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48話 律子先生

 始業式初日。時刻は8時。


「あー」


 静寂に包まれた教室。悠斗は一人机に突っ伏していた。


「……時間、間違えたか」


 普段は8時20分までに着席していれば良いのだが、今日は9時開始なのを忘れていたのだ。人気の感じない靴箱で遅刻したと勘違いして階段を駆け上った自分が恥ずかしい。


「……佐々木にからかわれるな」


 容易に想像できる未来を避けるように教室を出ると屋上へ向かう。あそこで時間を潰して、何食わぬ顔で教室に入ろう。そう考え階段を上がる。

 そして、屋上の扉をゆっくりと開けた。


「……ん?」


 紫煙を燻らせながら、フェンスに寄りかかる少女の姿が目に映る。それはよく知った人物だった。

 普段の陽気な姿とは裏腹に、表情は暗く荒んでいる。


「……あ」


 りっちゃんは悠斗に気がつくと、気まずそうに視線を逸らした。悠斗も何を話して良いかわからない。

 そんな沈黙が二人の間を流れた。彼女は静かに紫煙を燻らせている。


「……吸い始めたばかりなので、もうちょっと良いですかー?」

「別に良いけど……」


 りっちゃんの隣に立ち、その横顔を盗み見る。彼女のこんな表情は初めて見るかもしれない。

 いつも笑顔で元気で、悩みなんてなさそうな彼女が今、物憂げな表情を浮かべているのだ。


「先生だったんだな。ここでタバコ吸ってたの」

「……何の事ですか?」

「吸い殻残ってたぞ」


 彼女はバツが悪そうに視線を逸らした。やれやれと悠斗は溜息を吐く。

 あの吸い殻のせいで翔子に疑われた事もあったのだ。もっともあの吸い殻のおかげで仲良くなれたのだが。


「あはは……今は携帯灰皿持ち歩いてるので、大丈夫ですよー」

「学校で吸って良いのかよ?」

「いやー……柊君はなんでこんな早く学校に?」


 誤魔化すように笑顔で問いかけてきた。


「……時間、間違えたんだよ」

「そうだったんですね」


 憂鬱な表情で煙草を咥える。その横顔はやはりどこか暗い。


「なんかあったのか?」

「……学校が始まってしまいました」


 当たり前の事実に悠斗は頭を掻く。


「同じ毎日の繰り返し。忙しすぎるし、教頭には叱られるし、ストレスは溜まるし……はぁ」


 自虐的に笑うと、大きく溜息を吐き、火のついた煙草を咥える。そして、再び紫煙を燻らせた。


「なんか大変そうだな」

「柊君も大人になればわかるかもしれませんね」

「……先生見てるとわかりたくないけどな」

「教師になった頃は違ってたのですけどね」


 遠い目で空を見つめる。その目はどこか寂しそうだ。


「柊君達もあと1年と少しで卒業します。先生が教えた事なんて進路によっては忘れられちゃうって考えると虚しくになります」

「まあ、そうかもな」


 理科がこの先の人生で役立つかなんて、悠斗にはまだわからない。


「でも、りっちゃんとの思い出は忘れないぜ?旅行とかな」

「はは、それは先生としては失格ですね……何も教えれてませんから」


 また自嘲気味に笑うと、短くなった煙草を携帯灰皿に押しつける。


「教えてもらう事か……」

「柊君達より少しは長く生きてますからね」


 携帯灰皿を鞄に入れると、悠斗に向かって微笑んだ。その笑顔はやはりどこか寂しげだ。


「少し前にさ、幽霊が見えるって言ったよな?」

「……あぁ」


 コンビニでの出来事を思い出したのか、りっちゃんの笑顔が一瞬引きつる。


「見えなくなったんだよな」

「……それは悲しい事ですか?」

「……まあな」


 悠斗は苦笑いを浮かべた。


「なるほど。つまりその子は、柊君にしか見えていなかった特別な存在だったということですね?」

「ああ、先生は信じるか?」

「……」


 彼女は何かを考えるように沈黙する。


「あの時、証明できないものは存在しないと先生は言いましたよね?」

「ああ」

「あれは間違いです。正しくは肯定も否定もできないのが科学的な答えになります」


 悠斗の目を真っ直ぐに見つめるりっちゃん。


「だから、柊君が例え幽霊が見えていたとしてもおかしな事ではないですよ。対象が幽霊というだけで、科学の世界になれば自分にしか見えないものを追いかけている人はいっぱいいますからね」

「俺の話を信じるのか?」

「ええ、先生には見えませんが、柊君には見えていたんですよね?」


 悠斗は頷く。彼女は視線を外すと、空を眩しそうに見つめた。


「なら、先生から言える事は大事なのは自分に見えたものを信じる事です」

「……自分を信じるか」

「ふふっ、研究者って自分にしか見えないものを信じてますからね。他人から見えなくても存在すると信じて見つけ出すのが仕事なんですよ」


 りっちゃんは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。その笑顔を見ていると不思議と前向きになれる気がした。


「なんか初めて先生らしいって思えたわ」

「はは、先生なんですよー」


 悠斗の背中をバシバシと叩く。そして、大きく背伸びをした。それはいつものりっちゃんだ。


「我思う、故に我あり。この言葉を柊君に送りましょう」

「……どういう意味だ?」

「調べてみて下さいね」


 そう言うと香水を振り撒いて屋上から去って行く。その後ろ姿は小さく可愛い。


「あ、桜井さん」

「りっちゃん?」


 そして、意外な人物と入れ違うように姿を消すのだった。


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