2.父からの手紙
それから間も無くして、私宛てに一通の手紙が届いた。
普段、商会宛に届くような手紙よりも、質の良い手触り。
何かの花の香りを染み込ませているのか、ふわりとした優雅な香りが鼻腔をくすぐった。
手紙の差出人は、ダリオスという人。
全く知らないその人からの手紙には、赤い薔薇の封蝋がしてあった。
「この封蝋のデザイン、あの指輪と同じじゃない!」
そう。母さんから託された、あの銀の指輪と同じ模様だったのだ。
私は突然の出来事に戸惑いながらも、手早く封筒を開く。
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ロミア・ルーシア殿
このたびは突然の手紙、無礼を許されたい。
貴女が幼少のみぎりから、長らくルーシア夫妻のもとで暮らしていたこと、実の父として心より案じていた。
貴女は生まれつき、身体が弱かった。
それに私自身も悩み、妻のマリゴルドとも相談した末、療養も兼ねて自然豊かな土地でのびのび暮らしてほしいと願い、夫妻へ預けたという経緯がある。
つい先日、ご両親ご逝去の報せを受け、とても胸が痛む思いだ。
夫妻は貴女の成長の記録と、日に日に健康になっていく様子を手紙にしたためてくれていた。
私達の子供を引き取ってくれた夫妻の寛大さと、その細やかな気配りに、感謝の意と冥福を祈るほかない。
本来ならば、早くに迎えに行くべきだった。
今となっては、こうして手紙を託すほかないのを不甲斐なく、些か気まずさも感じている。
ついてはアリスティア家に貴女を引き取り、一族の娘として再び迎え入れたいと思っている。
姉妹であるダリアもアカシアも、貴女との再会を望んでいる。
この家にも様々な事情があることは正直なところだが、他家で肩身の狭い思いを続けるより、互いに顔を合わせて話し合う方が良いこともきっとある。
迎えの馬車等、必要であれば手配したい。
貴女のご意思、あるいは訊ねたいことがあれば遠慮なく返書で知らせてほしい。
アリスティア家当主
ダリオス・ジュード・アリスティア
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「わ、私が……父さん達の子供じゃない……? それに、本当の両親は伯爵夫妻って……」
手紙に記された内容は、どれもこれも寝耳に水だった。
このダリオスという人からの手紙が事実なのだとしたら、私は物心つく前に本当の両親と離れて暮らしていたという事になる。
最低でも十年以上もの長い間、ルーシア家の両親は、私を本当の娘として育ててくれた。
周囲の人達もそのように接してきたし、もしかしたら幼かった私を混乱させないようにする為の配慮だったのかもしれないけれど……。
いきなりの事すぎて、まだ現実を受け止めきれないというのが正直なところだった。
「……この話が事実なら、私がいつか健康体になれるように考えて、ここに預けてくれたのよね」
それならこのアリスティア伯爵は、きっと娘想いの立派な父親なんだ。
だって、あの優しかった父さんと母さんが、赤の他人だった私を引き取ってくれるような相手なんだから──。
そう思い至った私は、その日一日よく考えて……翌朝、伯爵宛てに返事を送る事にした。
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アリスティア伯爵に手紙の返事を送ってから間も無くして、自宅前に迎えの馬車がやって来た。
「商会の皆さん、今まで沢山お世話になりました。どうか両親が残していったこの場所を、これからも盛り上げていって下さいね!」
「ああ、ロミアちゃんも元気でな!」
「落ち着いたらで良いから、手紙をちょうだいね」
私は、実の親だという伯爵家に戻る事にした。
お屋敷のあるアリスティア領まではかなり遠い為、家具なんかは持って行けないけれど、ある程度の荷物は纏めてある。
数日分の着替えと、母さんが選んでくれたブラシ。
それから、子供の頃から大切にしている古い絵本。
その表紙に描かれた白い狼は、小さくて可愛らしい。
いつから持っていたのかも覚えていない程に古いものだった。
それらを父さんから「いつか家族で旅行に出掛ける時の為に」と贈られた大きな鞄に詰め込んだ。
──父さん、母さん。どうか、私の巣立ちを見守っていて下さい。
そうして私は、長年慣れ親しんだ町を離れるのだった。
ルーシア商会の人達や、仲の良かったご近所さんや友人達に見送られ、まさかこんな形でこの町を離れる事になるなんて……と物思いにふける。
伯爵様からの手紙には“療養の為”だと書いてあった通り、私が今日まで育ったこの町の周辺は、緑豊かな土地だ。
今では自分が病弱な子供だったとは思えない程に健康だけれど、この町の自然や空気は取引に来る行商人にも好評だったから、本当に良い町だったのだと思う。
*
何日も馬車に揺られ、時折町や村に寄って休息を挟みつつ、とうとう私はアリスティア領へとやって来た。
馬車が止まったので降りようとすると、メイド服に身を包んだ女の子が待ち構えていた。
艶のあるセミロングの黒髪のその子は、無表情ながらも丁寧にこちらに頭を下げて言う。
「ご到着をお待ちしておりました、ロミア様。私はこのアリスティア家にお仕えする、使用人のカミラと申します」
「カミラさんですね。ええと……」
「カミラで構いません。そのお荷物、私がお預かりします」
「あ、はい……お願いします」
自分で荷物を持とうとしていたら、すぐにカミラと名乗った少女に荷物を持たれる。
その際に、彼女は少し目を鋭く細めて、
「……下の者には、そのような言葉遣いは不要です」
と、僅かに眉根を寄せ、不快感を現しながら視線を外した。
ごめんなさい──と言おうとしたものの、もしかしたらそれもまたカミラの機嫌を損ねるかもしれないと慌てて口を閉じる。
……空気が、とんでもなく重い。
感覚的には私はまだ平民のつもりでいたけれど、実際には貴族の生まれであるらしい自分。
そんな私が使用人さんに下手に出てしまうと、立場的にカミラの方が困ってしまうのだろうと察したからだ。
カミラに案内されながら、私は伯爵家のお屋敷へ続く鉄の門を抜ける。
屋敷の庭はそれなりに広いものの、あまり手入れがされていないようだった。
放置されて伸び放題になった雑草の匂いだろうか。風が濃い緑の香りを運んでいた。
それに、こんなに広いお屋敷なのに、他の使用人さん達の姿を見掛けていない。
……妙に静かすぎるのだ。
「あの、カミラさ……カミラ!」
「……はい、何でしょう?」
何だか胸騒ぎがした私は、思わず声をひっくり返しながら彼女の名を呼んだ。
「このお屋敷には、貴女以外にはどれぐらいの人数が働いてるの?」
「居ません」
「……え?」
ばっさりと言い切るカミラ。
何かの聞き間違いかと思って目を見開くと、カミラはうんざりしたような様子でこちらに顔だけ振り向かせる。
「……このお屋敷に、私以外の使用人はおりません。申し訳ありませんが、この後はまだ仕事が立て込んでおります。あまり時間を無駄にしたくはありませんので、何かご質問があれば夕食後にお願いします」
「あっ……」
それ以上私が何か言い出す前に、彼女は足早に屋敷の玄関へと向かっていく。
私がまだ伯爵家の一員だと認められていないからなのか、彼女からの当たりの強さに、初日からメンタルが削られているのを感じてしまう。
自分も早く追い掛けなければと脚を動かしながら、そういえばと後ろを振り返り「今日まで数日間、ありがとうございました!」と、ここまで馬車を走らせてくれた御者の男性に頭を下げた。
御者の彼は、言葉数は少なかったけれど、落ち着いた雰囲気のおじさまだった。
「いえ、こちらこそ。またご縁がありましたら、どうぞよろしく」
簡潔に別れの挨拶を済ませた御者は、再び馬車を走らせて去っていく。
旅の合間に聞いた話だけれど、どうやらあの男性は伯爵家が臨時で雇った御者であるそうだ。
伯爵家の屋敷。
手入れが追い付いていない庭。
たった一人しか居ないというメイド。
必要な時にしか雇わない御者。
貴族というのは、私が想像しているよりも優雅な暮らしではないのだろうか……?
すると、痺れを切らしたようなカミラの鋭い声が飛んで来る。
「ロミア様っ!」
「あっ、はい! すぐに行き……行くね!」
初対面の相手に敬語を使えない初めての状況に違和感を抱えながら、はしたなくならない程度に急いでカミラの後に続く。
この時の私は、まだ気付きもしていなかった。
私がこの屋敷に向かう決断をしたその瞬間から、これまでの平穏な日常から遠くかけ離れた、とても大きな変化の渦の中に飛び込んでいたという事に──。