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4.ある少女の決意

 夜には帰って来るというアリスティア伯爵夫妻の帰宅を待ちつつ、私は物置きで調達した品々を部屋に運び込んだ。

 古い箒と、ボロ布を畳んで雑巾代わりに。それから木桶があったので、基本的にはそれらを使って室内を清掃していく。


「それにしても……本当にっ、全然掃除してなかったのね……!」


 机の上は勿論の事、窓の木枠にもたっぷりと埃が積もっていた。

 窓を開けながら掃除はしているものの、あまりにも埃が凄いものだから、時折外の空気を吸って休憩を挟まないとやってられない場面もあったり。

 

 商会に居た頃は日々の掃除も積極的に行っていた。

 しかし、慣れた作業ではありつつも、ここまで酷い状態の場所を担当した経験は無い。

 けれども私の部屋自体はそこまで広いわけではなかったので、今日中には確実に終わらせるつもりだ。




 *




「ふぅ……。そろそろ桶の水を取り替えた方が良さそうね」


 何度も埃だらけの場所を拭き続けた雑巾を洗った水は、桶の中ですっかりと黒みを帯びてしまっていた。

 まだ少し拭き残しがある為、仕上げついでに綺麗な水に取り替えてこようと桶を抱え、片手で扉を開けたその時──


 ガタッと何かにぶつかった感覚に驚きながら、廊下の先に立っていた人物を見ると……そこには、ドアをノックしようと手を伸ばしていたらしいカミラの険しい顔があるではないか。


「ごっ、ごめんなさい! まさか貴女がそこに居るとは思わなくて、その……」

「……いえ。私も、ロミア様がこのタイミングで部屋から出て来られるとは想定していませんでしたので」


 言いながら、カミラはちらりと私越しに室内へと目を向ける。

 彼女は、少し意外そうな表情で目を見開いた。


「……本当に、掃除をなさっていたのですね。ずっと、貴女お一人で……」

「これからここでお世話になる事だし、自分で出来る事ならやりたいからね。カミラも急に私なんかが来たせいで、ただでさえ元から忙しいっていうのに」


 それに、私なんてお嬢様ってガラじゃないもの。

 苦笑いしながらそう答えると、カミラは誰に聞かせるでもないような小さな声で「似てる……」と呟いた。


 似てるって、誰に?

 とは思ったものの、あまり仲良くもないうちからグイグイ話しに行けるような度胸も無い。

 ならば話題を逸らそうと、


「そういえば、カミラは私に用があったの?」


 と問えば、彼女はハッと思い出したように本題を切り出した。


「……お食事の用意が出来ましたので、食堂にご案内致します」

「えっ、もうそんな時間!? ……でも、そう言われると急にお腹が空いてきちゃった」


 今朝はまだ馬車に揺られていたから、酔ったら後が怖いからと軽めの食事を摂っただけだったのを思い出す。

 そこから屋敷に到着して、こうしてお昼まで掃除に没頭して空腹にも気付かずにいた事になる。

 昔から集中力はある方だから、何かに没頭していると食事を忘れる事も度々あり、育ての両親によく注意されていたものだった。

 すると途端に私のお腹がキュルルと鳴いて、カミラが小さく口元を緩める。


「あまり大した物はお出し出来ませんが、ご希望でしたらスープのおかわりならございますよ」

「朝食が軽めだったから、恥ずかしながら空腹を自覚した今は、かなりお腹が空いてるの……! その提案はとても魅力的ね!」

「本日のランチはロミア様お一人ですから、気の済むまでおかわりなさって下さい」


 そうか、夫妻が居ないから私一人しかお昼は食べないんだ。

 ……あれ? でも確か、伯爵夫妻には私以外にも子供が居るって手紙に書いていなかった?

 確か、姉と妹だって話のはずだけれど。


「ねえ、カミラ。伯爵夫妻がご不在なのはさっき聞いたけれど、娘さん達は一緒にお昼を食べないの?」

「上のお嬢様は、王都で騎士としてのお勤めに。下のお嬢様はグランス学院の寮で生活されているので、こちらにはおられません」

「へぇ〜、騎士と学院に……って、お姉さんは騎士なんですか!?」

「はい。当家は代々、王家に近い騎士を多く輩出してきた騎士の名門です。当代のダリオス様も、先代から爵位を継がれる以前は、王都で華々しいご活躍をなされていたと聞き及んでおります」

「それじゃあ、妹さんも騎士になる勉強をする為に学院に?」

「……どうでしょう。あの方は騎士というより、芸術の才に恵まれた人ですから」


 そんな話をしながらカミラに案内され、食堂へ通される。

 間も無くして彼女の言っていたスープやパン、果物が盛られた皿が運ばれて来る。


「わあっ、これがさっきカミラが言っていた例のスープだね!」

「そこまで喜んで頂ける程の物をお出ししているつもりはありませんが、どうぞお召し上がり下さい」


 彼女はそう謙遜するものの、スープからは良い匂いと湯気がのぼり立ち、パンも食べ応えがありそうだ。

 食後に果物まであるのだから、立派なランチであると言えるだろう。


 ……ただ一つ違和感があるとすれば、このメニューは貴族の食事というより、庶民の平均的な食卓に上がりそうなものだという事で。


 やっぱり生活の端々に財政難である可能性がチラッチラと顔を覗かせてきているのだけれど、本当にこの家は大丈夫なのだろうか?

 次の日、寝て起きたら奴隷商人に売られて檻の中でした──とか、あり得ない話じゃないような気がしてならないんだけど……!




 *




「ええと……お、おかわり……お願いしても良いかしら?」


 そう言って綺麗にスープ皿を空にしたロミア様は、少し恥ずかしそうに私の顔を見上げている。

 スプーンを口に運ぶ度に「美味しい〜!」「疲れた身体に染み渡る……!」等々、聞いているこちらの方が照れ臭くなってくるような褒め言葉を繰り出してくる彼女。

 しかし、貴族の屋敷で出される食事とはいっても、当家の懐事情はかなり厳しい状況だ。

 スープの具材は、庭で適当に種を蒔いて雑に魔法で水をやっていたら実った野菜に、旦那様と奥様にお出しした肉の切れ端。

 味付けはきちんとしているつもりだけれど、ここまでベタ褒めされるような上等な品ではないはず……なのだけれど。


「……ええ。まだまだありますから、好きなだけお召し上がり下さい」

「うん! でも食べ過ぎちゃうと後が大変だから、あと一杯だけで我慢します……!」


 すぐに厨房からスープを運んでテーブルに乗せると、また彼女は嬉しそうに私の料理を食べ進めていく。


 ……こんなに幸せそうな顔で自分の料理を食べてもらえるだなんて、これまであっただろうか?


 ロミア様はこれまで、私があからさまに冷たい態度を取っていた事には気付いているはずだ。

 けれどもほんの僅かな時間ではあれど、彼女と接していくうちに、自然とこちらの棘が抜かれていくようだった。

 今だってそう。ロミア様が笑顔で「ありがとう!」「美味しい〜!」と言ってくれるだけで、この胸がぽかぽかとしたもので満たされていくのだから。


 ……私は本当に、彼女に情を抱かずにいられるだろうか。

 もっと彼女と話したい。

 出来る範囲で、彼女の好きな物を作ってあげたい。

 彼女と仲良くなって──そうして、友達になれたらなって。


 そんな望みを勝手に描いてしまう自分の感情が、どうしようもなく溢れ出してしまう。

 久々に同じ年頃の女の子に会えたせいで、他人との触れ合いを求めてしまうだけなのかもしれない。


 ……でも、本当にそれを叶えてしまおうとすれば、きっとお互いに別れが辛くなるだけなんだもの。


 とっくにロミア様の事を嫌いになりきれないところまで来てしまっている事実から、必死に目を逸らす。

 私はもう、ロミア様と屋敷の前で出会った時のように、彼女に辛くは当たれないと思う。



 今夜旦那様がお戻りになられたら、きっと彼女に“例の話”をされるはず。

 その時、私は……どんな気持ちでいれば良いのだろう。


 孤児になった私を拾ってくれた恩はあれど、今のダリオス伯爵の事は……どんな言い訳を並べ立てられても、私はあの人の味方は出来ない。

 

 何故かは知らないけれど、旦那様は奥様には厳しく当たる。

 二人の娘だけは溺愛して、姉妹をそれぞれ学院に通わせる為の資金を掻き集めていたのを知っている。

 その為に使用人を次々に減らし、亡くなった大奥様の遺品もほとんど売り払った。

 他にも売れる物は大体売り尽くしてしまい、貴族のお屋敷にしては随分としょぼくれた有様になっているのが現状なのだ。


 ロミア様の幸せは、このまま落ち目のアリスティア家に残り続ける事でも、家の為にどこかへ嫁がされる事でもないはず……。



 仮にもしも“今すぐ伯爵とロミア、どちらの味方につくか選べ”と誰かに迫られたら──


「ふふっ……。そんなの、もう決まってるわね」

「何が決まってるの、カミラ?」

「今夜のメニューです。……洗い物は後で済ませますから、お皿はそのままテーブルに残しておいて下さい。私はまだ仕事がありますので失礼致しますが、ごゆっくりお召し上がり下さい」


 ──そう、答えは決まっているのだ。


 これまで幸せに暮らしてきた女の子の人生が、絶望へと転落していくところだなんて見たくない。

 ……だけど、どうしたら私は彼女の力になれるというの?

 こんな、頼れる人の居ない私が……どうすれば……。



 頭の中でぐるぐると思考を巡らせながら、私は食堂を後にした。

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