8.昼下がりの植物園
ロミアが帝国に亡命してきてから、一週間が経つ。
ゲラートからの報告によれば、何とロミアは聖属性の魔力を宿していたというのだから、驚かないはずがなかった。
あのパーティーの晩に再会した彼女は、自身が属性無しとして、純血思想主義の父親に差別された事から始まる心の傷を負っていた。
けれども、ここへ来てからの彼女は明るく前を向いている。
魔力の扱いに慣れる目的で魔術塔に行き、ゲラートや他の魔術師達とも交流を持っているらしい。
……初恋の相手が、他の男の職場で楽しそうにしているのは少々複雑だ。
しかし、その程度の事で嫉妬していると知られたくはない。
今日の午後には、久々にロミアと顔を合わせてティータイムを過ごす約束をしてある。
来月に迫った武術大会に向けて、本格的な対人訓練の時間も確保しなくてはならないが……。
当然ながら、最優先はロミアとの時間と、彼女の身の安全の確保だ。
それまでに確認の必要な書類に目を通しておいて、彼女と過ごす時間をしっかりと確保しておかなければな。
そうして俺は、アーディン王からようやく届けられた書面に改めて向き直った。
……もしかしたら、これが彼女とじっくり会話する最後の機会になるかもしれない。
*
時々は魔力で動かす道具を使って生活していたお陰なのか、私の魔力コントロールは平均よりも上手い方だとゲラートさんが褒めてくれた。
今日の午後からは、先日私が彼に提案した“ある事”を実行する為、お茶会の席でジュリウス陛下に許可を頂こうと思っているのだ。
約束の時間。
フェルさんに案内されたのは、様々な花々が咲き乱れる植物園だった。
雪が積もる外とは異なり、色鮮やかな景観が自然と心を弾ませるようだ。
「ここでも魔道具で空気を温めているんですね」
「はい。各エリアを温度管理し、薬に使用される薬草も一部栽培されております」
彼女の言葉通り、魔術塔で見覚えのあるローブ姿の人が採取している姿を見掛ける。
とはいえ、こういった施設は一般的ではないらしい。
安定した温度管理を実現するには大きな魔石が必要らしく、高価すぎて普及しないのだとか。
──でもそれを普及させられたら、この国での“当たり前”が大きく変化するのは間違い無い!
植物園の奥の方には、休憩用のスペースがある。
先に私達が到着し、間も無くしてジュリウス陛下が顔を出した。
私は席を立ち、彼を出迎える。
「待たせたな、ロミア嬢」
「いえ、私もついさっき来たばかりですから。それより陛下、今日は何かお話があると伺っています。……もしかして、政略結婚の件で何か進展が?」
「まさにその件についてだ」
どうやら両家の当主間で結ばれた禁術──命の誓いによる魔法契約について、アーディン王がそれぞれに処罰を命じたのだという。
「王は両当主を城に呼び出し、その場で契約を破棄させたそうだ。特に現国王は純血思想の撤廃を推し進めている故、今回の政略結婚とミリー嬢の事件で公爵家は取り潰しが決定した」
「取り潰し!?」
「決め手となったのは、ミリー嬢の死だ。侯爵とレドにあらゆる手段で吐かせた結果、やはり彼女は生き地獄に耐えかね……自殺したと白状した」
「……っ」
「彼女は帝国貴族だ。王から娘の死の真相を知らされた家族らは激しく抗議し、公爵家の取り潰し及び、当主は終身刑。夫であるレドには国外追放が言い渡された」
公爵夫人に関しては、彼女もミリー様のように炎の加護持ちの子供を産めるまで出産を強いられていたとの証言があったという。
彼女は公爵と離縁し、屋敷の使用人達を連れ、実家の支援を受けて離れて暮らすと決めたそうだ。
……夫人も、公爵家の被害者の一人だったのね。
「……そして、ダリオス伯爵についてだが」
「は、はい」
「今回の政略結婚の重大な人権侵害の被害者である、ロミア嬢の意思が強く反映される事になる。貴女が望めば、伯爵家の取り潰しもあり得ない話ではない」
実感は無いけれど、それでも血縁上は私の父となるダリオス伯爵。
取り潰しが決まれば、私の母も姉妹も家を失う事になる。
「……姉のダリアさんは、多分私の事をよく思っていません。でも、お母様は……今思えば、ご挨拶をした時に何か私に言い掛けていたような気がしたんです」
「伯爵夫人が……?」
「もしかしたらお母様は、私の政略結婚を止めさせたかったのかもしれません。シルリスの純血思想の事を考えても、次女の私にだけ加護が判定されなかったせいで、伯爵からあらぬ疑いをかけられてしまったでしょうし……」
お母様自身なら、自分が他の男性との間の子供なんて産んでいないと分かっている。
それなのに私が簡単には見付からない聖属性を持って生まれてしまったから、全ての歯車が狂い始めてしまった。
……それに、あそこには私に親切にしてくれたカミラだって居る。
「……お母様と使用人のカミラの為に、取り潰しは避けたいです」
「……分かった。王には、夫人らの生活に悪影響が出ないように働き掛けてもらおう」
そして、話は私とレドの婚約について移る。
「教団からも返答があり、婚約破棄の手続きが完了した。……これで晴れて、貴女も自由の身だ」
「…………あっ」
そうだった。
婚約破棄が成立したら、帝国で保護してもらう必要も無くなる。
父さんと母さんを亡くし、私が原因で伯爵家の家族関係も大きく変わる。
……そして、私がいつまでもここに残る理由も無くなってしまって。
ここまであっという間の日々だったけれど、いつの間にか毎朝フェルさんやエリザに起こしてもらうのが当たり前になっていた。
魔術塔ではゲラートさんやリナさん達に魔法を教えてもらったり、実験に参加させてもらった。
たまにレオールさんやゼル先生も様子を見に来てくれて、先生が持って来てくれたお茶菓子で休憩を挟んだり。
それでもいつかはここを離れる日が来るから、独り立ちしても良いように何か出来る事を探そうとして──
覚悟はしていたつもりだったけど、あまりにもその日が来るのが早すぎた。
「……これから、貴女はどうしたい? 君が望むなら、王国でも帝国でも俺が話を付けられる場所なら、どこでだって住む場所と職場を提供する。伯爵家に戻るのは……心情的にも難しいだろう?」
「……どこでも、仕事を探してくれるんですか?」
「ああ、アーディン王も協力してくれる」
……どこでも、と。
その言葉、信用して良いんですよね……?
「……本当に?」
「ああ。約束する」
*
「それじゃあ……私、魔術塔で働きたいです!」
ロミアは真っ直ぐに俺を見詰め、声高らかに申し出る。
俺はてっきり慣れ親しんだシルリス王国へ帰るつもりだとばかり思っていたから、思わず言葉を失ってしまった。
「……魔術塔って、うちのだよな?」
「はい! 実は私、陛下にご相談があって、その事を今日お話したかったんです!」
「相談……? それが魔術塔で働きたい理由と関係しているのか?」
「そうなんです!」
するとロミアは、フェルに声を掛けた。
フェルはテーブルに用紙を出すと、すぐに背後に下がる。
「これは……帝都の地図か?」
「はい! この前、レオールさんに帝都の有名な喫茶店に連れて行ってもらったんですが……」
おいこら、いつの間にそんな事やってるんだレオールは!
騎士団の訓練は!? 大会を来月に控えているのに、団長が訓練を抜け出すな!!
「その時にざっくりと帝都を見て回ったんですが、この国って一年中雪が降るんですよね?」
「……ああ。宮殿には室内暖房の魔道具があるが、外での訓練の際には、雪かきをしているな」
流石に外までは魔道具で温めることは不可能な為、温かな空気を閉じ込めておける室内でしかその恩恵を受けられないのだが……。
それにしても、レオール……!
後でしっかり問い詰めてやるからな!?
「ヴォルゴ宮殿を中心としたこの帝都ローディアは、そこから外側に向かうに従って貴族街、一般街、そして貧民街と続いていますね。それで帝都を歩いている時に気付いたんですが……。これだけ雪が密接な地域だと、路面が雪に覆われていて、日々の流通網や住民の雪かき、移動への負担がとんでもないですよね?」
「ああ……。屋根の雪下ろしでも、魔法の使えない者が下敷きになる事故が多い。騎士団の方でも手伝いに行く事はあるが、貧民街では『騎士の施しなど受けたくない』と突っぱねられる事も少なくない」
「とはいえ、雪かきの必要が無くなったら誰だってきっと喜びますよね?」
「まあ、そのうえ事故も無くなるなら俺としても大変喜ばしい事には違いないが……」
……もしやロミアは、その解決策を何か思い付いたというのか?
それも何の縁も無い土地の人々の暮らしを良くする為に、魔術塔で働きたいとは……。
「その具体案をゲラートさんに相談したら、私の魔力があれば実現可能になるかもしれないって言ってくれたんです! ですからジュリウス陛下、どうか私を魔術師団で働かせてもらえませんか?」
根っからの商売人気質のせいなのか、人々に需要がありそうな事に対する観察眼と発想力が豊かであるらしいロミア。
これも彼女のこれまでの努力と、ルーシア夫妻の強い影響によるものなのだろうと思うと、そのひたむきさに口元が緩んでしまう。
それに……彼女が帝国に留まってくれるのなら、手を貸さないはずがない。
「……君が望むなら俺はそれでも構わないのだが、魔術師団での勤務には条件があるんだ」
「条件……?」
「魔術師団では重要機密を扱う事から、帝国籍を取得した者のみが在籍可能となっている。今の君は俺の保護身分からも外れる為、近日中に宮殿を離れなくてはならない。それと、国籍の取得には成人である事と、犯罪歴が無い事。そして、十年以上帝国で住所と職を得て生活している必要があるんだ」
「じゅ、十年……!?」
流石に彼女も国籍が必要になるとは予想していなかったようで、かなりショックを受けている様子だ。
「しかし、それらの条件を満たしていなくとも在籍可能となる例外が二つある。一つは、国立の学院を卒業し、ヴィルザード宮廷魔術師団への推薦をもらう事」
「……それでも、何年かは掛かってしまいますね」
「そしてもう一つだが……この方法であれば、最短で国籍取得が可能になる」
「その方法というのは……?」
「……帝国籍を持つ者との結婚。それが国と教団に受理されれば、自動的に貴女も帝国民として認められるようになる」
「結婚……ですか?」
「まあ、もしくは婚約して在留資格を得るかだが。しかし、婚約の場合は一年以内の結婚が条件に含まれるがな」
そんな相手すら居ないのに、どうれば……と、狼狽えているロミア。
……どうやらこの優しく賢い女性は、目の前の未婚男性が視界に入っていないらしい。相手ならここに居るだろうに。
「……俺は、君の事を大切に思っている」
「えっ……?」
こんな形になったのは不本意にも程があるが、このまま彼女が自分の近くから離れていってしまうのは、もう嫌だった。
俺が少し目を離していた間に、ロミアの人生はとんでもない方向に転がり落ちていこうとしていたのだ。
これ以上彼女に不幸が降り掛からないようにしたいというのは、ロミアに恋をした以上、当然抱く感情だろう。
……少年時代から胸に秘めてきた想いの丈を、真正面から彼女に打ち明ける時が来たのだ。
「……ずっと、貴女に伝えたかった。俺はいつだって、貴女の力になりたいと思っている。もし嫌でなかったら、どうかこの手を取ってほしい」
俺は椅子から立ち上がって、混乱している様子の彼女の前に片膝をつく。
「……嫌になったら、俺の事なんていつでも捨ててくれていい。だが俺は、君が俺以外の男と国籍の為だけに結婚してほしくない……我儘な男なんだ」
「陛下……」
君が俺に遠慮したら、きっとゲラートやレオール達の手を借りてしまうだろう。
ロミアが……ずっと恋心を抱いてきた女性が、誰かを選ぶところなんて見たくなかった。
「俺を選んでほしい。君に降り掛かる火の粉は、この俺が全て払いたい。……どうか、俺と結婚してくれないだろうか」




