8.運命は動き出す
それから私は、ジュリと名乗った彼の乗って来た馬車の中で、家の名前を伏せて事情を話した。
もちろん、『無闇にこの話を言いふらさないように』と約束をして。
いくら何でも、初対面の相手に伯爵家の名前を出すのは流石にね……。
多分貴族であるはずのジュリ様に話したのは、私は貴族の生まれであるらしい事。
つい最近まで養子に出されていて、物心付いた頃から平民として暮らしていた事。
子供の頃は病弱だったらしく、昔はほとんど家の中で引きこもって暮らしていた事。
最後に育て親が亡くなったのを機に、実家に戻って来た事なんかをざっくりと説明した。
ただ、話をした後からジュリ様の様子が落ち着かない様子なのが気になる。
……もしかして、ルーシア商会の事を知っていたりしたのかしら?
「そう、か……。育て親を亡くしたばかりだったんだな。きっと辛い事だったろうに、無理に思い出させるような事をさせてしまってすまない」
そう言って、申し訳無さそうに眉を下げる彼。
「いえ、お気になさらないで下さい。こちらこそ、こんなつまらない身の上話を最後まで聞いて頂いて、ありがとうございます。ジュリ様は……お優しい方なんですね」
「……いや、誰にでも優しくする訳じゃないさ」
「そうでしょうか?」
「そうだとも。……それにしても、ロミア嬢を会場から追い出した男が問題だ。うちの領土ほどではないにしても、こんな夜風が冷たい晩に、女性を外に放り出すとはな」
私の話を聞いたジュリ様は、まるで自分の事のように親身になって話を聞いて下さった。
それにやはり、彼はどこかの領地を治める貴族であるらしい。
「あっ……ところでジュリ様は、レド様の誕生日パーティーに出席なさらなくてもよろしいのですか? もうパーティーは始まってしまっていますが……」
「別に構いやしないさ。そこまで縁深い間柄でも無いし、少し顔を出したら帰るつもりでいたからな。それに、向こうにも遅参する旨は伝えてある」
という事は、彼が家を代表して参加しに来たのだろう。
外見からして私よりも何歳か上に見えるものの、まだ年若い彼は、既に爵位を継いでいる立場なのかもしれない。
……そういえば、結局例の皇帝陛下の顔も見られなかったなぁ。
あんな事にならなければ、今頃よその国のトップに会えたかもしれなかったのに。
……とはいえ、目の前の彼も一国の王子だと言われても納得してしまう美しさだった。
絹糸のように真っ白で美しいさらさらの髪に、甘く深い色を宿したスミレの瞳のジュリ様。
身に付けた礼服も一目で分かる質の良さで、今も念の為にと羽織らせてもらっている外套も肌触りが滑らかだ。
そのお召し物、合計おいくらなんです……?
おまけに両耳には、小ぶりながらも純度の高そうな青い魔石のピアスが輝いている。
それに……これは香水だろうか。
ほんのりと漂う重めの上品な花のような、心地良い香り。
それがまるで、私の身も心も包んでくれていた。
彼から向けられる優しい視線も相まって、ふわふわとした気分になって……どうも落ち着かない。
胸の奥がキュッと苦しくなって、けれどもそれが心地良くもあるような、曖昧な感覚。
こんなの……生まれて初めてだった。
「それよりも、貴女をどうするかの方が優先だ」
「えっ……私を、ですか……?」
ジュリ様の言葉に意識が引き寄せられ、そういえば事態は何も改善されていなかった事を思い出す。
さっき飲んだお酒のせいなのか、浮かれてしまっているのかもしれない。
「先程の話から察するに、公爵家のパーティーが終わるまで、貴女の父君と姉君は戻って来ない。となると、徒歩では家に帰る事も出来ないだろう?」
「……そう、ですね」
「それなら時間はまだあるし、貴女の家の近くまで送らせてくれないだろうか? ……勿論、ロミア嬢が嫌でなければだが」
「い、嫌だなんてとんでもありません! むしろ、戻って来たお父様達とどんな顔をして帰れば良いのか分からないので、とても助かります!」
私が慌ててそう言うと、ジュリ様は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ……そうか。ならば早速、馬車を向かわせなければな」
私はすぐにジュリ様の御者に行き先を伝え、私達を乗せた馬車はアリスティア領へ向けて動き始めた。
「向こうに着くまで、何か雑談でもしようか」
何を話そうか……と顎に手を当てて考えるジュリ様。
その些細な仕草ですら画になる彼は、社交界に出ればあらゆる女性達の視線を独り占めする美貌を備えていた。
更には初対面の私にこんなにも親切に接してくれる優しさまでもを持ち合わせているのだから、『天は二物を与えず』という言葉は間違いだと断言出来る。
「……そうだな。ロミア嬢は、読書は好きか?」
「はい。昔は病弱だったせいで、家の外にはあまり出られなかったので、自然と本を読むようになりました」
「……どんな本が好きなんだ? 俺は趣味と実益を兼ねてだが、魔物の討伐記や武芸書を読むのが多いな。子供の頃は冒険譚も好きで、今でもよく集めている」
「私は……ジュリ様に比べるとかなり子供っぽいですが、今でも大切にしている絵本があるんです」
「絵本……? それは、どんなものだ?」
こんな事を言ったら笑われてしまうかもな、と思って打ち明けた絵本の話題に、思いのほか食い付いてくるジュリ様。
私はその内容を思い出しながら、分かりやすいようにあらすじを伝える。
「ええと……群れからはぐれて独りぼっちだった子供の狼が、人間の子供と友達になるんです。その狼が大きくなって、人間の村を盗賊から救うお話なんです。けれども狼は、その強さを恐れた村の大人達に撃ち殺されてしまって……。その狼の幽霊が怨霊となって、友達だった子供を呪ってしまう。可哀想なお話なんです」
「……それが、ロミアにとって大切な絵本なのか?」
「はい。絵本の内容はとても悲しい物語ですけれど、村の大人達が狼の事を受け入れてあげていれば、狼は村の守り神になっていたんじゃないかと思うんです」
「……そう、か」
「その絵本は、私が物心付く前から持っていたものだと母が……育ての母が言っていました。私にとって、あの絵本は大切な宝物なんです」
私がそう言うと、ジュリ様は突然こんな事を問い掛けて来た。
「……その絵本は、誰かに貰った品ではなかったか?」
そう言われて考えてみるも、特に思い当たる節は無い。
物心付く前から持っていたのだから、養子に出される以前に伯爵から買い与えられた物だった……と考えるのが自然だろうけれど、どうしてジュリ様はいきなりそんな事を質問してきたのだろう。
「……ごめんなさい。私、小さい頃の事は記憶が曖昧なんです。最近まで、自分が貴族の生まれだったという事すら知らないまま育ってきたものですから……」
「いや、分からないなら仕方が無いさ」
そうは言ってくれたものの、どこか残念そうな表情の彼。
あの絵本の事で何か気になる要素があったのだろうけれど、力になれなくて申し訳が無かった。
それからまた話題を変えて、ジュリ様と色々な話をした。
ジュリ様が日頃から鍛えている事や、私が趣味で庭に薬草畑を作っていた事だとか、それはもう沢山お喋りをして。
そうしてもう少しすればアリスティア領に入るというところで、ジュリ様の纏う空気が変わった気がした。
「……どうしました?」
急に会話がパタリと止んだので、思わずそう訊ねると、
「……なあ、本当にこのまま伯爵家に戻っても良いのか?」
「えっ……?」
“伯爵家に戻っても良いのか”と──
聞き間違いでないのなら、彼は確かにそう口にした。
目を丸くするしかない私に、ジュリ様は改めて私に問い掛ける。
「……君が読書を好きな事。幼少期に身体が弱かった事。そして──帝国でしか販売されていないはずの“ひとりぼっちの狼の子”の絵本を持っている事。そのどれもが、俺のよく知る少女の特徴と一致しているんだ」
「帝国でしか売られていない……っ、まさか貴方は!」
今夜のパーティーの出席者。
主役のレドと面識がある。
帝国の絵本。
それらのキーワードから弾き出された人物像が、出発前にお父様から聞かされたあの話と一致する。
「……俺の本当の名は、ジュリウス。ヴィルザード帝国の皇帝、ジュリウス・デジール・エスペランスだ」
「貴方が……まさか、皇帝陛下だったなんて……!」
「驚かせてしまって申し訳無い。本当に、今夜のパーティーには一瞬だけ顔を出す程度で済ませるはずだったから……。レド先輩にだけ、別室で直接祝いの品と言葉を贈らせてもらう予定だったんだ」
そう言って、本当に申し訳無さそうに眉を下げて謝るジュリ様──ジュリウス陛下。
「……実を言うと、レド先輩には以前から怪しい噂があってな。その調査をさせていた過程で、つい先程報告が上がった」
「報告って……馬車の中なのに、どうやって……」
私の疑問に、陛下は少し髪を掻き上げ、自身の耳元で輝くピアスをこちらに見せる。
「これは少々特別な品でな。魔石に宿る魔力を利用して、遠方からの声を届ける仕組みになっているアクセサリーなんだ」
「そんな綺麗で実用的な魔道具があるだなんて、帝国って凄いんですね!」
「ふふっ、ありがとう。あいつもそれを聞いたら、きっと喜んでくれるだろう。……その報告によれば、つい先程ダリオス伯爵と公爵の密会があったそうだ」
「お父様と、公爵様の……?」
首を傾げる私に、ジュリウス陛下が険しい表情を浮かべてこう言った。
「……どうやら君の実父は、君をとんでもない条件で政略結婚の道具にするつもりらしい」