そして主人公はいなくなった
俺とミカは追い詰められた。
廃病院に肝試しなんかに来るんじゃなかった。こんなことになるなんて!
改造ゾンビ『ブリューゲロ』の群れが、綺麗な歩き方で、無表情に俺たちを袋小路に追い詰める。
「ミカ! ユーヤ! こっちだ!」
天井から救いの声がした。
天井板につけられた正方形の扉を開けて、カズユキが俺たちに手を伸ばしてくれる。
「ミカ! 先に行け! 俺は大丈夫だ!」
ミカがカズユキの手を掴み、引っ張り上げられる。俺はその尻を押してやった。
その間にブリューゲロたちは見下すような冷たい目を俺に向けながら、近づいてくる。
だが大丈夫だ。なぜなら俺はこの小説の主人公なのだから。主人公補正がある。やられることは絶対にないのだ。
改造ゾンビ『ブリューゲロ』はマッドサイエンティストのなんとか博士が造りだした自律行動する死体だ。とはいえ人間好みに改造されてあるので、見た目は生きてる人間以上に綺麗で、臭くもない。
死人なので表情はまったくないが、芸能人並みに綺麗なマネキンのようなその容姿を眺めながら、俺は気持ち悪い思いをすることも特になかった。薄暗い廃病院の廊下にアトラクションでも眺めているような気分だ。
ブリューゲロたちは俺の前で立ち止まると、一斉にゲロを吐きはじめた。デロデロデロと、ゲロを吐きはじめた。ふつうのホラーなら汚らしいシーンになるところだが、そのゲロもおぞましい色ではなく、カラフルだ。主にパステルカラーで彩られていた。
「ユーヤ! ミカは無事引き上げたぞ!」
天井からカズユキが俺に声をかける。
「早く来い! 何のんびりとゾンビのゲロなんか眺めてやがんだ!」
「俺は主人公だぜ? やられるわけないだろ」
余裕たっぷりに、俺は言った。
「なんなら今ここでこのゾンビども全員やっつけてみせてやろうか?」
パキョッと骨の折れる音を立てて、俺の首が90度曲がった。
ブリューゲロたちは俺の周りに群がると、綺麗な歯並びのその口を開き、奪い合うように俺の脳味噌を喰らいはじめた。
「あーあ……。これだから主人公妄想癖のやつは……」
カズユキの声が聞こえる。
「主人公なんてこの世にいないっての。強いていうなら行動力と勇気を併せ持ったこの俺こそが主人公ってとこかな」
いや、おかしいだろう。これ、語り手は俺なんだぜ?
「二人称小説というのもあるのよ」
ミカの声が聞こえた。
「あなたが描いてる誰かこそがじつは主人公みたいな。たとえば夏目漱石の『こころ』の主人公は『先生』であるようにね。つまり、この小説の主人公は、あたしなの」
いや、だって、俺が死んだら誰がこの物語を語るんだ?
「わしが代わってやろう」
マッドサイエンティストのなんとか博士が現れた。
「途中で語り手が交代するなんて、なろうではよくあることじゃ」
俺は、死んだ。
「さあ! ブリューゲロどもよ! わしをバカにした人類を喰い尽くせ!」
わしは天井に隠れた男女を指さし、ブリューゲロどもに命じた。しかしうっかり忘れておった。ブリューゲロは無差別に人間を襲い、その脳味噌を喰らう、理性のない化け物じゃ。ゆえに『創造主だけは襲わない』などというプログラムは設定しておらんかった。
わしは、喰われた。
カズユキに手を引かれて、あたしは天井裏を走った。
「カズユキ! 脱出経路はわかってるの?」
「安心しろ、ミカ! 俺は行動力と勇気を併せ持った主人公だ! でも──」
天井板をカズユキの足が突き破った。
どうやら行動力と勇気はあっても、知能は併せ持ってなかったみたい。
バカみたいに全力で天井裏を走ったので、その足が思い切り天井板を割って、下の廊下へ二人で落ちた。
「あっ」
「おっ」
「うふっ」
そんな嬉しそうな声とともに、無表情のブリューゲロどもが一斉にあたしたちを振り返った。足が折れていて、あたしは動けなかった。
あたしは、食べられた。
「ふー……。やはり、唯一残ったこのカズユキさまが主人公だったってわけか」
俺は近くにあった消火器を手に持つと、ブリューゲロどもに言ってやった。
「そうでないならおまえらが主人公だったということになるが……、ゾンビが主人公だなんてあり得ないよな? 俺はここを生きて出るぞ!」
消火器の安全ピンを抜き、レバーを握った。
ゾンビは消火器から出るアレが弱点で、コレを喰らえばひとたまりもないという設定だ、たぶん。
何も出なかった。
使用期限を確かめると、30年以上過ぎていた。だってここ、廃病院だもんな。ハハハ……
俺は、喰われた。
ぞんび、ぞんに、ぞんひー
あうれりゃにゃ、みひひひし、いとあはれ
喰う、喰う、喰う……
喰うものない……
なふなった!
ともぐい! ともぐい!
ブリュッ、ブリュッ! ゲロッ、ゲロッ!
そして誰もいなくなった。