44話 無気力
あれから何日経ったのだろうか。リビングのテレビには長編のロボットアニメが映し出されていた。
内容は頭に入ってこない。気を紛らわす為につけているだけなのだ。悠斗は無気力な瞳で、それをただ眺めていた。
——忘れたままがいいよ、ゆうちゃん
あの言葉が頭から離れない。自分が何を忘れているのだろうか。
——全部思い出しちゃったんだ
彼女も何かを忘れていたのだろうか。
「……わけわかんねーよ」
そう呟くとスマホを触る。だが、真っ暗な画面に自分の顔が映るだけ。どうやら充電する事すら忘れていたようだ。
「充電は……寝室か」
重い腰を上げ、のそのそとした足取りで寝室に向かうと、スマホを充電器に繋ぐ。最後にスマホを触ったのはいつだっただろうか。
そんな事をぼんやりと考えていた時だった。
ピンポーン!
不意にインターホンが鳴る。悠斗はリビングのモニターを見た。そこには翔子の姿。
「悠斗?いないの?」
モニター越しに不機嫌そうな声が聞こえる。
「いるよ」
通話ボタンを押してそう答えると、廊下に出て玄関の扉を開いた。
「遅い。早く開けなよ」
「……はは、珍しいな」
彼女は不満そうに睨んでいる。乾いた笑いで対応するが、ズカズカと家に上がり込んできた。
そして、リビングのソファに腰掛ける。
「なに?アニメに夢中で返信返さなかったの?」
「返信?」
「ラインの」
……あぁ。
充電の切れたスマホを見て、悠斗は面倒臭そうに頭を掻く。
「いや、そういうわけじゃないんだけど、充電切れてた」
「メッセ、二日前に送ったのに?」
翔子がスマホの画面を突きつける。そこには、悠斗とのトーク履歴が映し出されていた。
「ちょっと色々あってな」
バツが悪そうにまた頭を掻く。翔子はそんな姿に疑いの目を向けた。
「なに色々って?ダンジョン行くって約束したじゃん?」
トーク履歴には悠斗の空返事のスタンプが表示されていた。もちろん悠斗の記憶にはない。そんな表情を察してか、翔子の顔が険しくなる。
「……わりぃ」
「……ジュース頂戴」
不機嫌そうにそう呟いた。悠斗は冷蔵庫を開けると、オレンジジュースのペットボトルをテーブルの上に置く。
「これ面白い?」
翔子はテレビに映るロボットアニメを見て、首を傾げた。正直、内容もろくに理解していない。ただ惰性で流しているだけだ。
「流してるだけだよ」
「ふーん」
テーブルに置かれたオレンジジュースを一口飲むと、悠斗をジッと見つめる。
「……なんか悩んでるの?」
「え?」
「面白くもないアニメ見てるって変じゃん」
悠斗の顔をマジマジと見つめてきた。そんな彼女にどう答えるべきか。言葉に詰まる。
「悩んでるっていうか……」
「じゃあ、なに?」
食い気味に問いかける。その勢いに悠斗は後ずさった。
「……なぁ、幽霊だか幻覚だかわからないものが見えてたって言ったらどうする?」
悠斗は恐る恐る問いかける。
「……病院行く?」
真顔で首を傾ける翔子。
「はは、だよなぁ」
悠斗は力なく笑う。完全に病気扱いだ。それはそうだろう。悠斗だって、そんな話を聞けば病院に行く事を勧める。
だが、翔子は笑う事なく心配そうな表情で見つめていた。
「どんなのが見えたの?」
「どんなのって……黒髪の女の子だよ」
「……日本人形みたいなやつ?」
翔子の表情が強張る。だが、そんなホラー要素は一切なく、むしろ癒しのような存在だった。翔子の問いかけに首を横に振る。
「いや、あいりって言う中学生くらいの女の子」
「……あいり?」
「ああ、子供っぽいやつでさ。ついこの前までこの部屋にいたんだ……」
その返答に彼女の顔が曇る。だが、そんな様子に気付く事なく、話を続けた。
一緒に出かけた事。一日中リビングで映画を見ていた事。彼女は黙って聞いていたが、その表情は呆れていた。
「……そいつがさ、もう見えなくなったんだ」
そんな姿に気づかず、悠斗は弱々しい声色で話を締め括ると、翔子は大きく溜息を吐いた。
「悠斗、やっぱ病院行った方がいいよ」
「……」
立ち上がり、玄関に向かう翔子。その背中がどこか寂しそうに見える。
「馬鹿じゃないの?」
そう吐き捨てると、玄関の扉を強く閉めて出て行った。
「……だよなぁ」
当たり前の反応。少し考えればわかる事だ。自分にしか見えないものを他人に共感してもらうなど不可能に近いのだ。
肩を落とし、もう一度ソファに深く座り直す。テレビに流れるアニメの音だけが虚しく響いていた。




