第7話 「”約束”と義理」
最近文字数が増えてきたなぁ…。
今回は冷たい印象があるかもしれない桐野が他の一面を見せてくれます。
「…だから、そこは…そう、それでいい」
私は先輩に教えてもらいながら問題集を進めていく。
と言っても。基本的には先輩が用意してくれたノートを参考にして、どうしてもわからないところは先輩に聞く。と言った感じだ。
先輩は人に教えたりした経験は無いと言っていたが、意外にも教え方は上手だった。ノートも綺麗にまとめられていて見やすく、私はスラスラと問題を解き進めていくことができた。
「ふう…」
ある程度進んだところで私は一息ついた。時計を見ると結構時間がたっている。それだけ集中していたということか…。
「…ホラ」
先輩がそう言ってティーカップに紅茶を注いでくれた。先輩はいつも私が来ると必ず紅茶を淹れるので今日はこれで2杯目になる。
「ありがとうございます」
私はそれに一緒に出されたミルクと砂糖をいれてかき混ぜ。ゆっくりと口に運ぶ。…うん、やっぱりおいしい。
ふと、先輩の方を見ると。先輩も紅茶を飲みながら手帳にシャーペンを走らせていた。
少し覗いてみると、相変わらずわけのわからない図形やアルファベットや記号や数字の羅列が書いてある。…いつも思うがいったいなんなのだろう?
「あの…先輩、前から思ってたんですけど…」
「何だ?」
先輩はそのままの体勢で答える。
「今はそのメモに何を書いてるんですか?」
そう聞いてみると先輩は「ふむ…」と少し考え込んで
「…簡単に言えば”心は人のどこにあるか”についての仮説だな」
…さすがに私にはついていけそうにない。でも少し興味があった私はそのまま先輩の話を聞いてみることにする。
「”心”は”感情”を生み出す。だから人間は機械とは違って自由に笑ったり怒ったりできるわけだが、その”心”ははたして人間のどこにあるのだろうか…それについて考えているところだ」
「はあ…」
先輩は手を止めずに続ける。
「ある人物は”心は人の脳の一部だ”と言った。”感情もまた、脳が発信する命令の一種だ”と…。確か…ああ、この本だ」
先輩は横に積まれている本から一冊取り出すと、パラパラとめくって目的のページを見つけ、その一文を私に見せてきた。…確かにそう書かれている。
「…もしかして先輩ってこの本の内容全部覚えてるんですか…?」
そんな疑問がふと頭に浮かんだので聞いてみると
「ああ、今開いている本はまだだが、周りに閉じて置いてある物は全て内容を一字一句記憶している」
そう言われて私は絶句した。
先輩は記憶力もすごいらしい。そんなことを思っていると
「ああ、言っておくが別に記憶力がいいわけではない。他に覚えることもなかったから余分に覚えられただけのことだ」
と、先輩は付け足した。…それでも十分すごいと思う。
それから残りの時間は先輩の話を聞いて過ごしたのだった。
翌日も放課後は図書倉庫で勉強していた。
日に日に迫ってくるテスト当日に向けて私は頑張っていた。
「先輩、ここがわからないんですけど…」
「ん…」
先輩は渋々といった様子でこちらにやってくる。
「ああ…そこはこれの応用だ。まず…」
それでもちゃんと教えてくれる先輩の厚意が私にはとても嬉しかった。
「あっ…つまり…」
「そう…それでいい」
「ありがとうございます!」
そういえば、前と違って自然と先輩と接することができていることに今更ながら気付いた。
やっぱりこうして勉強を教えてもらうというのは正解だったかもしれない。やっぱり変に意識せずに接することができるのは私としても嬉しかったから…。
「ふう…」
そうして、今日のノルマは達成した。先輩はそんな私にまた昨日のように紅茶を注いでくれた。
「ありがとうございます」
…うん、いつもの味。実はちょっと気に入りつつあるこの紅茶。茶葉はどこのものなんだろう?
(今度…聞いてみようかな?)
そんなことを考えつつ先輩のほうを見る。昨日と同じように自分も紅茶を新しく注いで飲んでいる。だが視線は手帳から外していないし、手も止めていない。
なんだかそんな光景が絵になる先輩だった。
「先輩」
そんな先輩に声をかける。
「…?」
先輩は顔だけこちらに向ける。
「明日と明後日もよろしくお願いしますっ!」
元気よく頭を下げてお願いする私。先輩はそんな私を見て
「…ああ…」
短く。それだけを口にしたのだった。
しかし、金曜日。私は学校に行けなかった。
木曜日にすこし調子が悪かったのだが、特に気にせずそのまま登校。いつものように図書倉庫で勉強後、テストも近いからとつい夜遅くまで勉強したら見事に体調を崩してしまったらしい。
最近、いろいろあってやっぱり疲れていたんだろう。もちろんそれでも無理した私に責任はあるのだが…。
「…ぅぅ」
熱もあるが、それほどひどくはない。土日は休みだから寝てればなんとか治るだろう。
(先輩に…悪いことしちゃったな…)
だけど、お父さんもお母さんも止めているし。何よりこんな状態で学校に行くなんて無茶なことなど自分が一番よくわかっている。先輩もそこまでして来られても迷惑だろう。
(…先輩には…月曜日ちゃんと謝っておこう…)
そう決めて、私の意識は落ちていった…───
〈Another Side〉
「ハァ…まったく…」
今日は珍しく来ないと思ったら、まさか体調を崩して休みとはな…。
それなら別に今日は彼女のことは放っておけばいいのだが、”彼女に勉強を教える”と約束した以上そういうわけにもいかなかった。だから俺は今図書倉庫での作業を早々に切り上げ、彼女の家に向かっていた。
家の住所は彼女の担任に聞いてある。先日彼女の忘れ物を届けるときに、”彼女がもうあの場所を通り過ぎていた場合”の対策として家に届けることも想定していた。
…まあ結局それも杞憂に終わったが、その時に聞いた住所がまさか今更役に立つとは…。
「…ここ、か」
しばらく歩いていると、地図の示す場所に到着した。表札にも”秋村”と表記されている。ここで間違いないようだ。
「ハァ…。まったく…また作業の時間が減ってしまった…」
最近彼女のせいで”自分の時間”が減ってきているな…などど思いながらインターフォンを押した。
しばらくして「はーい」という女性の声。…彼女の母親だろうか? いや、それにしては若すぎるような…。
…いや、そんなことを考えていても仕方がないか…。
「…秋村美月さんと同校の知人の桐野という者ですが…秋村美月さんはご在宅でしょうか?」
ごく平然に、俺はインターフォンに言った。
しばらくすると扉が開き、中から一人の女性が出てきた。母親にしては若い…姉だろうか?
「えっと…美月の友達?」
その女性は俺にそんなことを聞いてくる。…友達ではないな。
「…同校の一つ上の先輩で、秋村美月さんの知人です」
あくまで友人ではないということを強調しておく。
「えっと…美月に何か用?」
俺は鞄から彼女に見せていたノートを取り出すと。女性に見せた。
「…今日学校を休んだので、これを届けにきました」
女性はそれを見て「ちょっと待っててねっ」と言うと、扉の奥へと消えていった…。
〈Another Side Out〉
「ちょっと! 美月~~~!」
バァン!!
「ふぇっ!!??」
勢いよく扉が開かれ、眠っていた私はそれに驚いて飛び起きる。
「どういうことよ美月~~!?」
思いっきり肩を掴まれてゆさゆさと揺らされる。かなり気分が悪くなった。
「ちょっ! ちょっとやめてよお姉ちゃぁぁぁぁんっ!」
慌てて手を振り解く。さっきまで私を揺らしていた相手───私の姉はまだ落ち着いていないようだった。
姉は今年で大学生。ちょうど桐野先輩のひとつ上にあたる、のだが…どうしたんだろう?
「あの…どうしたの?」
私が聞くと、お姉ちゃんはすごい勢いで詰め寄ってきた。
「どうしたもこうしたもないよ! 今家に美月の知り合いが来てるの!」
知り合い? …真梨ちゃんがお見舞いにでも来てくれたのかな…? でも言ってなかったはずなんだけど…。
そんな私にお姉ちゃんは続ける
「それもすっごいかっこいい男の子! 美月の一つ上の先輩だって言ってたけど。いつあんな人と知り合ったのよ美月!!」
また揺すられる。…ん? かっこいい、男の子、一つ上の先輩……あぁっ!?
「桐野先輩!?」
「そう! 桐野って名前の人!」
私の叫びにお姉ちゃんが同意する。
「え…嘘!? 桐野先輩が家にっ!? 何でっ!?」
寝起きでいきなり桐野先輩の訪問。私はかなり混乱していた。まだちゃんと頭の中が整理できていない。
「なんか、美月にノートを届けに来たみたいだけど?」
「あっ…」
それでわかった。先輩、わざわざ届けに来てくれたんだ…。
「ホラ! 待たせてあるんだから早く!」
「えぇっ!? 何を!?」
「そんなだらしない格好で会うつもり? はやく身だしなみ整えないと!」
そう言って手鏡を差し出してくるお姉ちゃん。確かにこのままじゃちょっとだらしない。
「えっと~…」
私たちが慌てていたその時。
コンコン…。
部屋のドアがノックされ…。
『桐野だ。入るぞ』
聞きなれた先輩の声が聞こえ、ドアが開かれた…───
〈Another Side〉
───数分前…───
「ふむ…」
さっきの女性が扉の奥に消えて数分。勝手に入るわけにもいかず、俺はこうして門の前で待っていた。
…さすがに遅すぎるな…。俺がもう諦めてノートをポストに入れてそのまま帰ろうかと思ったとき。
「…あら、あなたは?」
扉が開かれ、中からさっきとは違う女性が出てきた。…今度は母親だろうか?
「…秋山美月さんの知人の桐野といいます。彼女にこれを届けに来たのですが…」
俺はさっきの女性にも言った用件を簡潔に話す。
「あら! 美月のお友達? ごめんなさいね待たせちゃって…どうぞ入って」
「はあ…失礼します」
俺は女性に促され、家の中に足を踏み入れた。…友達ではないと言っているんだが…。
「お邪魔します」
俺は言って靴を脱ぎ、廊下に上がった。
「それで…秋村さんは?」
「美月なら自分の部屋だと思うわよ? 階段を上がってすぐのとこ」
それだけ言って女性…彼女の母親は奥へと消えた…。勝手に行っていいということだろうか?
(無用心な…)
普通初対面の人間をここまで好きにさせるだろうか? …いや、今はどうでもいいことか…。
くだらない考えを振り払って、俺は階段を上って行った。2階に入ってすぐの扉、その奥から騒がしい声が聞こえる。さっきの女性と…彼女の声。
(ここか…)
見ると、”美月”と小さな看板があった。ここで間違いないようだ。
…二人は中でなにやら騒いでいるようだが…。面倒だ、さっさと渡して帰ろう。そう思った俺はノックをして
「桐野だ。入るぞ」
と断ってから扉を開いたのだった───
〈Another Side Out〉
『桐野だ。入るぞ』
「あっ…」
開かれたドアの先には、確かに桐野先輩がいた。
「先輩!? どうして…待たせてあるって!?」
外で待っているはずの桐野先輩がすぐ目の前にいる。それが私を混乱させた。
桐野先輩はそんな私たちにため息をつくと
「待っていたらキミの母親に入ってもいいと言われてな。邪魔するぞ」
そうして私の前まで来た先輩は私にノートを差し出してきた。
「あっ…これ…」
それは私が先輩に見せてもらっていたノートだった。
「体調を崩して休んだと聞いたからな…こうして届けに来た」
「あ…でも…どうして…」
そう聞く先輩は不思議そうな顔をして
「何を言っている? 勉強を教えてほしいと頼んだのはキミだろう。期間はテスト当日まで。まだ期間内だ」
「でも…───」
「どの道金曜日には渡しておくつもりだった。土日は流石に俺が直接教えることはできないからな」
私の言葉を遮って先輩が言う。そうか先輩…そこまで考えてくれてたんだ…。
「…体調は?」
「えっ? あっ…はい。少しマシになりました」
そう言って、笑顔で先輩に答える。
「…楽な時でいいから目を通しておけ。ただし無理はするな。ここで無理をして当日に登校できなかったらキミの努力は全て無駄になる。…もちろんここまでした俺の行動も全て…な」
「あっ…」
そうだ。せっかく先輩がここまでしてくれたんだから、ちゃんと元気にならないと…。
「ありがとうございますっ…これ、月曜日にお返ししますね…」
私はそう言ったが。先輩は
「ああ…別に遅れてもいい。何ならキミにやろう。そこには2年生で習う授業内容がすべてまとめられている…俺にはもう必要ないものだ…」
そんなことを言った。それを聞いた私は慌てて
「そんなっ…ちゃんとお返ししますっ」
と言った。先輩はそんな私を一瞥して
「…好きにしろ」
と、短く言った。
「…じゃあな」
先輩はそのまま踵を返す
「あっ…もう少しゆっくりしていっても…」
私は申し訳ないと思って呼び止めたが
「…病人が気を使うな。今は無理せず寝ていろ」
そう言って、お姉ちゃんに「お邪魔しました」と言うと先輩はそのまま帰っていった…。
(先輩…ありがとうございました…)
心の中でもう一度先輩にお礼を言った。
…その後、私は「彼とはどういう関係なのっ!?」と、お母さんとお姉ちゃんに散々質問攻めに遭ったのだった…。
桐野は別に冷たいわけではなくて、ただ”理屈っぽい”だけなんです。
実際はこうして一度交わした約束は必ず守ったりと律儀な一面もあります。
今回はそんな桐野の一面が感じられると嬉しいです。