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声変わり

 カーテンが一人でに開閉され、東方から来たる朝日が差し込んだ。再び始まりゆく今日の象徴として、容赦のない熱光線をギラつかせている。今日がやってきた。

 ぼんやりする思考回路をフルに稼働させて、現在行うべき最適解を算出する。培われてきた24年間の知識を総動員させ、時間4秒にしてその答えを導き出した。

 ふぅ…。視界を覆い尽くす闇の景色と共に、取り戻した平穏にその身を委ねる。顔に毛布が覆い被さる感覚が気持ち良い。外の世界から完全に遮断された絶対安置、あたかも母の胎内のようで温かく心地よい…。あぁ…。

 とっくに世界は営みを始めているというのに、俺はそれを否定する。寝起きの低血糖野郎に正常な判断ができるわけないでしょ。そもそも。


「・・・んぅ」


 暑っちぃ…10月某日。あの”夢”の後日。昨夜から訴える疲労感をなんとか振り払って体を起こす。

 睡眠時間は取れているはずなのに、妙に体が重い。やはり、昨晩見た夢の影響なのか。それはわからない、けど。変に現実味のある夢だった。いや、現実味なんて欠片もなかったか。

釈然としない気持ちのまま、俺はやっとこさ立ち上がる。起立性のめまいで足元はおぼつかなくなるも、そこは気合いだ。

 サイドテーブルに置かれている眼鏡を手に取り、ドアの取手に手をかける。当たり前だが、何度見ようと扉は壊れていなかった。

 視界に映し出されるスクリーンをボケーっと見ながら、リビングへと続く廊下を進む。まぁ所詮は一般的な家の廊下なので、すぐにリビングの扉の前に到着した。

 ─なんとなく、眼鏡を拭いておこうと思った。買ってから一週間も経てば、専用のシートなんて使わなくなる。俺は普通に、Tシャツの裾でメガネを拭いた。─さて。


「・・・」


 先ほどまでの自分を否定するように、躊躇なくドアの取手に手をかけた─。

 カーテン越しに照らされる朝日の輝きが部屋を柔らかく照らし、薄い木目調のフローリングが暖かな雰囲気を醸し出している。右にはふかふかなソファに木製のローテーブル、左にはシンプルなダイニングセットが配置されている。ソファに鎮座するヤドンのぬいぐるみも、生活感溢れるいいアクセントになっていた。


「おはよう〜」


 そして、その隣に彼女もまた腰掛けていた。


「おはよう」


 目の前の彼女はだらしない体勢でくつろぎながら、首だけをこちらに向けてそう言った。

 すらっとした体躯に、相も変わらないオーバーサイズのシャツ&ショートパンツ。カーデガンだって、その着こなしじゃ着ているかも怪しい。サラサラのショートボブを揺らしながら、やはり眠そうな垂れ目を宿している。今では、この場所にすっかりと馴染んでいる、彼女こそ藤宮その人だった。


「ねぇ、昨日驚くべき事実を知っちゃったんだよね」

「今月イチ」


 眠そうな表情はそのままに、口元は吊り上げながらそう呟く。今月イチか。


「何?」


「土橋はさ、フランケンシュタインって言われたらどんな姿を彷彿とする?」


「フランケンシュタインって…あれだろ?」


 醜く青白い肌をした巨漢で。身体中に縫い目があったり、釘とか刺さりまくってる。オレ、ニンゲン、コロス的なパワーキャラ。人造人間なんだっけか。


「うんうん、やっぱりそうなるよね」

「100点満点の回答だよ」

「でも実を言うと、フランケンシュタインというのはあくまでもそれ作った博士の方であって、怪物の方ではないんだって」


「えそうなの?」


 長年信じていたことが覆されるというのは、中々大きな驚きを孕むものだ。今月イチというのも分かるかもしれない。

 昨日映画でも見ていたんだろうか。映画とか漫画、無限に見れるもんなコイツ。漫画に至ってはバカみたいに読むの早いし。


「しかしフランケン然り、誤った認識のまま知られていることって多いよね」

「役不足に確信犯、姑息に破天荒」

「ニュアンス変わっちゃうけど、福沢諭吉の『学問のすゝめ』とか全く逆だし」

「人というのは”わかりやすい”に流されやすい生き物なのかねぇ」


 正直、後半の例えは全くもってピンと来なかったが、それは秘密にしておこう。質問したら最後、コイツが調子に乗るだけだ。向こうも何も考えてないだろうし、とりあえずそれっぽい回答をしよう。目には目を、歯には歯をだ。


「そうだな」

「まぁ、ここまで別の認識が浸透してるのなら、もうそれも正しいと言ってもいいかもしれないな」


「意味はちゃんとしてなきゃ駄目だよ〜」

「真逆の意味を持ってる言葉を認めちゃったら、意味わからなくなっちゃうでしょ」

「ん〜そうだなぁ、後は何かあるかなぁ...」

「目には目を、歯には歯を、とか...?」


「・・・」


「ん?どうしたの?」


「・・・もしかして、『誤って浸透してしまった言葉辞典』というものを出版したら、バカ売れするんじゃないか?」

「何十部も刷られることはもちろん、誤った認識を正してこの日本に貢献する」

「途轍もない、ビジネスチャンスなんじゃないか…?」


「・・・」

「そ、それだーッ!!」


「おいおい!夢広がっちゃうなぁ!」


「おいおい!」


 既出でした。


****


 後方から聞こえてくるテレビの音に耳を傾けながら、キッチンへ朝食作りに向かった。朝食作りといってもそんな大層なことではない。コーヒーを淹れて、パンを焼くだけだ。マーガリンやジャムも無し。これを毎日だ。流石に飽きてきて、口に運ぶ手が止まってしまう時もある。しかし、別の朝食を考えるくらいならと、パンを食べることをやめない。時間なら腐るほどあるというのに。マグカップが踊る電子レンジは、一定の低音をリビングに轟かせていた。


「っていうか、話は戻っちゃうんだけど、結局怪物の名前って何なんだ?」


「ん?作中でも特に名前は登場してなかったよ」


「あぁ、そうなの」


「可哀想だよねぇ、勝手に生み出されたと思えば、愛もなければ名前もない」

「うちで飼ってあげるとしたらそうだな…」

「名前のない怪物には、ジョンという名前をつけてあげよう」


「犬かよ」


「そこかよ」


 ちゃっかりEGOISTだし。


「名前は大事だよ、名前あって初めて人はこの世に生まれる事が出来るんだ」


 うんうんと頷いている様子を背後から感じられる。何にも考えていない時の空気だ。

 取り出したマグカップにコーヒーの粉を投入していると、オーブンの方も軽快な音を鳴らす。毎朝焼き続けた努力の結晶、絶妙な焼き加減なパンが姿を現した。二枚とも一つの皿に乗せて、テーブルに輸送する。朝食、完成だ。


「ドレッドノード」


「は?」


「かっこいい言葉対決」


「あぁ」


 ・・・いつものやつだ。大体の時間を共にしているせいか、俺らの会話に中身がないことが多い。もっとも、コイツに限ってはずっと前からこんな感じだったけど。カッコいい言葉ねぇ...。


「・・・」

「オブザーバー」


「カッコいい…意味は?」


「監視者・傍観者」


「カッコいい…」


 彼女は両腕で自らを抱きしめて、言の葉の響きに打ち震える。瞼を閉じて、その大海の如き導きに、その身を委ねるように。ゆらゆらと、揺れている。


「セントラルドグマ」


「ほぅ…」

「カタストロフィー」


「カッコいい…」

「・・・」


「・・・」


「エクス、キューショナー」


 死刑執行人。それは...。殿堂入りって、やつだろう…。俺は両腕で自らを抱きしめながら、言の葉の響きに酔う。

 マンションの一室には、両腕で自らを抱擁する2人がいた。


****


 食事の準備を済ませ、テレビの方に視界を向けながら席に着く。この日はいただきます、という文言を言い忘れていた。


 [2日午後、東京都渋谷区のIT企業オフィス内で、男性社員(38)が刃物で刺され死亡する事件が発生した。警視庁は、その場にいた同じ部署の男(31)を殺人容疑で現行犯逮捕した。

調べによると、2人は開発チームに所属しており、業務中の会議後に口論となりー]


「ひぇ〜怖いねぇ、こりゃ」

「その場に居合わせた人はトラウマ確定だ」

「まぁ、普通に考えて居なかったのか」


 彼女はあんぐりさせながら、大袈裟に顔を引かせていた。いつの間にか、向かいの席に腰掛けている。


「誰かが居たんじゃ止められるからな」

「だけど、止められたとしても、結局は殺人未遂」

「止められても止められなくても、どっちみち最悪、か」

「救われない話だな」


「そうだね〜」

「この人も、さっさと仕事なんて辞めればよかったのにね」

「嫌なことから逃げることが負けなわけがないんだし」

「それがきっと正解だったんだよ」


「・・・」

「そうかもな」


 [容疑者は真面目で口数の少ない人物として知られていたが、周囲との接触を避ける傾向があり、「最近は特に元気がなさそうだった」との声もある。

 会社側は「事態を重く受け止め、社内でのハラスメント調査を進める」としているが、ネット上では「氷山の一角ではないか」との批判もー]


「しかし、どうして包丁なんて持ってたんだろうね」


「うーん」

「給湯室から持ち込んだんじゃない?」


「あ〜そうかもね」


 その後も、特殊詐欺やインフラ問題、若者の恋愛忌避などのニュースがつらつらと流れてくる。

 今に始まった事ではないが、嫌な世の中だ。『動物園でパンダの双子誕生!!』みたいなニュースだけが流れればいいのに、世の中はどうも苦しみに溢れているらしい。コーヒーもいつもより苦い気がして、思わず顔を顰めた。


「ねぇ土橋、男の子って成長するにつれ喉仏が出てくるじゃん?」


 VRに依存する人々についての記事が流れていた最中、やけに強引に割り込んで彼女は言ってきた。喉仏?


「あぁ」


「喉仏というサインを拍子に、声変わりが始まる訳だ」


「うん」


「でも、声帯構造に差がない幼児期であっても、女児に比べて男児の方が声が低い傾向があるらしい」

「それは何故だかわかる?」


「・・・わからないな」

「声帯構造に差はないんだろ?」


「ほとんどね」

「答え言っちゃっていいよね?」

「うん、何故かっていうと、それは大人の真似事をしているからなんだって」


「大人の真似事?」


「そう、真似っこ」

「子供は両親を見ることで、父親は母親より声が低い、つまりは“男は声が低い”ということを認識するんだって」

「そして、なんでも吸収して模倣しちゃうから、男の子は女の子よりも少し低めに発声するってわけだ」

「だから女の子も同様に、気持ち高めに発声してるって言えるのかもしれないね」


「へ〜なるほどねぇ」


それは。知らなかったなぁ。


「話、続けるね」

「声に限らず、模倣していたもの、ことは、大人になっていくにつれ本物として取り込んでいくわけ」

「土橋だって父親のモノマネが上手くなったから声が低くなったなんて思わないでしょ?」


「そうだな」


「これはつまり、世の中に定められた”普通”が、人間の性格の大部分を形成したと言えるんだよ」

「そりゃ国民性っていうのが生まれるわけだよ」

「だって模倣する”普通”がそれぞれ違うんだもん」


「・・・そうだな」


「それじゃあ、自分っていうのは世の中にある普通をかき集めただけの演者にすぎないんじゃないかっていう話になるわけだよ」


「・・・」


「事実、私たちは大人の自分、部下の自分、両親の子としての自分といった感じで、複数の自分をシュミレーションしているわけで」

「これって、本当の自分ってなんだろう…?っていう今を生きる私達が真剣に検討するべき、自我に関する命題─」


「ちょ、ちょっと待て!」

「その話いつまで続く?」

「どう考えても難解になるだろ、それ」

「その、朝摂取するにはちょっとカロリーが高すぎるというか、サラダで慣らしたいというか」

「つまり…つまりは藤宮、お前は何が言いたいんだよ?」


 突拍子のない話題を振ってきた思えば、何の話をしてるんだコイツは。真似事?自我?急に自分とは何かなんて話されても、答えなんて咄嗟には出ない。自分ってなんだ?知らないよ、勝手に自分になってたよ。

 それにしても、藤宮はこちらから一切視線を逸さない。加えて、面持ちは真剣そのものだ。

・・・もしかして、そうなのか…?このタイミング。この瞬間。今この時が、俺の人生にとって重要な局面。ターニングポイントだというのか…?大きい。とてつもなく大きな。伏線…。

最早この緊迫とした空気の中、俺の耳にテレビの音なんて入る余地はなかった。


「つまり私が何を言いたいのかというと・・・」

「・・・」

「声変わりを迎える前のショタって、超シコいよねっていう話」


「・・・」


 いつの間にか、ニュースの時間は終わっていた

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