5.それは雪解けのように
どうやら私の魔力は、本当に特別なものらしい。
普通なら簡単には浄化出来ないという瘴気とやらを消し飛ばす事で、ワールさん本人と対戦相手の皆さんも、すっかり魔力が元通りになってしまった。
魔力回復用のポーションをがぶ飲みしながらの治療になったものの、夕方までゆっくり休めば、身体の怠さも大分楽になる。
私が目撃したあの黒い靄こそが瘴気だったようで、その発生源と見られる大剣は魔術塔で魔力解析に回された。
その予想は的中し、ワールさんの大剣が何者かの手で強力な呪いに掛けられていた痕跡が発見されたのだ。
それから事情を聞かれたワールさん自身は、本選の途中から記憶が曖昧になっているらしい。
陛下とレオールさんの話によれば、以前取材に答えた新聞記者の女性が本選前に『怪しいローブ男を見た』と言っていた事から、犯人の最有力候補はその男なのだとか。
それを聞いた後、すぐに他の騎士団員さん達が宮殿や帝都の見回りを強化したお陰で、目撃情報に一致する不審人物が確保されたそうだ。
瘴気に汚染された被害者でもあるレオールさんが「気合い入れて尋問してやらぁ……!」と怒り心頭だったので、きっと見事に情報を吐かせてしまうのだろうな……と頼もしくもあり、恐ろしくもあった。
それから大会の結果はというと、今回はワールさんが優勝という形ではあったものの、彼はそれを辞退した。
決勝戦まで残ったレオールさんも「来年改めて白黒つけりゃ良いだろ」と言って、結局今年は優勝者無しとなってしまった。
その分、今年は特別新人賞として、陛下が認めた初参加者が賞金を授与される事になったらしい。
想定外のトラブルはあったものの、観客に怪我人が出なかったのは不幸中の幸いだった。
来年こそは、何事も無く全員が本来の力を出せる大会になると良いな──
──と呑気に思っていた私は、何故だかおかしな状況に放り込まれていた。
「……それで、このドレスは何なんですかね?」
「今年の武術大会は残念な結果となってしまいましたが、今夜は予定通り、大会参加者や来賓の方々を招いた舞踏会が開催されます」
いきなり部屋にやって来たエリザにドレスに着替えさせられ、訳も分からないままフェルさんに髪とメイクをバッチリ整えられ。
しかもこのドレス、実は今日の為に私に内緒で陛下が用意してくれていたそうだ。
上品なシルエットのラベンダー色のドレスが、私の金髪によく映えている。
……鏡に映る自分が、戸惑いながらも華やかに仕上がっているのがちょっと悔しい。
「陛下のご婚約者であるロミア様も、皆様へのご挨拶を兼ねて参加して頂く事になっておりますよ」
「舞踏会って……まさか、ここ最近何度か謎のダンスレッスンがあったのってこの為だったんですか!? フェルさんったらあの時『日々の運動不足の解消にもってこいですよ』なんて言って、エリザまで巻き込んで誘ってきたのに!」
「ごめんなさーい! 師匠に『死んでもバラすな』って脅されてましたー!!」
「わたくし、そこまで物騒な言い方はしていませんが……?」
「ヒィッ! ごご、ごめんなさーい!! 話盛りましたぁー!!」
さて、本当にエリザが盛っていたのかはさておき。
どうやらこれから私は、陛下と公衆の面前でダンスを披露しなければならないようです。
あのぅ……勘弁して下さい……!
庶民メンタル平民育ちの訳アリ令嬢(笑)に、そんな大役を任せないでもらっていいですか!?
けれどもそんな切実で悲痛すぎる私の叫びは、今日も変わらず優雅なフェルさんの微笑みによって、完全にスルーされてしまうのだった。
*
美味しい食事を楽しみながら、お酒を交えて歓談する紳士淑女。
楽団の奏でる華やかな音楽の中で、拍手と共に出迎えられる一組の男女が、フロアの中央へと向かっていく。
……そう。
それは私達──ジュリウス陛下とその婚約者である私が、後夜祭の舞踏会で最初の曲を踊る為だった。
……ええ、勿論逃げられませんでしたとも!
「どうした? 流石にこんな大勢の前で踊るのは緊張するか?」
「……陛下はこういう場に慣れていらっしゃるでしょうが、許されるなら今すぐ透明になって、この場から全速力で離れたいですね」
「そうは言うが、ステップもしっかり踏めているし、リズム感も良い。誰も君を悪くなんて言わないさ」
くるくると回る度に、ちらりと視界に入るレオールさんやゲラートさん。
彼ら以外から向けられる眼差しも、妙に生暖かくて気恥ずかしいったらない。
それに──
パーティー用の衣装に身を包んだジュリウス陛下が、今夜はいつも以上にキラキラして眩しいのだ。
そんな彼と密着して、身体に触れて、手を取り合って踊る。
……こんなの、照れない方がおかしいでしょ!
「……陛下、この曲が終わったら少しお話したい事があるんです」
「ああ、俺も君に話さなければならない事があったんだ。もう少ししたら、向こうのバルコニーに移ろうか」
私達が踊り始めてから、曲の中盤あたりから徐々に他の人達もダンスの輪に加わっていく。
そうして一曲踊り終えたタイミングで、上着を羽織ってから、そっとホールの奥からバルコニーに出た。
外に出ると、色々な意味で火照った身体に、心地良い夜風が吹いた。
今夜は空が澄んでいて、小さな星々の光が宝石のように散らばっている。
「周囲に防音魔法を張った。……それで、早速だが話をしようか。まず、例のローブ姿の不審人物について進展があった」
すると陛下は、深刻そうな面持ちで懐に忍ばせていた一枚のカードを取り出した。
そこに書かれた文面に、私は言葉を失った。
『陛下から身を引け。平民如きが、皇族の高貴な血を穢すその前に。さもなくば命は無い』
「えっ……これって……」
「……先日、君の部屋の前でフェルが発見した脅迫状だ。あの男は、これを送り付けた犯人に雇われた刺客だったと白状した」
「だ、誰がこんな物……。それに、最近陛下と全然顔を合わせる機会が無かったのって、これのせいだったんですね……」
「……ああ。黙っていてすまなかった」
「いえ……。きっと陛下の事ですから、私を不安にさせずに犯人を捕まえようとして下さったんでしょう? 陛下が謝るような事じゃありませんよ」
私が更に犯人に恨まれないように、彼が気遣ってくれていたのだろうとすぐに納得は出来た。
「……それで、脅迫状の犯人は?」
「昔、俺に婚約を申し入れてきた事があった令嬢の父だった。どうやら例の新聞記事を見て、自分を振った俺ではなく、婚約者となったロミアに恨みの矛先を向けたらしい」
「そう……だったんですか」
それを聞いて、もう一つ納得してしまった。
……やっぱり私は、陛下の隣に相応しい存在ではないのだと。
「既にその令嬢と、宮殿勤めだった高官の父親には処分を下してある。これからは二度とこのような事が無いようにするよ」
「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「迷惑だなんてとんでもない! むしろ、今日は俺の方こそ君を危険な目に遭わせてしまって、それに“あの姿”の事だって……」
「「……それから、婚約について話があって!」」
と、二人の声が重なった。
「……俺から先に言わせてもらっても良いか? きっと、君と同じ気持ちだと思うから」
「……はい」
やはり彼も、もうこんな誰も望まない関係など終わらせてしまいたいのだろう。
これからどんな言葉で別れを切り出されるのかと、私はぐっと奥歯を噛み締めながら俯いた。
「……ロミア。俺と──
──俺と、一年間だけじゃない。これからは本当の婚約者として、この先もずっと、俺の隣に居てほしいんだ!」
「…………え?」
本当の、婚約者として……?
期間限定の仮初の関係ではなく、正真正銘の未来の夫婦として……!?
「だだ、駄目ですよそんなの!」
「だ、駄目ってどうして!? 俺は……もうずっと昔から、将来の相手はロミア以外考えられなかった! あの夜に再会してからだって、互いに言葉を交わせば交わす程、どんどん君を好きになっていくばかりなんだ!!」
「そ、そんなのお世辞じゃ──」
「俺は世辞なんか言える程、誰彼構わず愛を囁けるような器用な男じゃないっ!」
必死に叫びながらジュリウス陛下は、縋るような目で私の手を取った。
思わずはっと顔を上げると、彼と目が合った。
その表情は、まるで今にも泣き出してしまいそうな、幼い少年のようで……。
「俺は初めて君に出会った子供の頃から、ずっと君だけを想って生きてきた! あの日に一目惚れしてから、今日まで何度も君に新しく恋をしたッ!」
「……っ、それは……」
……私だって、同じだった。
初めて私に優しくしてくれた、家族以外の男の子。
屋敷の庭から出られない私に絵本をくれて。
寒空の下に放り出された私に、手を差し伸べてくれて。
国に帰ったらどうなるか分からない私に、新しい居場所をくれて。
彼の優しさに触れる度に、私は何度も彼を“好きだ”と思った。
……その度に、“こんな素敵な人の隣に、私なんかは相応しくない”と思い知らされた。
「……君の笑顔に恋をした。君が辛そうにしていたら、力になりたいと思った。君が楽しそうに仕事の話をしているのを見て、俺も何か手を貸せればと思った。でも俺は……俺の一族の血は、呪われている。こんな俺と君が結ばれたら、子供にだってその呪いが受け継がれてしまうだろう。それでも俺は、ロミアを好きでいる事を止める事なんて出来ないと思った」
「……このまま私なんかを好きでいたら、また今回みたいにご迷惑を掛けてしまうかもしれませんよ?」
「俺が皇帝という立場でなかったら、あんなしょうもない嫉妬心のせいで、君に命の危険を背負わせるような事もなかったはずだ」
「……私よりも、この先もっといい人に出会えるかもしれないのに?」
「こんなに長く恋焦がれた相手は、後にも先にもお前だけだ。……なあ、ロミア。もし嫌だったら、俺を突き飛ばしてでも拒んでくれ」
そう言って、彼は私の腰を引き寄せる。
「……愛している。この人生の全てを捧げる覚悟のある、最初で最後の恋だと誓おう」
「……っ、本当、ですか……?」
「もし法が許すのであれば、ここで命の誓いを交わしても構わないぐらいに」
……その言葉は、私に殺されても構わないという宣言でしかなかった。
もしも彼が国を背負う立場の人間でなければ、私が望むなら本当に命の誓いを立ててくれたのだろう。
けれど、皇帝である彼にそれは出来ない。
そんな誠実さと、嘘偽りの無い感情を曝け出してくれる陛下だからこそ──
──私は、貴方に恋してしまうのだ。
「私っ……本当に、貴方を好きになっちゃいますよ? 今ならまだ、婚約関係だって解消して──」
「…………っ!」
その刹那。
二人の白い吐息が合わさって、唇が重なった。
そこから伝わる彼の体温に、彼に愛される事を怖がる私の心の氷が、静かに溶かされていくのが分かる。
彼は『嫌なら拒め』と言ったけれど。
この“熱がもっと欲しい”と思ってしまった場合、どうすれば良いかは教えてくれなかったのを、頭の片隅でぼんやりと思い出していた。
「……っ、はぁ……」
「っ、す、すまない! 夢中になりすぎて、我を失っていた……!」
顔を真っ赤にして謝罪するジュリウス陛下。
そんな彼を見ていたら、さっきまで悩んでいた自分が馬鹿らしくなって、何だか笑ってしまった。
「ふふっ。だって陛下、私が初恋の相手だったんですもんね」
「わ、笑わなくても良いじゃないか……!」
「私も陛下が初恋の人だからなのか、もう一回してほしくなっちゃいました。……して、くれませんか?」
「……っ!? い、良いのか? その、さっきも言ったが、俺はお前との婚約関係を──」
「はい! 本物の婚約者になった記念に、改めてキスして下さい」
「〜〜〜〜〜ッッ! 急に吹っ切れすぎじゃないのか!?」
つい先程までとは全く別の意味で泣きそうになっている陛下だったけれど、改めて降って来た口付けは、雪解けのように優しくて。
簡単には明かせない秘密を抱える者同士、何か惹かれるものがあったのかもしれないな……なんて思いながら、私はそっと目蓋を閉じて、彼に身を預けるのだった。




