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かつて、企業と国家による、壮絶な経済戦争が繰り広げられた時代があった。
後に「国家解体戦争」と銘打たれることになるこの戦争は、より自由な経済活動を求める企業と、それを統制しようとする国家との間に、激しい軋轢を生んだ。
やがて、企業側が次第に勢力を拡大し、「企業連合」とまで呼ばれるほどの組織体と作り上げると、その組織体が国家すら牛耳るようになってしまっていた。
そんな中、その組織体の影響力が最も強いある国家では、その組織体が開発した眼鏡型の携帯デバイスが急速に普及していった。
一昔前に一時代を築き上げたスマートフォンに代わる、次世代の携帯デバイスと、その組織体が提供する「DEF」と呼ばれるオンラインサービスにより、電子空間上に仮想世界が形成されていた。
そして、その仮想世界でも、SNSやオンラインゲームといった、現実世界のコンテンツが現実世界とほぼ同様に広まっていき、一つの巨大なムーブメントを作り上げていた。
スマートフォンよりもさらに昔の時代に出版されていたらしいSF小説の中には、こうした仮想世界をテーマとしたものも多く含まれていた。
私はその一部しか読んだことはないけれど、これまで想像の産物でしかなかった電子の中の仮想世界が、こうして一つの現実として開花している瞬間に立ち会えている。
しかし、それは喜ばしいことばかりではなかった。どんな技術も、それが理想郷を作ることなど到底あり得ない。その仮想世界に依存する若者たちが次第に増え、やがて社会問題にまで発展するようになっていった。
「さてと。今日もコッチにログインしようかな。学校に行けなくても、コッチなら私も平気でいられるものね」
今、私こと「シルヴィ・アムネジア」は、その組織体が管理運営する仮想世界上で稼働するオンラインゲーム「JUSTA」に熱中していた。
普段の私は、学校にも行かず、こうして毎日のようにこの「JUSTA」にログインしては、日がな一日をこの「JUSTA」空間で過ごしている。
「ココの人たちは、私のことを少しもいじめたりしないから、私も安心して毎日ログインできるのよね。もう、学校じゃなくて、こっちで色々勉強とかできたらいいのに」
私は幼い頃、学校で酷いいじめに遭っていた。理由はよく分からなかったけど、とにかく連日のように身体的、あるいは精神的な暴力を受け続けていた。
もっとも、子供の頃のいじめなんて、大半が大した理由もなく発生するものなんだろう。「なんとなくムカついた」「態度が癪に障った」そんなどうでもいい理由でいじめをしてしまう未熟さもまた、子供故の純粋さでもあるのだろう。
だけど、私はそれが耐えられなかった。どうして自分だけがこんな仕打ちを受けなければならないのか。大した理由もなくいじめられ続ける私の気持ちなど、誰も理解してくれない。
そのうち、私は学校に行くのが嫌になった。その時に出会ったのが、この「JUSTA」というオンラインゲームだった。
「やっほー、シルヴィ。今日も来てくれたんだー」
「あっ、サイダー。そういうあなたこそ、毎日熱心にログインしているじゃないの」
その時。私の目の前に別のプレイヤーがログインしてきた。そのプレイヤーはこのゲームで「サイダー」と名乗っている。
サイダーはこの「JUSTA」内で最初にできた私の親友だった。最初、とはいっても、私が親友と呼べる相手はこのサイダー以外には、今のところはいない。
「そうだねー。お互い引きこもり同士、このゲームで楽しくやっていくって決めたばっかりだもんね」
サイダーもまた、私と同様この「JUSTA」に連日のようにログインしている。何故、サイダーがこのゲームにこれほど夢中になっているのか。
私と同じように、現実世界で辛いことがあったのだろう、ということはなんとなく想像できるけれど、そこに不用意に首を突っ込まないのが、この「JUSTA」世界での暗黙のルールだった。
「そういえば、来週新しいクエストが実装されるらしいじゃん」
「うん、それなら私もニュースで見たわ。この「JUSTA」も、段々大きくなって、これからどんなクエストとかが実装されるのか、まだまだ楽しみは尽きないわね」
こんな具合に、私とサイダーは今日もこの「JUSTA」で仮想世界を冒険していく。
現実世界で打ちのめされている私の心も、この「JUSTA」とサイダーがいるおかげで、どうにか狂い果てることは食い止められていた。
けれども、いつまでもこんな生活を続けていていいわけがない。私がやっていることは、結局のところただの現実逃避に過ぎないのだから。
「あらっ? 今日はサイダーはログインしていないみたいね。いつもだったら、この時間になったらログインしてくるはずなのに」
そんなある日のことだった。この日も私は日課と言わんばかりに「JUSTA」にログインした。しかし、約束の時間になっても、サイダーはログインしてこなかった。
「なにかあったのかしら? まぁ、たまには一人でクエストをこなしてみるのも、新鮮な気分になるかもね」
私は、サイダーになにがあったのか気になったけれど、本人がログインしていない以上、この「JUSTA」空間からではサイダーの様子を直接確認することはできない。
それが、この日だけだったならば、私もさほど気にも留めることはなかっただろう。しかし、サイダーは次の日も、その次の日も、またその次の日も「JUSTA」にログインしてこなかった。
「……おかしいわね……。今日もログインしてこないなんて……。やっぱり、なにかログインできない事情があるんだわ……」
ついこの間まで、私と一緒にこの「JUSTA」をプレイし続け、私にとって数少ない親友の一人と言うことができるサイダーが、今は私のそばにいない。
これは一体どういうことなのだろう。事情を調べようと、私はネットのニュースサイトをあれこれ調べてみた。
すると、その中に一件、奇妙な内容のニュース記事があるのを発見した。
『高校生の少女、薬物過剰摂取で死亡。自死の可能性』
そのニュースは、記事の内容を読む限りでは、よくあるオーバードーズによる中毒症状で死亡したという事故の記事だった。
しかし、私はそのニュース記事に、なにか引っかかるものを感じていた。
「……オーバードーズによる死亡事故……。だけど、この時代に、そんなことが起こるのかしら……?」
かなり昔、医薬品の過剰摂取による自死が、大きな社会問題になったことがあった。
政府はその対策として、関連法規を改正し、対象となる医薬品の購入に一定の制限を設けた。
さらに、医薬品をその依存性の高さや副作用の発生リスクなどに応じていくつかの分類することをした。その結果、一定以上のリスクを持った医薬品は、購入可能個数に制限が課せられたり、それ以上のレベルの医薬品に関してはオンラインでの販売が禁止されるなどの措置が取られるようになった。
「……まさか、サイダーがオーバードーズを……? だけど、あの子にそんなことができるとは思えないし……」
私は、被害者が高校生の少女であるというところから、サイダーがオーバードーズを図ったのではないか、という疑念を抱いた。
けれど、この事故に関して警察が事件性はないと断定している以上、今の私に調べる方法はなかった。
だけど、私はその事故のことが、どうしても気になって仕方がなかった。何故、と言われるとよく分からないけれど、ある種の直感が働いた、としか言いようのない感覚だった。
そして、その直感が間違いではなかったことを、この後私は思い知ることになった。
「……んっ? これは、あの事故のニュースの続報だわ。……えっ? こ、これは……?」
そのニュースは、先日の事故で死亡した被害者の少女の司法解剖が行われたという内容だった。そして、その結果、少女の遺体には何者かの手による痕跡が複数確認されたらしい。
「じゃあ、あの被害者が死んだのは、単なるオーバードーズじゃないってこと……? だとしたら、やっぱり、この被害者は……」
私は、ふとサイダーのログインが途絶える直前、彼女が漏らしていた言葉を思い出した。
「もう、私はこの世界で生きることに興味がなくなった。だから、私はこっちの世界で生きていく」と。
私は、始めのうちはサイダーが現実世界への興味を失い、この「JUSTA」空間に自分の居場所を見出そうとしていると考えていた。
誰でも一度は脳裏に描くことがあるかも知れない、現実逃避への憧憬と夢想。私は、サイダーが一時的にそんな妄想に取り付かれているだけだと思い、適当に受け流していた。
けれど、もしかしたら実際にはそうではないのかも知れないと、私は思い始めていた。
「……もし、サイダーのあの時の言葉が本心からのもので、本当にそれを実行しようとしていたんだとしたら……?」
そこまで考えた時、私は背筋に言いようのない悪寒が走っていくのを禁じ得なかった。それは、サイダーがこの「JUSTA」空間ではなく、それを司る「DEF」の世界そのものの一部になろうとしている、ということに他ならないからだ。
確かに、今この「DEF」に依存する若い世代が増加の一途を辿っていることが、大きな社会問題として議論されている。
だけど、私にとっては、そんな大人の議論よりも、大事な親友がこの「DEF」の世界に置き去りにされようとしているということの方がはるかに恐ろしかった。
「サイダーは、サイダーの精神は、きっとこの「DEF」の世界のどこかにいるんだわ。なんとしても探し出して、彼女から本当のことを聞かなくちゃ」
あるいは、サイダーが別の事件に巻き込まれ、その真相を隠蔽するために口封じをされた可能性もゼロではない。私はサイダーを探すため、そして彼女が消えた真相を突き止めるため、この「DEF」の世界の中枢に足を踏み入れる決意を固めた。




