45話 佐々木美奈
翌日。
「……暇だな」
悠斗はソファに寝転び、天井をボーっと眺めていた。ロボットアニメは最終回を迎え、エンドロールが流れている。
——馬鹿じゃないの?
翔子の言葉を思い出し自嘲する。自分にしか見えないあいりとの思い出話を一方的に語ってしまったのだ。
……あいつ、ほんと呆れた顔してたよなぁ
新規メッセージのない翔子とのラインをただ眺め、天井に手を伸ばす。この孤独な右手を握ってくれる人などいない。
——ほらね?ゆうちゃんはもう大丈夫
——あいりがいなくても大丈夫
広げた右手を眺めながら、空虚な時間だけが過ぎていく。
「……大丈夫じゃねぇよ」
小さな声で呟く。この胸に空いた穴をどうやって埋めたらいいのだろうか。
そんな時だった。左手に持つスマホが振動する。画面は『美奈』からの着信を知らせていた。
「……もしもし」
「やっほー、今家?」
「ああ、そうだけど」
ドンドン!
そう答えるのと同時に、玄関の扉を叩く音がリビングに響いた。こんな乱暴に扉を叩く人間と言えば……。
「開けてー!」
スマホと玄関から響く美奈の声。
「まじかよ……」
苦笑いを溢す悠斗。だが、その口元はどこか嬉しそうだった。喪失感で埋め尽くされていた室内に、光が差し込んで来たような気がしたからだ。
あの元気の塊のような美奈と顔を合わせれば、寂しさが紛れるのだろうか。悠斗は起き上がると玄関に向かい扉を開ける。
「よっ!」
そこには、満面の笑みを浮かべ、右手を上げる美奈が立っていた。いきなりの訪問に驚くが、その笑顔を見てまた苦笑する。
「一人か?」
「ん?そうだよ?おじゃましまーす」
彼女は玄関に入ると、迷う事なくリビングへ向かう。
……おい。
翔子といい、美奈といい、なぜこうも簡単に他人の家に上がり込めるのだろうか。そんな事を考えながらも、室内に消えた美奈の後をゆっくりと追った。
リビングに入ると、彼女はキョロキョロと部屋を見回している。
「なにしてんだ?」
「ん?柊が同棲してた子、帰ってきてるかなー?って」
「同棲ってなんだよ」
相変わらず突拍子のない発言に、思わずツッコミを入れる。
「へへ、翔ちゃんから聞いたよ?でもさ?中学生はないわぁ」
「……は?」
美奈の言葉に耳を疑った。翔子から何を聞いたのだろうか。確実に何か大きな勘違いをしているようだ。
「捕まる前に別れて良かったね」
「いや、そういうんじゃ……」
「あ、逃げられたとか?」
首を傾げ、からかうように笑う。
「翔からどんな話聞いたんだよ」
悠斗はめんどくさそうに問いかける。
「ん〜とね、中学生と別れて落ち込みすぎて、幽霊がどうとかで頭がおかしくなってるって感じ?」
「……」
大きな誤解だ。大きな誤解なのだが、翔子からはそう見えたのだろう。
「ねぇねぇ?写真とかプリクラとかないの?柊の好みに興味あるんだよね〜」
そう言いながら、勝手に部屋を物色している。
「……ねぇよ」
鏡にも映らなかったしな。
あるのは悠斗の記憶の中だけだ。
「ふぅ〜ん……あいりちゃんだっけ?」
「……ああ、そうだよ」
翔子が名前まで言っていたのか。
……あいつ、まじで何話したんだよ。
悠斗は溜息を吐きながら、頭を掻く。だが、美奈は胸ポケットの中から何かを差し出してきた。
「写真?」
それは一枚の集合写真だった。学生服を着た男女が八人。美奈とカレンの姿もある。ただ今よりも幼く見えた。
そして、その中に……。
「……あいり?」
悠斗は目を大きく見開く。美奈とカレンに挟まれ、小さくピースサインを作る黒髪の少女。あいりだ。
「……似てる子いたの?」
「似てるっていうか」
写真のあいりに、鏡に映らなかったあいりに指を差す。なぜ、ここに映っているのだろうか。
「ねぇ?そのあいりちゃんといつあったの?」
「……こっち戻ってからすぐ」
考えがまとまらない頭で、問いに答える。
「その前は?」
「その前?」
言葉の意味が理解できない。いや、理解したくても昔の記憶に霧がかっているのだ。
——また一緒に遊ぼうね、ゆうちゃん
だが、その靄を払うかのように、何かが一瞬頭を横切る。
「柊、これは?」
美奈はバックから写真を数枚取り出すと、テーブルの上に並べた。それは小さい女の子の写真。黒髪と桃色髪の幼い少女の写真だ。
「あ……」
——ゆうちゃん!
悠斗はこの黒髪の少女と昔、遊んでいた。
——ねぇ、柊
——なんだよ?
——他に遊んでた子覚えてる?
なぜ、忘れていたのだろう。幼いあいりと成長したあいりの写真を見比べる。なぜ、彼女は悠斗の知らないあいりで現れたのだろう。
「佐々木、どういう事だよ?」
「……ちょっと昔話しようか」
美奈はそう言うとゆっくりと語り始めた。
***
それは幼い悠斗が、この街を引っ越す前まで遡る昔の話。
——あいり~!遊ぼ!
——あのね、これから、ゆうちゃんと一緒に神社に探検行くの!
——え~!またあいつと~?
——うん。みーちゃんも一緒に行く?
——あたしはゲームしたいのに〜
——またにしよ?
幼い美奈は家でゲームをするのが好きで、あいりと二人で対戦する事が多かった。だから、『ゆうちゃん』と遊ぶ事もなく、ただ『デカいゆう』とだけ認識していた。
そんなある日。
——ゆうちゃん、いなくなっちゃった
あいりは悲しそうに美奈に呟いた。仲の良かった『ゆうちゃん』は引っ越したらしい。
——でもね?約束したの。また遊ぼうって。大人になったらまた会えるよね?って。
だから……。
あいりはそう呟くと、美奈に笑顔を見せる。
『ゆうちゃん』を知らない幼い美奈には他人事だった。逆にこれからは、あいりともっとゲームができる。ただそう考えていた。
それから数年の時が経ち……。二人の友情は小学校、中学校とずっと続いていた。その中には花蓮も加わり、毎日が楽しかった。
だが、中学二年のある日の事。あいりは重い病を患い、入院する事になる。
——なんであいりなの!?
教室の壁に拳を叩きつけ、泣きながら怒鳴る美奈。花蓮はそんな美奈を抱きしめながら、泣きたい気持ちを抑えていた。
あいりが入院して半年ほど経った。今日も美奈は彼女の病室に顔を出しに来ている。
あいりはベッドに横たわり、外を眺めていた。吊り下がった点滴に、腕に繋がれたチューブ。その姿を見ても、美奈は明るく振る舞った。
そうしなければいけないのだ。いつも元気で明るく、それがあいりの中の美奈なのだから。
「ゆうちゃん、また会いたいなぁ……」
窓の外を眺めながらポツリと呟く。夕暮れの空には珍しく風花が舞っていた。
「誰それ?」
「みーちゃん覚えてないの?ちっちゃい時、背の高い男の子いたでしょ?」
「うーん……いたような、いなかったような……」
美奈は首を傾げながら、過去の記憶を思い出そうとする。
「ゆうちゃんが引っ越した時、約束したの。また会おうねって」
「ゆうちゃんねぇ……。じゃあ、早いとこ病気治さなきゃね」
「うん!あいり、頑張る!」
あいりは笑うと、細い右手で美奈の手を弱々しく握った。それから数ヶ月後。彼女は帰らぬ人となってしまう。
葬儀場で、花蓮は泣き崩れていた。美奈も涙を流しながら、ただ立ち尽くしている。
棺の中に眠るあいりは、今にも目を覚ましそうなほど安らかに眠っていたのだ。その顔は、本当にただ眠っているようにしか見えなかったのだ。
そして、それ以降、美奈と花蓮の口からあいりの名前が出る事はなくなった。
***
「これが私が知ってるあいり……」
美奈は話を終えると、弱々しく笑う。そうしなければ、笑い飛ばさなければ、また涙が溢れてしまいそうだったから……。
「……あいり」
美奈の話を聞きながら、昔の記憶が鮮明に蘇ってくる。あいりは悠斗が引っ越した後も、ずっと悠斗の事を想ってくれていた。なのに、自分は忘れていた。
——忘れたままがいいよ、ゆうちゃん
「……そういう事かよ」
なぜもっと早く思い出せなかったのだろうか。頭を抱え、項垂れる。
なぜもっと彼女に優しくしてやれなかったのだろうか。なぜもっと彼女と思い出を作らなかったのだろうか。後悔ばかりが頭を過る。
美奈はそんな悠斗の背中を優しく撫でた。
「あの子、ドジだからお盆前に帰ってきたんだね……」
彼女はそう呟き、小さく笑った。




