「奥様。クララ様は昨日のお疲れがまだ残っておいでです。ご無理は……」
「大丈夫よ、イーサン。エリオット様ったらクララに会えるのを楽しみにしていらしたの。だからほんの少しだけ…ね?」
母の桃色は誠実そのもの。
だから止められない。
(……行くしかないか)
私は静かに立ち上がった。
————
客間に入ると、エリオットは立ち上がり微笑んだ。
「クララ様。本日もお会いできて光栄です」
声は柔らかく丁寧。
でも——。
(……黒紫が昨日より濁ってる)
その揺らぎは、まるで泥のように重かった。
そして今日は、その黒紫の奥に“暗い赤”が薄く混ざっている。
(苛立ち……? なんで?)
私は挨拶せずに黙って座った。
喋ると疲れるし、色の方がうるさい。
エリオットは雑談を続けながら、家の中をちらちらと見回す。
棚、扉、廊下。
人ではなく家を見ている。
(やっぱり……この人、なにか企んでいる)
その時だった。
エリオットの視線が、廊下へ繋がる扉へ滑る。
「あちらの部屋は……?」
(……気持ち悪い)
胸の奥が冷える。
私は喋らず、ほんの小さく、眉を寄せただけ。
それだけで、エリオットの揺らぎが一瞬“暗く沈んだ”。
(…やばい、私が拒絶してるってこと、伝わっちゃった?)
イーサンは即座に半歩前へ出た。
「そちらはクララ様の私室でございます。ご案内する必要性はないかと思われます。」
声は控えめなのに、境界線をはっきり引く力があった。
エリオットは笑顔を保ったまま言う。
「…そうですか。それは失礼いたしました。」
礼儀正しい。
けれど…色は嘘をついていなかった。
黒紫の濁りは揺れ、その奥に赤がチラリと跳ねた。
(うわぁ……ぐらぐらしてる)
私は思わず息を止める。
————
廊下に出た瞬間、私は深く息を吸いこんだ。
「ひとまず、お部屋へ戻りましょう」
私はこくりと頷き、部屋に入る。
「……イーサン」
珍しく名前を呼んだ。
イーサンは静かに横へ寄る。
「はい」
「……あの人、やっぱり……変」
喉が重くて、言葉がまとまらない。
でも、イーサンにはなんとか伝えたかった。
「クララ様は……本日、一度もお言葉を発されませんでした」
イーサンは淡々と。
「ですが、拒絶も警戒も…私には伝わってきております。」
(…そっか……)
胸の奥がゆっくり動く。
喋らなくても伝わってる——
それが少しだけ心を軽くした。
そして。
(……話しても、いいのかな)
祖母に「秘密にしなさい」と言われた力。
ずっと隠してきた“世界の見え方”。
でも、イーサンの静けさは、祖母の水色の揺らぎに似ていた。
私はゆっくり、言葉を選ぶ。
「…色が……ね。見えるの」
イーサンが小さく息を呑む。
でも声を荒げたり、驚いた顔を見せたりしない。
「……色、ですか」
「うん…。みんなの…気持ちの、色みたいなもの…」
喋るのが苦手だから、短く。
でも、それでもちゃんと伝わる。
「昨日も…今日も…あの人から黒くて…濁った紫が…時折イラついたような赤も、混じってる」
イーサンは遮らない。
ただ静かに聞く。
「……それが、クララ様が違和感を覚えられた理由なのですね」
「……うん」
イーサンの灰色の揺らぎは変わらない。
色の話をしても、引かれないし怖がられない。
何も変わらない。
(…よかった)
「クララ様」
イーサンの声は静かで、でもどこか柔らかい。
「お話しくださり……ありがとうございます」
胸の奥が、少し熱くなった。
「…イーサン」
「はい」
「…あの人、多分…もっと黒くなる。なにか…狙いがあるみたい」
「ええ。クララ様がそう感じられるのなら、私は信じます。」
(……信じる)
口だけでなく心からそう言ってくれる人はもしかしたら世界でこの人だけかもしれない。
胸の奥で静かに磨いていた“牙”が、
ほんの少しだけ光を放った気がした。
(……守る。この家も、家族も。そしてイーサンも。)
私は静かに息を吐いた。
黒紫の残滓がまだ家中に漂っている。
でも、もう…怖くない。




