9.炎の加護の陰謀
時は、ロミアがパーティー会場を追い出される直前。
各家への挨拶回りをしていた伯爵家当主のダリオスは、今夜の主役であるレド公爵令息の元へ、大慌てで駆け付けた。
何やら騒がしいとは思っていたが、まさか自分の娘がパーティーに紛れ込んだ不審者扱いされているとは、まるで予想もしていなかった。
警備を務める公爵家の騎士達に引きずり出されていくロミアは、父のダリオスに必死に助けを求めていた……が、公衆の面前で手を差し伸べる訳にはいかない。
こんな目立つ状況で彼女がアリスティア家の関係者だと知られれば、変な噂が立つに決まっているからだ。
今日のロミアはまだ見られる格好になっていた……はずだったのだが、普段から見目麗しい淑女達を見ているレドからすれば、ロミアは色とりどりの宝石の中に紛れた砂利でしかなかった。
今日は二人の単なる顔合わせのつもりでいたダリオスは、もっとロミアの身なりを整えておくべきだったと、今更ながらに激しく後悔する。
結局ダリオスもダリアも、ロミアが追い出されてからは彼女とは他人のふりをし続けていた。
あのような追い出され方をした娘が身内であるとは、とてもではないが言い出せる空気ではなかったのもあるのだが……。
けれども、ロミアがダリオスとダリアに付き従っていた様子を見ていた者は居るはずである。
しかし、後からロミアとの関係性が発覚して、何者かがその事実を告げ口した場合、公爵家との仲に亀裂が入るのもよろしくない。
「お父様……」
「ああ……こうなっては、もう仕方があるまいな」
ダリオスはパーティーがお開きになってから、ダリアと共に改めてパレンツァン公爵と子息のレドに顔を出す事にした。
「おやおや、ダリオス伯爵ではございませんか。どうやら今夜の雪は、次第に強くなる可能性があるらしい。貴公も雪が積もる前に、お早く帰路につかれた方が宜しいのでは?」
「ご機嫌よう、パレンツァン公。まさかパーティー中に、ここまで本格的に降りだしていたとは驚きました。それから改めまして、本日はとてもめでたい日でありましたな、レド殿! あー、ところで……少々お時間を頂戴致したく──」
と、会場である大広間から他の貴族達が出払ったのを確認するダリオス。
「今日のパーティーの序盤、妙な小娘がつまみ出された件がありましたが……誠に申し訳が無い。あの娘は、我が一族の末端であった夫婦の遺児でしてな。悲惨な事故だったので哀れに思い、我が家で引き取ったのですが……」
「あの時の小汚い……ンンッ、失敬。アンティーク風のドレスを着た女性が、本当に伯爵家の関係者だったとは……」
ダリオスの言葉を聞いて、目を丸くしたレド。
隣に立つ公爵も、レドほどではないが驚いているようだった。
「あの娘は幼い頃から身体が弱く、このような場に出る機会が無かったものでして……。ここ数年でようやく人並みの健康体になったので、娘のダリアの付き人として、社交界での経験を積ませてやろうと思ったのです。……しかし、あのような形で素晴らしいパーティーに泥を塗る事になってしまい、何とお詫びすれば良いものかと」
嘘と真実を織り交ぜつつ語るダリオス。
その言葉を聞いた公爵とレドは、ちらりと意味深な視線を交わす。
「……あの女性は、本当にアリスティア家の遠縁の娘なのですね? 炎の加護の血脈の……」
「え、ええ……一応は」
改めてロミアの出生を尋ねるパレンツァン公に対し、ダリオスは戸惑いながらも頷いた。
「失礼ながらダリオス伯爵、貴公の領地は近年作物の不作が続き、財政が厳しいと聞き及んでおります。そこで一つ提案なのですが……アリスティア領のへ資金援助と、近々決定する姫付きの護衛騎士に、そちらのご令嬢を推薦させて頂きたいのです」
「そっ、それはありがたいお話ですが……!」
「その代わりに、件の娘を我が息子の後妻にお迎えしたい。悪い話ではないでしょう?」
邪魔なロミアを差し出せば、公爵家からの援助とダリアの明るい将来が手に入る。妹の学費も賄える。
元からロミアを売り込むつもりだったダリオスからすれば、向こうからの提案は願ったり叶ったりだった。
ロミアのドレスがボロだったのも、伯爵家に使用人が一人しか居ないのも、全ては領地の経営難が原因なのだ。
更に、前々から良くない噂が囁かれていた公爵家の秘密が事実であった事に、ダリオスはほっと胸を撫で下ろしていた。
……しかし、ロミアは属性無しの出来損ない。
伯爵家と同じ炎属性の魔力の加護を求めるパレンツァン家に嫁がせたとしても、生まれた子供が必ずしも炎の加護を授かるとは限らないのだ。
ダリオスがどうしたものかと黙り込んで悩んでいると、公爵が声をひそめて、耳元でひそひそと囁いた。
「……貴公が今すぐにでも【命の誓い】を立てて下さるのでしたら、そちらへの資金援助はお望みの額を確約致しましょう。如何ですかな?」
「……っ、その約束……決して違たがえませんな……?」
「ええ。文字通り、この命を懸けますとも」
いつの間にかびっしょりと汗をかいていたダリオスの額から、ツーッと汗が流れ落ちる。
その後、アリスティアとパレンツァンの両家当主は、別室で【命の誓い】を交わした。
命の誓いとは、その契約の内容を破られた側は、任意のタイミングで相手の命を奪えるようになる魔術的な契約だ。
その内容は、こうだ。
『伯爵家当主ダリオスは、ロミアをレドの妻とする事。
並びに、公爵家の血の秘密を外部に漏らさない事。
公爵家当主セリオールは、ロミアを一族に迎え入れる引き換えに、公爵家への希望額通りの資金援助、及びダリアを王女付きの護衛騎士に推薦する事。
並びに、伯爵家の血の秘密を外部に漏らさない事。
これをどちらか一方が反故にした場合、その命を以って償うべし』
この契約によって、一夜にしてロミアとレドの婚約が成立する事となったのだった。
両家の当主が自らの命を賭してまでこの婚約を取り決めたのには、理由があった。
アリスティア家は、資金援助とダリアの出世の為に。
そしてシルリス御三家のパレンツァン家は……強力な炎の加護を持った男児を得る為に。
その為にダリオスは、ロミアが暫定的には実の娘であり、炎の加護を持っていない事──もしかしたら、妻のマリゴルドが不貞を働いている可能性を打ち明けた。
それを聞いた公爵も、数代前の当主が血脈を裏切ったせいで、炎の加護以外を持つ子も生まれてしまう血筋になってしまった事を改めて明かしたのである。
運が良ければ、望んだ男児が生まれるまで十月十日。
だが生まれたのが女児だったり、炎以外の加護だったなら……その子供は殺して、また次の子をロミアに産ませる……。
これから公爵家へ嫁ぐ事になるロミアには、地獄の日々が待ち受けているのだった。
ダリアやアカシアのような真っ当な生まれの令嬢には、こんな過酷で非道な扱いをする訳にはいかない。
それこそ命の誓いでも立てなければ、実家に逃げられて秘密を暴露されてしまう危険があった。
だからこそ、まともな実子扱いをされていないロミアという存在が、公爵家にとってはとても都合の良い母体だった。
娘を差し出す側のダリオスとしても、罪悪感の無い取引になるからだ。
長年放置していた娘を拾って明け渡すだけで、ダリオスとしても余りあるメリットがある。
こんな形で資金援助が得られるのだから、あれから十九年経った今、ようやく伯爵家の【いらない子】だったロミアが役に立つ日がやって来たのかと、心底晴れやかな気分になった。
「ロミア嬢……でしたか。彼女はダリア嬢には遥かに見劣りする娘でしたが、薄暗いベッドの上では些細な問題ですかね?」
「ハハッ、違いありませんなぁ!」
そう言って笑い合うレドとダリオスの姿を、姉のダリアは黙って眺めていた。
金の為にひたすら子供を産み続ける役目を押し付けられるのが、自分や妹のアカシアではなく、ロミアとなった事を安堵しながら──
ただし、この場で顔を突き合わせている者達は、誰一人として気付いていない。
ここで交わされたおぞましい契約が、【氷獣の帝王】と畏怖される若き皇帝の忠実なるメイドに盗聴されていた事を──。