贈り物の罠と反撃の準備
翌日のローレンス家は、落ち着いた朝の気配の中に
どこかそわそわした甘い空気が混じっていた。
(……甘い匂いが、まだ残ってる)
昨日の紙から漂った香りの残滓。
それが廊下の隅や家具の影に、薄く薄く染みついている気がした。
視界の“色”は今日も少しにじむ。
母セリーヌの桃色は淡く白っぽく、
兄エレンの青は縁がくすんで見えた。
(……本当に、見づらい……)
朝食の席に向かおうとすると——
「クララ様」
影のような気配が寄り添う。
イーサンだ。
灰色は、今日もにじんでいない。
ただ静かに澄んでいる。
その安定した色に、私は息を軽く吐いた。
————
「……まぁ、なんて素敵な品なの!」
母の声が、ダイニングに明るく響いた。
テーブルには、大きな箱がいくつも並んでいた。
・母セリーヌには、香り豊かな花束
・父ローレンスには、装飾の施された古書
・兄エレンには、珍しい魔道具の部品
・そして……私には、小さな香り袋
贈り主の名前は一つ。
エリオット
(…嘘でしょ…)
箱からふわりと甘い香りが漂った瞬間——
視界が揺れた。
桃色も青も白も、全部が“溶けるように”にじむ。
(……っ!)
私は息を呑む。
「クララ?どうしたの、顔色が……」
母の桃色も、白く霞んでよく見えない。
「奥様、クララ様は香りに敏感でいらっしゃいます。少し空気を入れ替えた方がよろしいかと思います。失礼いたします。」
イーサンが即座に窓を開けた。
風が入り、甘さが薄まっていく。
(…これ……昨日と同じ匂い)
兄が花束を手に楽しげに言う。
「エリオット様、気が利くな。まさか家族全員に贈り物とは!」
黒紫の残滓が花束にも古書にも、全部に薄く絡んでいた。
“好印象”に見せかけた異様な濁り。
(…もう間違いない…家族ごと、狙ってる……)
胸がざわりと震えた。
「クララ様」
イーサンが手袋をしたまま、香り袋を回収した。
「こちらは後ほど…」
箱をひとつひとつ別室へ運び出しながら、イーサンの灰色には深い青がにじんでいた。
おそらくは怒り。そして警戒。
「クララ。あなたには香り袋より…別の物だったらよかったわね…まさかそんなに苦手だったなんてね。でも、とても丁寧な贈り物よ。あの方、きっととても誠実な——」
(違う…違う…!!!)
言いたかった。でも、色がにじむ日は特に言葉がうまく出ない。
私は喉がつまったように黙り込んだ。
「……っ」
「奥様、クララ様は本調子ではございません。お部屋までお連れ致します。」
イーサンの灰色が、やわらかく私を包むように寄った。
母は心配そうに頷いた。
「じゃあ……イーサン、クララをお願いね」
——————
私室に戻ると、イーサンは扉を静かに閉め、
机に封蝋のついた手紙を置いた。
灰色の鳥の紋章——
イーサンの“外部情報網”の印。
(…情報屋!?)
イーサンは封を切り、紙を広げた。
「クララ様……“アルテン家”の件の続報です」
私は思わず身を乗り出した。
イーサンの声は低く、しかし確信を帯びていた。
「エリオットは、贈り物を使って“家族全体の判断力を鈍らせる”のが常套手段だったようです。家の者に好印象を与え、香りで思考を緩め……その隙に財産と研究を奪う」
(やっぱり……)
色が揺れる視界の奥で、イーサンの灰色だけが変わらない。
「さらに……各家から“甘い香りの残滓”が報告されています」
「……甘い……残滓……」
「はい。昨日の紙と同じものです」
私の胸がぎゅっと縮む。
(……私の家も……あの人に狙われてる……)
「クララ様」
イーサンは紙を置き、まっすぐ私を見る。
「ローレンス家は、すでに“入り口”を踏み込まれました」
喉が乾く。
「……どうすれば……?」
イーサンの灰色が、青を帯びて強くなる。
「反撃いたしましょう」
空気がぴん、と張りつめた。
「クララ様の“色を見る力”。これは術の影響を見抜く最大の武器」
「でも……今は色がにじんで……」
「ええ。だからこそ——」
イーサンは静かに膝をついた。
「私が、揺らぎを補います」
(……補う)
「クララ様が読み違えても構いません。にじんでも、ぼやけても。“本質だけ”を見ようとし続けてください」
胸が熱くなる。
「そして……クララ様には“罠にかかったふり”をしていただきます」
「……!」
「エリオットは、クララ様の反応を最も重視しています。ならば、クララ様が“術に落ちたように見せる”ことで、彼の本性を暴くことができます」
青が、胸いっぱいに広がる。
(…私……守られるだけじゃない……)
「クララ様」
イーサンの灰色に、ひときわ強い青が差した。
「ローレンス家を守る戦いを……共に」
私は拳を握った。
にじんだ視界の中でも、自分の決意の青だけははっきりと見えた。
「……うん。共に戦いましょう…」
こうして、私とイーサンの静かな反撃は
ついに、始まった。




